3日目
  3日目は亀山からJR線で松坂に行き、そこでレンタカーを借りて、10、11、12、13番の宮を回った。14番神の田、15番内宮は遷宮の時にも来ているので省略。 代わりに倭姫命宮と斎宮を巡った。内宮へ天照大神を祀ったあと、やまと姫(倭姫命)は内宮と外宮の中間にある倉田山に祀られた。倉田山にある尾上御陵(おべごりょう)古墳がやまと姫の墓であるという説があった。1921年にここにやまと姫を祀る宮が作られ、古墳は昭和になってから「倭姫御陵墓参考地」になった。

 ということは、それまでの長い時間、人々は「やまと姫の旅」はお話だということを知っていた。明治になって急に神仏が分離され「神道」のみが国家的宗教になり、神話も歴史的事実とされるようになり、やまと姫物語が復活した。やまと姫の話、よくできておりおもしろいので私は巡行地をたどっている。お話はどこかに歴史的事実は隠れているはずである。それを見つけるのがおもしろそうだ。もう少し歩きまわってみよう。

 昨日まではそれぞれの社は離れており、列車や車でなければいまの私にはきつい。やまと姫はもちろん歩いて行ったので、私も歩きたかったが、わずかの時間と体力ではとてもかなわなかった。それでも雨の中、できるだけ歩こうという努力はしたので、最後が時間切れになってしまった。でもまあいいか。

 10 加良比乃神社(藤方片樋宮)
 JR紀勢本線に「阿漕」(あこぎ)という駅がある。「あこぎな奴だ」という時に使うけど、いい言葉ではない。辞書には「しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。「あこぎな商売」「あこぎなまねをする」などと使うとある。

 謡曲「阿漕」では、男が伊勢参詣の時、阿漕ヶ浦で翁に出会う。翁は、殺生禁断の浦で密漁した漁師が捕られられ、沖に沈められたが、死後も地獄の苦しみをしている。自分は密漁をした阿漕の幽霊である。なんとか救済をしてもらいたいと言って波間に消えていく。という筋書きである。

 男が伊勢に詣でるときに通ったのが伊勢街道。阿漕から高茶屋に向かう道筋に加良比乃神社がある。家々の間の狭い路地が昔の参道だったろう。

 片樋宮の石碑もあり、なかなかいい雰囲気の神社だ。本殿は鰹木6本。新しい立派な社だ。

   

 11 神山神社(飯野高宮)
 松坂でレンタカーを借りた。11番から伊勢内宮まで短い時間で電車やバスで動くのは難しい。昔ならこれぐらい簡単に走ったが、今はもうムリだ。昔下島さんと伊勢まで来た時には四日市から走って、内宮に参拝して多気駅まで戻った。一日80キロを走っていたのに。そう翌日は多気から伊勢本街道をとおって榛原から長谷寺までやはり80キロを暗くなるまで走った。その時には、お宮など目に入らなかったな。伊勢ほ平野は広い。農産物、海産物も豊富なところだったのだろう。
 ここも淡海坂田宮と同じように参道をJR線の線路が横切っている。旧国鉄は神をも畏れなかったようだ。上の線路もまっすぐ行けば、少なくとも参道を横切る必要はなかったのに。参道入り口にある手水、何と読むのかわからないが「漱石」に似ているが・・・
 線路を横切るとすぐに石段になり、安産の神様を過ぎてさらに上ると、なかなか立派な社殿が見える。伊勢神宮と同じ神明造だが、祭神は猿田彦と天の鈿女のご夫妻神だ。このご夫妻は天照大神の孫を高天原から日本国にお連れした御杖代だ。役割はやまと姫と同じだから、元伊勢と考えていいのか?? それなら天照大神を祀ってもよさそうなものに。という疑問を残したまま、次の佐々牟江神社に向かう。
 やまと姫は神山神社からは船で櫛田川を下り大淀の津から沿岸に沿って磯神社に宮を立て、宮川をさか上がって伊勢に向かった。さらに陸路を行き五十鈴川のほとりの現在の内宮に到達した。まっすぐ行けばいいものを、なぜめんどくさい迂回をしたのか。それも謎だ?

 12 竹佐々夫江神社
この神社を探すのは結構大変だった。これまで見た元伊勢の宮は大小はあったもののなかなか立派でいかにも天照大神を祀ったという感じはあった。しかしここの竹佐々夫江神社はいかにも村のお宮という感じ。さらに敷地の大半はお寺の隅を借りている。

宮のとなりの地域センターではおばちゃんたちが踊りのけいこの最中で、「佐々牟江宮」の跡は「うちの田んぼ」の脇だよ!という。今訪れた神社が佐々牟江宮跡ではなさそうだ。

 田んぼをぐるっと回ったら、左のような案内の碑が立っていた。古くには何かがあったことは確かだが、今は跡だけとしたほうがよさそうだ。
左上の写真が一の鳥居、内側の鳥居で右に回る。正面に拝殿がある。拝殿の右側の土地はお寺の庭。

拝殿の奥には神明造の社殿がある。鰹木6本、祭神はたぶん天照大神。

  13 磯神社(玉岐波流磯宮)
 
 
 磯の宮とあるとおり、磯の香りのする神社だったが、さらに正面に立つ鳥居の香りすばらしかった。伊勢神宮の遷宮に合わせてこちらも鳥居と社殿が新しくなっている。これはすばらしい。

 NAGIという雑誌をもって歩いたが、その表紙もこの社と拝殿の写真だ。そんなに上手にとれないが、ここは元伊勢だと素直に感じることができた。
 鳥居を挟んだところに公園があり、蓮池があった。蓮は仏教的な花。

西行:「山家集」
≪おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮(はちす)の花さきにけり≫ 


西行の頃は神社も寺もそれほど区別はなかった。

 伊勢の地に入ってからは、どの神社も近くにあり、さらに斎宮、倭姫命神社、内宮などなどを回ることができた。といっても内宮は近くまで行っただけ。
 巡りながら、やまと姫の話は、斎宮制度を維持するために創り上げた物語だということが分かった。しかしさらになぜ伊勢の地に大和に祀られていた天照大神をお移ししたのか、その背景を知りたくなった。