011   志摩国一宮   三重県志摩市磯部町上之郷
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伊雑(いざわ)
御祭神 天照大御神御魂(あまてらすおおおみかみのみたま)
伊勢神宮・内宮の別宮:「遥宮」(とおのみや)

伊雑宮は志摩国の一宮である。この宮のご祭神は天照大神であり、
伊勢神宮の14の別宮のひとつである。
もともと伊勢と志摩は一国だったが、
志摩国が独立したときに別宮が一宮になったのではないか。

伊雑宮は正式には「いざわのみや」と表記されているが、
「いぞうぐう」ともいわれる。あるいは磯部の宮ともいわれる。
遷宮を終えたばかりで、鰹木はピカピカ。右側の小さな社は次の遷宮の用地。
鳥居は的矢湾に向いている 式年遷宮を終えて間もない
別宮で唯一、御神田(おみた)を持つ  伊雑の深い森に宮がある 
境外所管社の佐美長(さみなが)神社 佐美長御前神社四社
鳥居前には立派な旅館 この宮にも御師(おし)がいた。 
この地に倭姫のお墓があったと「御師」さんが
教えてくれた。それが上の写真!
倭姫は伊勢内宮を建立した後、神宮へ神饌を奉納する
ために食料をもとめて伊勢から志摩を訪れた。

伊雑宮を建立し、伊佐波登美命にまかせて
倭姫は亡くなった

的矢湾の最奥に伊雑宮がある。 
近鉄の上之郷駅(無人)のすぐ前であるが
参拝の人は磯部駅からが多い。

昔は上之郷の前まで的矢湾が入り込んでおり
海の幸が運ばれてきた

志摩という国は小さな国だが、伊勢神宮の御食津(みけつ)を用意する国として重要だった。
海産物、農産物は豊富で、倭姫命は大和から天照大神を伊勢までお連れした後、志摩まで
やってきた。天照大神の食料を確保したのちに、ここで亡くなった。
・・・と倭姫命世記に書かれているそうだ。

今は志摩市にあるが、昔は磯部と言った。伊雑宮は上之郷という駅前にあるが
特急は停まらないので、磯部駅からお宮に向かう。志摩の郷土資料館で情報を収集して
伊雑宮へ向かうと、左手に石段が見えてくる。

上には佐美長神社がある。小さいがいい感じの神社で、ここも式年遷宮を行っている。
この神社から伊雑宮への道は「御幸道」(ごこうみち)と言われた。

伊雑宮の森が見えてくる。森の周りに田んぼが広がっているが、
これが神之田である。神之田があるのは別宮のうちでもここだけである。

上之郷駅から伊雑宮へお参りすることはできるが、やはり磯部から歩いて行った方が
いろいろなことが分かって楽しい。佐美長神社への入り口は見逃しやすい。
国道沿いに鳥居があり、その上の森のの中に美しい社殿がある。
「御幸道」を行くと、神之田にでる。その先に伊雑宮が見える。

御師(おし)の家が一軒だけある。昔は多くの御師がいて、お札を配っていたらしい。
ドーマンセーマンの印は海女さんたちの魔除けの印だった。
セーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満の名に由来する。
伊勢志摩の神島地方の海女は、この両方をあわせて「セーメー」と呼称している。

志摩の郷土資料館 三大御田植祭:千葉の香取神社、大阪の住吉大社
伊雑宮:「いぞうのみや」ともいう 海女さんが身に着ける魔除け。陰陽道に関係している。
強力なパワーを持つと言われ、伊雑宮を訪れる人も多い。
   

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