025    武蔵国一宮1     さいたま市大宮区
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氷川(ひかわ)神社 

ご祭神   須佐之男命 天照大神の弟:高天原を追放され出雲へ降る
稲田姫命  八岐大蛇の生贄。須佐之男に助けられ、妻になる。
大己貴命  須佐之男命の後継者
■関東の人にはなじみの氷川神社だが、全国的にみると埼玉県、東京都に限定したローカル神社である。祭神は須佐之男命。この神は最高神である天照大神の弟神だが、素行が悪く、天照大神と戦った。自分は勝ったと主張し乱暴狼藉を繰り返したために、イザナギ神によって天上界の高天原から追放される。
■追放されたスサノオ命は出雲に降臨する。そこで八岐大蛇の生贄にされかかっていた稲田姫を助けて、妻にする。妻と共に出雲の国を作り上げていった神で、出雲大社の祭神として祀られていた。
■成務天皇(第13代)のときに武蔵国国造になった兄多毛比命(えたもひのみこと)は出雲族であり、出雲の神を武蔵国に勧請して氷川神社を作ったとされている。氷川は出雲の斐伊川(簸川)からとった名前とされている。出雲大社の神は今は大国主命だが、江戸時代以前には須佐之男命だった。
■出雲の系統の国造は多かったが、武蔵以外に氷川神社は作られていない。なぜ武蔵の国にだけ、出雲起源と言われる氷川神社が作られたかはかなり謎である。出雲とは関係ないという意見もある。

一の鳥居:下は大正時代 二の鳥居:超巨大木造鳥居
三の鳥居:ここから境内? 明治天皇は2回も行幸!今年150年祭
       
■氷川神社の参道は現在の「さいたま新都心」駅の前を走る旧中山道から分岐して続いている。一の鳥居からほぼ2キロ、直線の参道が続く。ケヤキ並木は甲州街道と同じだが、こちらの方がうっそうとして夏の日差しから参詣客、旅人をも持ってくれたことだろう。私も梅雨明けの暑い日に訪れたが、日差しがさえぎられているので涼しかった。

■稲荷神社や八幡宮に比べれば、はるかにローカルな神社なのに、なぜこんなにも大規模なのだろうか。明治期に東京が首都になった時に、鎮護の社として明治政府が重視したことが大きい。150年前明治天皇はこの神社に行幸した。上の絵はその時の様子を描いたものだ。その後も天皇皇后がしばしば訪れた。

■明治政府は神社格付けをした。この神社は出雲大社などと同じく官幣大社となった。現在神社は国の管理を離れたので社格は廃されたが、折々には権威付けに使われることも多い。社殿は下の写真の通り壮大だ。
楼門: 楼門の下から神楽殿をみる 
舞殿:神楽殿は三の鳥居脇にある  拝殿と本殿 
5本の鰹木:縦削ぎの千木:男神の象徴  回廊内の大太鼓:開門を知らせる
 
摂社:末社が沢山ある。稲荷神社や宗像神社は独立しているが、石上神社、住吉神社は合祀されている。小さい神社ではないのにどんな基準で選ばれたのかな? この中で一番注目の摂社は門客人神社 
稲荷神社  宗像神社:三女神を祀る。 
6神社の団地神殿 
祭神:大己貴命:少彦名命
大己貴命出雲国を作った神さま
少彦名はガガイモの葉にのってやってきて
出雲国の建国を手伝った神さま
門客人神社:稲田姫の両親神
実はこれが謎の神社:江戸時代にはアラハバキ社
氷川神社の前に祀られていた神さま。
祖霊社だと考えられている。
氷川は、冷たい水が湧きだすことから名つけられたとの説がある。
その根拠になる湧水がある。右下は「蛇の池」とよばれる湧水池。
この水が神池にそそぐ。
神池にはふつうは弁財天が祀られるが、ここでは神社らしく宗像神社がある。
宗像三女神のうち市杵島姫が弁天様と同じと言われている。

 我が家の近くにはたくさん氷川神社がある。その総本社が大宮の氷川神社である。
久しぶりに行って見て、新たな発見が沢山あった。
すごい神社なのにローカルである。
出雲から勧請したと言われるが、本当か?
門客人(かどまろうど)神社とは何者か?
東北人の神さまであるアラハバキ神は、どうも水神さま。

私の推測です。
もとは水神を祀る地元民の神社だった。
そこへ出雲族がやってきて、スサノオを神を祀った。
しかし名前は地元民を尊重して「氷川」とした。

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