072    備前国一宮2 石上布都魂神社    岡山県赤磐市
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石上布津魂神社 
ご祭神
明治6年・以降  素盞嗚尊(スサノオ命)
明治3年 以前 布津の御霊(十握の剣)
明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの剣の霊である「布都御魂」と伝えられていた。
明治3年(1870年)の『神社明細帳』には神話の記述に従って「十握剣」と書かれている。

この剣は崇神天皇の時代に大和国の石上神宮へ移された。このことは石上神宮の社伝に記されている。

岡山藩主池田綱政は延宝2年(1674年)社領20石を寄進し、
宝永7年(1710年)に社殿・神楽殿を造営した。その後も歴代の藩主の崇敬を受けた。

明治6年(1873年)に郷社に。祭神を素盞嗚尊に変更したのはこのときと見られる。
明治40年(1907年)、大火で山頂の社殿が焼失し、大正4年(1915年)に中腹の現在地に再建された。

磐座の上に社殿があることから、昔は自然神を祀っていた。
出雲とも関連深く、「十握剣」の出雲神話にちなんだ「布都御魂」が祭神になった。
宮司さんは「物部」さんだ。出雲の隣の石見一宮は物部神社。

そういえば鳥居の前の道は旧「出雲街道」出雲とつながっていた。
出雲、石見、物部、素盞嗚尊
・・

本殿:素盞嗚尊(スサノオ)を祀る  本殿前の石段
拝殿脇の稲荷社 石段の上から
奥の院:ここが元本殿:磐座の上にある 創建時の様子

奥の院(奥宮=旧本宮)への鳥居 途中の命の磐坐
一の鳥居かな:タクシー運転手は地元神社と言う。 対座しているお地蔵さん

備前一宮はかなりの山中にある 狛犬と払殿
旭川の流れ。砂利採取の山 登山道、本殿、奥宮の関係

岡山市と赤磐市の境にある。朱印をいただく宮司さん宅は岡山市にあり、そこから旧出雲街道を遡って神社入り口に着く。駐車場までは舗装だが、その先には山道が続く。登り口に杖が何本も置かれているが、それを使った方がいい。宮司さんは物部さん。仙台の宮司さんはシニアカーでここまで登ってこられるそうだ。それはたいへん。

この神社は全国一宮のなかでも参拝の大変さではかなりのものだ。もちろん鳥海山頂の大物忌神社、立山山頂の雄山神社に比べれば、なんてことはないが公共交通を使っていく人にとってはたいへんだ。これまでタクシーを使うことはありえないことだったが、なかったが この夏の暑さに負けて、JR津山線金川駅から10キロをタクシーで行った。帰りは下り道だったので、もちろん歩いて降りてきた。

なぜここに収められていた「十握の剣」がや大和の国の石上神社に移されたのか。ちょっと不思議だったが、出雲石見地方で活躍した物部氏が大和に進行していく途中で、ここ吉備の国を治め、ここに神社を作った。そしてさらに大和まで進行していったという歴史的足跡を残したのではなかろうか。


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