076    備後国一宮2    福山市上戸手
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素盞嗚(スサノオ)神社 
ご祭神  素盞嗚尊 天照大神の弟神
配神  稲田姫命  妃 
配神  八王子  子 
小さいが風格のある神社である。明治期までは神仏習合の寺で、祇園さんと言われたという。
しかし明治期の神仏分離によって、スサノオを祀る神社になった。一直線の参道の奥にこの拝殿:本殿は見えない

ちょうど平昌オリンピックの最中だった。フィギュアスケートの坂本選手の看板が立っていた。
「ここの出身なんだ!」と思ったが、よく見ると坂本選手のお父さんがここの出身なのだという。
便乗じゃないと思うが、まあいいか。

左手に福山から三次の塩町へつながるJR福塩線が走っている。のんびり走るので有名らしい。
尾道から車で来る友人と待ち合わせたが、福山から電車で来た私の方が遅かった。

芦田川の川沿いにあるのどかな、それで豊かそうな町はいい。近くの神辺は旧山陽道の宿場だった。



福塩線は電化:非電化、併存の路線 延喜式にある式内社は格式が高い
線路に平行した参道 立派な手水 
随神門前の狛犬:吽 本殿前の狛犬 本殿前:阿  随神門前の狛犬:阿
本殿:立派な檜皮葺:入母屋造り 随神門。
  スサノオがこの地を旅した時、日が暮れたので宿を探した。大きな屋敷の巨旦(こたん)将来はすぐに断ったが、貧しい蘇民(そみん)将来は快くご接待をした。

  スサノオは旅の帰途にこの地を滅ぼすことにしたが、蘇民将来の子孫には茅の輪を作って疫病を逃れる方法を教えた。

  巨旦将来の子孫は途絶えたが、蘇民将来の子孫は繁栄をした。現在も家々の玄関に蘇民将来のお札を貼って疫病よけをしている。

  現在も茅の輪くぐりの行事が各地で行われているが、その発祥の地と言われている。
  
蘇民神社と疱瘡神社
境内に天満宮がある。旧本地堂(明治まで) 相方城の門を移築した。

備後一宮はこのスサノオ神社と新市にある吉備津神社である。備後というのはもともとあった吉備の国を、前、中、後と分けたものだ。吉備の国を支配した神さまは吉備津彦であるから、一宮は吉備津神社だった。備前、備後、備中はそれぞれに吉備津神社があり一宮になっている。

それは自然の成り行きだが、備後の地は吉備津彦が治める前は出雲のスサノオ神の治める地だった。人々はスサノオ神を祀る神社を作っていた。時代が下ってもそれぞれを敬う勢力は主張を続け、今も一国に2社の一宮になっている。

実はこんな例は日本各所にある。私が住む旧武蔵の国も氷川神社と小野神社がある。相模の国も鶴岡八幡宮と寒川神社がそれぞれ一宮を名のっている。

明治政府は神社を官幣大社とか中社など細かく格付けをした。そこらにあった八百万の神を整理してしまった。いわゆる国家神道であるが、それはうまくいくはずはなかった。戦争後、官幣・・は廃止された。しかし今も旧官幣大社などと威張っている神社もある。

私は権威とは無縁の神さまが好きだ。祈りというのは強いられてやるものではない。権力を持った人は、神社仏閣を自分の都合のいい方向に引き込み、逆に神社仏閣は権力におもねる。相互利益でだんだん力を持っていく。宗教と権力は結びつきやすい。しかし世界を見るとその結びつきが国家を危うくする。日本もそうだった。宗教家は権力とは離れていなければならない。


「うちの神社はオリンピックに出た選手のお父さんの出身地なんだぞ!」と訳のわからない権威付けをするのは、今でいう「かわいい!」 だ。
国民栄誉賞などよりも地元の訳の分からないような栄誉の方が尊いぞ。私は勝手に思い込む。そんな気分にさせてくれる神社だった。、

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