美保神社 
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 この神社も出雲の国譲りに関して重要な神社である。ここに祀られている神様は事代主命(コトシロヌシ)だ。高天原からの使者タケミカヅチが大国主に「葦原中国」を譲るように言うと、「息子のコトシロヌシが答える!」と言って自分は引っ込んでしまう。コトシロヌシは別名「えびす」さん。ちょうど美保の関に魚釣りに出かけていた。そこへ伊奈西波岐命(イナセハギ)が伝令として伝えに行く。コトシロヌシはタケミカヅチにあっさりと「わかりました、この国はアマテラスの御子に奉りましょう」と言って、船を青葉の柴垣に変えてその中に隠れてしまった。どうしてそんない簡単に降参してしまったのかはわからない。そのあとコトシロヌシ、オオクニヌシがどうなったのか???  ここ地元の美保神社にはコトシロヌシが長く祀られている。
出雲の国の神社はどこも妻入りで高い階段、太い掘っ立て柱が特徴的な作りになっている。拝殿前で素晴らしさに感動して、裏側に回ると、あれれ! 本殿は2殿が並列しているのだ。コトシロヌシとミホツ姫の社殿が並列している。同じような形だが千木は縦削と横削になっているので男女の神が並んでいることがわかる。ところでミホツ姫はオオクニヌシの奥さん。コトシロヌシはオオクニヌシの息子だが母親はミホツ姫ではない。なんで義母と並んで祀れているのか、それは不明。でもなんかあやしい感じだ。
昨日5月10日は出雲大社の60年遷宮でオオクニヌシが仮殿から本殿にお戻りになる行事が行われていた。私等はNHKテレビで見ていた。オオクニヌシさんは出雲大社の本殿にお戻りになるとのことだが、息子のコトシロヌシはどうなさっているのか。ぜひ知りたくて翌日曇り空の中、米子から境港の橋を越えて車を走らせた。ここのお社は出雲大社と同じく大しめ縄がかけられた大社造り。3本の鰹木と千木が高々と天に向かっている。 
めおと岩:二見浦みたいだ 美保の港:「関の五本松」
 ところで美保関は大昔、国引きによって最後に引っ張ってこられた土地だ。どこから引っ張ってきたのか知れないが、杭は大山、引っ張った綱は米子空港がある弓ヶ浜の砂州である。美保の港はいい港で、昔は隠岐の船待ちの港、その後も北前船の港だった。元弘の乱(鎌倉幕府倒幕計画)で隠岐に流された後醍醐天皇の行在所もここ仏谷寺にあった。ついでにこの寺には八百屋お七の恋人の吉三の墓もある。どんな経緯があってここになってきたのか、これも不明。しかし山陰の海岸には面白い人の墓がたくさんある。そう言えば俵島のそばには楊貴妃の墓もあったなあ。


 この港は大いににぎわったようで、遊女もたくさんいた。いまは「青石通り」の路地として観光客に受けているが、この周りは船乗りや漁民で大いににぎわい、遊女も大勢いたという。今も美保神社のお参りの人で人は来るが、もちろん往時の賑わいはない。
 

美保灯台 灯台のカフェ
岬の先端には美保関灯台がある。無人灯台だが、昔の石造りの建物がすばらしいカフェに代わっている。ここで遠く海の彼方を眺めながら、スクナビコが手伝いに来てくれるのを待とうか。彼なら島根県の懸案の竹島問題をうまく処理してくれるかも・・・・・ 

忘れてた!! 脚注
◆事代主命(コトシロヌシ) 大国主命と神屋楯比売命の子:大己貴神と高津姫神の子。「古事記」ではこの神が父大国主にかわって高天原の天照大神の使者に国譲りの意を伝える。国譲り後は天孫の守護神的性格を持つ。
初代神武天皇から三代安寧天皇の皇后は、この神の子孫ということになっている。国譲りで、出雲の裏切り者になるが、後の支配者のもとでもいい地位を得たなかなかの策士の神さまだ。葛城の賀茂氏が信奉した神で、奈良県御所の鴨都波八重事代主神社に祭られる。別名一言主。 
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