立川断層 見学会       

砂利置き場みたい 巨大でユンボで掘った。 背後には大岳山が見える 
立川断層のトレンチが公開されるとの情報を得て、玉川上水の駅から歩いてみた。
もと日産自動車のテストコースがあったという広大な敷地の一角に250mに渡る長い溝が掘られた。
この溝のことをトレンチという。

東日本大震災以来、活断層が話題になっているが、東京ではっきりした活断層は「立川断層」だけなので、
がぜん注目をあび、これまで実施されていなかった地下掘削調査の予算がついたらしい。
調査の様子は情報公開されることになった。風が強く寒い日だったが、ジジババ連が大勢見学に来ていた。
地質学会の人たちが説明をしてくれていた。
「私の家は立川なんだけど、大丈夫かしら?」などの質問もあったが、
みなさんよく勉強され、「右ずれですか?」とか「断層粘土でしょうか?」など質問している人も多かった。
地質・地震に関しての関心はかなり高くなっているようだ。 
 実際のトレンチを見ただけでは、どこが断層なのかよくわからない。まして左ずれか、右ずれかなどわかるはずもない。
説明されて始めて、この線が断層らしいとわかる。私は関東ローム層が切られているかどうかを見たかったのだが、
テストコースを作るときに整地されたらしく、表面のロームはすべてはがされている。
それが分からなければ動いた年代は分からない。
・・・・掘った人たちはもう数箇所掘ってみなければいつ動いたか特定できないという。「なるほど!」
地質調査ってのはそう簡単ではないのだ」もう一ケ所別の場所で掘る予算はなさそうなので、
結局はよくわからないままに終わるのだろう。
とりあえずは予想されていたとおりここに活断層が確認されたということだろう。

上の写真にラインを入れたが、一本ではなく数本の断層が束になっているらしい。
  
 以下は現地の案内板から。人が多くてなかなかうまく写真が撮れなかった。けどなんとか字は読める
地形からの調査で逆断層と考えられてきた。

ほぼ20キロ
断層崖の形態は
撓曲崖(とうきょくがい)
・・・柔らかい地質なので膨らんだようになる。

M7.4 程度の地震を起こす

北東側が2-3m上昇

今後30年間に地震の発生
の可能性は高い。
(基礎情報は貧弱)

さらに情報収集が必要

 本調査地・日産村山工場
本来の地形を削ったり
埋めたりしてある。

断層崖にそって残堀川が
流れていた。

武蔵村山市の榎という
場所。
トレンチの長さは250m。

掘ってみるのが一番早い確認方法だが、住宅地などではこんなことはできない。
砂利の層が見える。
これは立川礫層

昔の多摩川が運んできた
川の砂利。

N(北)方向の面、
(南を向いている斜面)
右側(東側)が膨らんで
持ちあがっていることに
なっていたが
そんな兆候は見えない。

東側が高くなった
逆断層説は疑問??


N面 南を向いた面:ロームは断層の東側の高い所にあったはずだ。でも削られて見えない。
前に人がいて、陰になっているので文字は見にくい。

白い縦長の礫は粘土質の塊。
こんなものがあることは
不思議。

断層によって縦に窪地が
生じ、そこに上から
砂利が落ち込んできた。
一緒に粘土質の塊が
落ち込んできたので
縦に立った状態に
なっている。

ここらが断層帯だろうと
考えられる。
立川ロームは
富士箱根火山の火山灰
であるから、広く分布しているはずだ。

しかし途切れている。これは工場建設時に人工的に剥がされたので、昔の状態ではない。

ほんらい写真の右側(東)
方向に続いていたはずだが
それは同じ高さにの位置には見えない。

東側では断層によって
5mほど上に上がって
いたらしい。

でも今はどこにも見えない。
もし立川ローム層が切られていたら、活断層の活動時期が分かるのに。
 S面 方向(北側を向いた斜面) どこが断層か?? ロームの塊がなんでこんなところにあるのか??
S面は南側の面。北に
面している崖。こちらにも同じように砂利の層がある。

ここには断層崖の下を流れていた残堀川の堆積物が立川
ロームの上に残っている。

残堀川は立川断層に支配されて流れていただろう。
立川断層が繰り返し活動した跡が見える。

断層はほぼ垂直で、逆断層ではなさそう。

撓曲構造は見つからない。

逆断層ではなく、横ずれの可能性が高い。

しかし右横か左横かは不明。

今後の課題の明確化

 西武拝島線の土手の高さが、断層の落差を示している。ほとんどこんな畑地だった。
土台部分はブロック4段分の
差がある。

これまでの見解では、高い方がさらに2-3m上昇するとのことだったが、今回の見解は、横にずれるのでは・・・・・・

ということは道路に描いた
方向(右横ずれ断層)に
動く可能性があるということ。
もしかすると逆かも。
玉川上水はほとんど直線状に
来るが、武蔵砂川付近で
立川断層にぶつかる。
そのまま、まっすぐに来ると登りになり逆流してしまう。

そこで玉川兄弟は、断層避けるように迂回して、台地の上に
上がるようにした。

見影橋と金毘羅橋との間での
大きな曲がり
 立川断層のトレンチを見学して、断層の把握は難しいものだとわかった。
原発で、調査委員会の方々が、検討されている。
「見たらわかるじゃないか!」と思ったが、見てもなかなか判断は難しい。
そんな情報から、いつ地震を起こすのか? と問い詰められても答えようがない。

ここにかつて動いたことがある断層、活断層があるということは確認できた。
しかし、それがどんな断層か、専門家が懸命に頑張っても簡単には分かりそうもない。
あと数本のトレンチを掘る必要がありそうだ。
大変なことでも、東日本大震災や神戸の大震災などを思い出すと
どうしてもやらなくてはならない仕事だと思う。復興予算をこんなところに使うことは
問題ないと思うので、どんどんやって欲しい。
若手の研究者の方々が説明してくれていたが、彼らの待遇もよくしてやってくれ!

ところで、これだけ調べられているのに、どうして立川断層の上に住宅をつくったりするのだろう。
行政は立川断層の上にある農作地は宅地にはさせない。とか住宅建設ま認めないとか
やるべきだろう。これだけ関心が深まれば、不動産業者はどこが立川断層か知らないわけはない。
知ってて売ったり買ったりしたら、これは詐欺になるよなあ。

玉川上水の工夫を見れば、江戸時代の人の方がはるかに賢かったことがわかる。
知っているという知識だけではだめで、それをもとにどう行動するかが
知恵というものだろう。知識人ではなく知恵者にならなくては・・・・・!

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