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■2016年の11月、一年ぶりに「四国88ヶ所遍路」再開した。前回で高知県、土佐の国の札所を巡り終えておこうと思ったが、第39番の手前で、雨が降り始めたので、土佐くろしお鉄道の平田駅で終了した。今回はまだ寒い時期だが暑さよりはマシだと考え、2月26日に平田駅にむけて出発した。第一歩は前回の終了の地点からということにこだわっている。■私の遍路旅は文字通り遍路(辺路)であって、四国88ヶ所の札所を歩いて巡ることが最大の目的で、スタンプラリーのように札所まで車で乗り付け、ご朱印をいただくことではない。ここまで長く楽しく生きられたことに感謝をして歩いている。そして崇敬する弘法大師空海さんに感謝のお参りすることにしている。空海さんは四国遍路を何十回も繰り返したというから、私も少しは見習って歩いてみようと思い立った。我が友人のなかには何回もくり返し巡っている者もいる。私も空海さんや先達にあやかりたい。生きてるうちに一回は88ヶ所を行きたいものだ。
■朝羽田を立ち、富士山の絶景を見てから龍馬空港につき、高知駅から特急で四万十市の中村駅へ、さらに土佐くろしお鉄道で平田に向かった。家を6時前に出て、平田についたのは午後1時半。四国でもかなり最涯てに近い場所だ。ここから第39番延光寺に向かう。わずか3キロだがしばらくぶりの歩きなのでけっこうきつい。しかし谷の奥に向かう里の道はいい気分だ。
■今回の予定は1週間。次回のことも考えてなるべく愛媛県、伊予の国の松山空港に近づいておきたいからだ。予定では大洲か内子まで行き、そこからは鉄道で松山に行こうと思っている。そうすれば次は松山空港から2時間ほどで、今回終了時点に戻れるからだ。
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こんな近くで富士山を見たのは初めてー宝永火口がはっきりわかる。1707年に大噴火した。 |
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土佐くろしお鉄道:みはら村支援の車両 |
駅構内:列車でお遍路の宣伝! |
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国道56号線:宿毛へ向かう道 |
第39番から宿毛(すくも)への遍路道 |
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仁王門 |
大王松 |
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鐘つき堂は重文 |
東京からの遍路さん:バスで! |
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こちらが大師堂 |
おぼろ夜の赤亀にのる鐘ひとつ(黒田杏子) |
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■39番の延光寺で高知の札所は終わる。この寺は神亀元年(724年)に行基が薬師如来を刻んで本尊とした。その後桓武天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」(上の写真)を掘ったといわれる。
さらに延喜11年(911年)赤い亀が境内にある池からいなくなったが、やがて銅の梵鐘を背負って竜宮城から戻ってきた。そこで現在の赤亀山という山号に改めた。境内に鐘が背中に乗った亀が居る?
■東宿毛へ歩き、列車で中村まで戻り、宿泊。前回終了のときに自転車をあずけたYAMADAさんと夕食。彼は足摺岬に近い松尾出身で、東京農大に進学後、探検部で活動。世界の大河の川下りを敢行。アフリカのコンゴ川からナイル川にでるルートを探って、アフリカのチャドなどで活動をしていた。現在は一時中断。四万十で子育て介護生活をしている。彼の配下からすごい探検家が生まれている。隊長として魅力的な人だ。どうしてこんなスケールの大きな人間が生まれたのか。その話を聞きたかった。
■彼の生まれたところはジョン万次郎の出身地の中浜よりもさらに太平洋に近い松尾集落だ。いまでこそトンネルで行き来できるが、数年前までは臼碆(うすばえ)という断崖絶壁の岬を越えていかなければならなかった。目の前の海しか世界が開けていなかった。だから世界に出ることには抵抗がなかったという。土佐から坂本龍馬、岩崎弥太郎、ジョン万次郎など世界的な偉人がでたのはそんな風土が関係していたかもしれない。
■つぎの伊予の国は山越えがたくさんあるので自転車は使えない。めんどうで申し訳ないがYAMADAさんに処分してもらうことにした。高知県を一年半に渡ってともに旅をしてきた仲間?なので、自分で捨てるのは忍びなかった。YAMADAさんよろしく!
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平田駅ー第39番延光寺 |
3q |
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第39番ー東宿毛駅 |
7q |
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東宿毛ー中村:宿泊 |
5q |
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土佐くろしお鉄道 |
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