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四国遍路第11回 2日目                  2018.10.9 
昨日終了した琴電の八栗駅に戻り、歩きだす。本日もこれ以上ない晴天。50数年前の10月10日は東京オリンピックの開会式。本日のような秋晴れだった。
2020年五輪は8月開催、なんでわざわざ暑い時期を選んだのだろうか?  7月8月、歩きのお遍路さんはほとんどいない。夏の休みにあわせて来日した外国人たちも今年は難儀したようだ。
  本日の予定は下の地図にあるように八栗寺に上り、塩屋駅にくだり、海辺を歩いて志度寺に向かうつもり。距離は上り3q、下りと平地が7qと短いが今の私たちの実力ではこれが限度かもしれない。


■ 駅のそばに源平合戦の時安徳天皇の行在所の総門があった。義経弓流しの場所もすぐ近い。壇ノ浦はその後は塩田として利用され、今は完全に埋められて住宅地になっている。背後に昨日上った屋島がある。時々後ろを向きながら五剣山八栗寺を目指して歩く。道の周りには石屋産が並ぶ。高級墓石の「庵治石」の産地だ。いまや八栗山の下部は掘りつくされている感じだ。瀬戸内海の島々はこんな場所が各地にある。
八栗寺に上るためのケーブルが施設されている。昭和39年に作られたケーブルだが現在も快調に動いている。四国88カ所霊場は山上にある寺も多い。四国ケーブル会社は雲辺寺や太龍寺などにもロープウェーをかけて遍路さんの手伝いをしている。
私たちは地に着いた遍路をしているので、空をかける乗り物には乗らないと決めていた。
しかしここ八栗ケーブルはロープウェーではなく地を這うケーブルカーだ。なので私の主義には反しない。
隣の屋島ケーブルは廃止になった。そのわきを通っていながら一度も乗ったことがなかったので今回廃墟を見て後悔した。
八栗ケーブルに乗る口実はいくつもできた。

第85番札所 八栗寺
ケーブルを降りて驚いた。目の前に庵治石の鳥居がある。ここは弘法大師のゆかりの寺だぞ。中に入ると寺には珍しい狛犬が何対もある。聖天さまの前には大根のつがいもある。聖天(歓喜天)は何かごちゃごちゃという感じでうれしい。
 ところで大師堂はどこに? 境内の地図を見るといちばん奥にある。その近くにある赤い多宝塔に気を取られて見すごしたらしい。霊場巡りの緊張感が足りない


お大師様がお迎えくださる! まず鳥居が目に付く:背後は五剣山
鳥居の奥に仁王門 大師堂は一番奥
伽藍配置図:ケーブルを下りて正面へ 地震が来たら落ちるな!  多宝塔
ここが本堂 本堂よりも立派に見える:聖天さま
弘法大師が修行をしたときに、天から五振りの剣が下りてきたことから五剣山という。
蔵王権現があらわれ、永く守護することを約束した。

弘法大師は唐に行く前に五剣山を訪れ、8個の焼き栗をうずめた。
帰朝後、この栗はすべて成長したということから八栗寺という。

山岳修行の地として大いに栄えた。しかし天正年間(16世紀)、長曾我部軍によって焼かれた。江戸時代に松平家によって復興した。

ご本尊は聖観世音菩薩だが、本堂前にある聖天堂の歓喜天が人気が高い。
歓喜天は夫婦二天の神さま。人を歓ばせ、自分も喜ぶインドの神さま。縁結び、商売繁盛、学業成就のご利益が高いので、各地からお参りは絶えない。


85番八栗寺を10時に出る。下りの遍路道はかなり急な舗装路で膝がガタガタになる。途中でおばあちゃんに道を聞くと、新しい道ができてよくわからない。途中で塩竈神社の狛犬を見たり、・・の墓をみたりしながら塩屋駅に出る。踏切を渡って広い国道に出るがすぐに旧道に出る。JR線と琴電の間を通っていくと「源内通り」になる。平賀源内の故郷だそうだ。 
水門の向こうが志度湾 塩竈神社 遍路創始者、真念の墓⇒第5回
平賀源内記念館 志度寺奥の院 お昼は豪華お料理

奥さんは琴電にのって先に志度駅に行き、近くの食堂を探した。私といるとお昼はほとんどコンビニおにぎり。少しマシな食事をしたいと思っていたようだ。おかげで本日は豪華な地元料理を食べることができた。それもふつうの料金で。

    第86番札所 志度寺 
  志度湾の前に86番の志度寺があった。大きなわらじを両側にたてた仁王門があり、外からも立派な五重塔が見える。四国霊場は山岳修験の道場だった寺が多く、海に面した寺はここぐらいである。室戸岬、足摺岬にも霊場(札所)あるが、それは高い崖の上で海に降りるのは難しい。
 志度寺は、海と関係のありそうな珍しい寺である。

 推古天皇33年(625)の建立というから四国霊場屈指の古刹である。海人族が精舎を建てたのが始まりと言われ、その後藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけた。
 不比等の次男房前(ふささき)は、母(海女)の菩提を弔うために行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場とした。

志度寺の縁起には、藤原不比等がこの地の海女に産ませたのが房前とある。海女の母は不比等に、息子の房前を藤原家の跡取りにするように頼んで亡くなった。房前は藤原北家の主になった。志度はこの話をもとにした能「海士(あま)」の舞台である。お能の愛好家であるわが奥さまは「房前という駅があった」と感激している。
四国86番 志度寺 大きなわらじ:仁王門
ご本堂 大師堂
屋根が傾いた! 自然のままに! 奪衣婆堂
 
平賀源内もここで過ごした? 五重塔も立派 お遍路さんも多い
これはなんだ? 仁王さんは運慶の作と??  
■本日2番目の四国霊場:まえの八栗寺も立派だったが、この志度寺もすばらしい。
海辺の平地にあるので、足腰が悪くても参拝は楽である。
これまでの寺は、かならず長い石段や急な坂登をしなければいけなかった。
琴電の志度駅を降りたらゆっくり歩いても15分でつける。
琴電:志度線の終点は「志度」駅である。琴電はお遍路電車のようだ。 

志度寺でゆっくりしたが、まだ1時で本日は10qしか歩いていない。
日差しはあるが涼しいのでまだ歩けそうなので、次の87番を目指すことにした。

志度寺から長尾寺までは7q、ほぼ2時間の距離である。さぬき市のバス道を黙々と歩く。バス道だがコミュニティバスは一日に4本しかない。

志度寺で3番目のバスの時間は過ぎた。次は3時間後だから期待はできない。お休みどころもコンビニもない。

へとへとになったころにスーパーのマルナカが見えた。トイレを済ませ、バナナ・ミカンを買って休む。お茶のサービスがあった。地元のおばちゃんのおしゃべり場になっている。

マルナカから長尾寺まではすぐなのだが、なかなか腰が上がらない。
やっとたどり着いた頃ころには日は真横から差す感じで、写真が撮れない。

志度寺の料理屋さんで会ったキャンピングカー遍路さんとここでまた会った。
彼は車を八栗駅前に置いてきたので、これからそこに戻って寝るのだそうだ。
志度駅から八栗駅までは琴電だが、そこまで7qは歩くしかない。
いろいろなお遍路さんがいるものだ。

 長尾寺からは琴電長尾線がある。明日の晩泊る宿が白山(しろやま)駅のそばに見える。
本日予約しておけばよかった。私たちは高松REIホテルに2泊予約したので高松市内まで戻った。
昼豪華な食事だったので、夜はスーパーで買った総菜を部屋で食べる。
明日は雨が降りそうだ。最後の山越えが心配だ。

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