但馬・丹後一宮めぐり と
2012年  植村冒険館  コウノトリ  但馬一宮 ジオ景観     
 但馬の一宮・出石神社
 
  豊岡市に合併したが出石は古い城下町で、文化的にも優れた町だった。こんかいわずかの時間しかなかったが、JR江原の駅から急いで但馬の一宮である出石神社にお参りした。江原から出石には、昔は軽便鉄道があった。まだ円山川の中には橋げたが残っている。いまはバス便は2時間に1本しかない。11時40分発のバスの乗客は私たちだけ。一宮を、この地の人は「いっきゅうさん」と呼ぶのだと運転手さんから教わった。出石川の堤防の上にある鳥居前という停留所で降りたが、ここから神社までは遠かった。 
 
 この神社の鳥居は「両部鳥居」(右)という形式だ。両脇には頑丈な脚が付いている。この鳥居は神仏習合の神社に多いものだそうだ。一番有名なのは厳島神社の海の上に立つ赤い鳥居だろう。 ついでに[鳥居]というバス停は、河川改修の際に土中から鳥居の木口が出土したことに由来する。その木口は保存されている。・・・・
    但馬一宮はもう一か所、兵庫県朝来町の粟鹿神社(あわがじんじゃ)がある。

 しかしこの出石神社も立派だった。祭神はアメノヒボコの命である。この神は、「私は新羅の主の王子である。」と名乗ったという。この神様は新羅で夫婦ケンカをし、妻のアカルヒメは難波に戻ってしまった。アメノヒボコは妻を追って日本に来たが、難波の海を支配する神(住吉さん??)が遮って妻の元へ行くことができなかった。

そこで但馬の国に行き(なぜ但馬なのだろう?)、そこで現地の娘マエツミと結婚し、但馬の国つくりに貢献したそうだ。

 さらに古事記ではアメノヒボコとアカルヒメの子孫がタジマノモリ(但馬の守?)で、その次のタジマノヒタシの娘が息長帯比売命(神功皇后)の母であるとされている。
   
 
千木は外削ぎで、高くそびえている。男神だ!
 
発掘された昔の鳥居の木口
   
ちょっと弱そうな狛犬
両方とも角がある?
 
   
両部鳥居の両側の狛犬。
左右は拡大版
 
 
    ほんの数十分の見学で、バスに戻ろうとしたが、時間が足りない。そこで後ろから来た車に頼んで、バス停まで乗せてもらった。奥さまは計画性がないと怒ったが、時には地元の人にお世話になってもいいじゃない。私だって田舎道を走るときには乗せてあげているのだから。

   
 ところで出石には永楽館という古い歌舞伎小屋があるという情報を得た。1901年に染物商の小幡家により建設され、但馬の芸能文化の中心となり、歌舞伎や落語、宝塚歌劇団などの公園も行われたそうだ。
しかし1963年ごろから、一部パチンコ屋に改装されたが1973年に閉鎖された。1989年「出石城下町を活かす会」によって、使用が再開されて、1998年に出石町の文化財に指定され、豊岡市によって創建時への復元工事が開始され、2008年に完工した。

 座頭6代目片岡愛之助によるこけら落とし公演が行われた。今回は時間がなかったが、11月の公演には、ぜひ来るぞ!
と奥さまは張り切っている。
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丹後の一宮・籠(この)神社
 天橋立まで行くと観光バスがたくさん集まっている。立派な石の鳥居がたっており、元伊勢・籠神社である。丹後の一宮だが、元伊勢の方が集客効果があるのだろうか・・・・?
ここに自転車を止めて参拝というか見学。私は全国一宮巡りをしているが、あまり信心心があるわけではない。お賽銭を入れるが、それ以上お祓いをしてもらったりすることはない。それぞれの地方の人々がこの神社をどう守ってきたのか、その地にあってどんな意味を持っていたのかなどを考えたいと思って、巡っている。そこにどんな神様が祭られているか、その神様はどんな神様か、それも大変興味深い。この前に参拝した但馬の一宮、出石神社の神は、新羅の王子だった。

 丹後、但馬地方は昔は大陸からの表玄関。新羅からの神様もしばしばやってきたのだろうと思っていたら、籠(この)神社は元伊勢で、大和におられた天照大神が引っ越してこられたのだそうだ。私のイメージでは、大陸からやってきた一族が、この地を拠点にしてさらに都の方に行ったというものだったが、どうも逆で大和からここに移って、さらに現在の伊勢に移っていったという。「ウウーン、大和で勢力をそがれた天照大神一族が都落ちしてここに移り、再起を図って今度は伊勢の方に移った」と思えばいいのかな・・・・!
  
 
鰹魚木は6本
 
鰹魚木は8本 拝殿

鰹魚木は10本、伊勢内宮と同じだ! 内削だから女神
 籠神社は元伊勢らしく本殿には鰹木が伊勢神宮と同じく10本載っている。拝殿には8本、門には6本と、奥に行くほど多くなっている。あまり気がつく人はいないみたいだが、これはなかなか意味深いことだ。

 籠神社の宮司さんは海部さん、80何代続いているのだそうだ。海部という名前は海と関係が深い。総理大臣だった海部さん、海ではなく宇宙を研究するすばる天文台の海部さんなど関係ある海部さんなのだろうか・・・?

ちょうど夏越の祓い 茅の輪くぐり 

天の神様を先導した神様・天のうずめの夫神
 籠神社の社殿、鳥居などは新しく、金ぴかなので観光客のうけはいい。かなり古いのは拝殿入り口の狛犬で、これは重要文化財だ。よなよな町に出て悪さをする狛犬をおとなしくさせるために岩見重太郎・・・・・おお久しぶりに聞く・・・・が切りつけた傷跡が狛犬に残っているそうだ。岩見重太郎って、講談では有名な三大豪傑の一人、ほか二人は塙団右衛門と後藤又兵衛だ・・・・と言っても知ってる人は少ないだろうか。重太郎はここ天橋立で、兄と父のカタキ、京極家の三千人を相手に戦うのだが、その助太刀に豪傑二人もやってくる。講談の話はなかなかおもしろい。子どものころにはよく聞かされた話なので、懐かしい。「おおここで岩見重太郎は敵を討ったのか!」・・・・・・いいねえ!
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籠神社の奥社・真名井神社
 籠神社の奥宮にあたる位置に真名井神社がある。「真名井」というのは「神聖な水の出る井戸」のことで、とくに「天の真名井」(あめのまない)というのは高天原にある神聖な井戸で、最高の清水だそうだ。先日高千穂に行ったときに「くしふる神社」に真名井があったのを思い出した。その大事な井戸の神社には衣食住をつかさどる豊受大神が祭られる。
 
 地蔵さんの脇に真名井の井戸がある。井戸は2004年の台風23号の被害で水が枯れたが、2006年に新しく100mほど掘って新たな水源を見つけ、現在にいたっているそうだ・・・・京都新聞・・・・。真名井ならば千古の昔から枯れることなく湧きだしていなければならないのに。関係者はけっこうあわてたのだろう。暑い日で、自転車で少々疲れていたが、この水を飲んだら元気が湧いてきた。霊験はまだあらたかなのだろう。
  
   籠神社から天橋立を後ろに、参道を上がると天橋立ユースホステルの建物がある。昔、伊根の舟屋を見に来た時、このユースに泊まったような記憶があるが定かではない。・・・左

ユースの脇に「波せき地蔵」があるが、1300年前におこった大津波がここで食い止められたという。この地の標高は30mあるから、もし本当なら東日本大震災の津波よりも大きい津波があったことになる。・・・・・下2枚

 この近辺は大飯原子力発電所をはじめとする原発銀座であるから、この言い伝えの真偽も少しぐらい考慮する必要があるだろうに。
   
   
   真名井神社の本殿の裏に磐座がある。古代の神社のご神体は磐座だった。大和の三輪山は古い遥拝形式を持っており、本殿がなく拝殿から三輪山の磐座を遥拝するようになっている。

 磐座こそが神さまの宿る場所なのだ。ここ真名井神社は天照大神、天ノ御中主、宇迦之魂、そして塩土老翁、スサノオ、猿田彦など多くの神様の磐座がある。さらに奥の山は禁足地になっており、だれも入ることはできない。
   

 籠神社の「籠」という字は竹かんむりに龍の字がある。奥社である真名井神社の狛犬は犬ではなく龍になっている。籠神社も新しいのは龍の狛犬??だが・・・・
 右は真名井の霊水
 
 真名井神社の入り口にこんな右写真のような石碑が建っていた。どう読むのかわからない。ヒントは左手にある新しい御影石の石碑。「よさ」かな?? 丹後半島は与謝半島ともいう。昔は与謝郡だった。籠神社、真名井神社なかなか興味深く、霊験あらたかな神社だ。パワーをたくさんいただいて天橋立の松原の縦断にむかう。と言っても2.5kmほどしかないが・・・・・

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