貴船神社:ここもパワースポット
貴船川の奥にある貴船神社は本宮、中宮、奥宮の三社で成り立っている。
本宮は「高おかみの神」奥宮は闇(くら)おかみ神が祀られているが、これの神は同じ神だという。
もともとは奥宮のある場所が本宮だったが、千年前洪水で流され、現在の高台の地に遷宮したとのこと。
古くから皇室、庶民の間でも信仰は厚かったが、鴨川上流に位置するところから、賀茂別雷神社の摂社となっていた。
明治の時代になってやっと独立して現在に至っているそうだ。
隣りの鞍馬寺との直接の関係はなさそうだが、神仏習合の時代にあっては、両方に参ることも盛んだった。
ちなみに貴船は地名は「きぶね」と濁るが神社は清らかに「きふね」だという。
もともとは神武天皇の祖母である玉依姫(たまよりひめ)が淀川、鴨川をさかのぼってここまでやって来たときに
使った船が「黄船」だった所から、この名がついたそうだ。
・・・・・いつの話だろう??この急流を船で上るのはちょっと無理があるが。まあお話しだからいいか!
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下の地図は鞍馬山の時に使ったものと同じ。貴船神社へ行くには貴船口で電車を降り、歩いて40分ぐらい。
バスもあるが、いい散歩道なので歩いた方が気持ちがいい。私たちは鞍馬からやってきた。鞍馬駅からは
山を越え、魔王殿を過ぎて鞍馬山西口へ下りる。山越えは200円!!
貴船川の狭い谷底にある。  貴船神社は縁結びの神社としても有名 
本宮:新しい社殿だ。 龍船閣:
貴船神社は絵馬の発祥地だという。 
歴代天皇から、降雨・止雨の祈願に際しては、生きた白馬、黒馬を献上して祈願させた。
しかし、平安時代になると生馬に換えて簡略化された「
板立馬(板に馬の絵を描いたもの)」が奉納された。
この
「板立馬」が今の「絵馬」の原形といわれている。

ご神木である「桂」

下から見ると清水の舞台の感じ:紅葉の名所

貴船の床:川の上の座敷を作って涼をとる。

貴船の床のシーズンは終わって、床は取り払われた

奥宮への参道:ここは丑の刻参りの道、安部清明でもかなわないパワーがある。
 奥宮も新しくなった。大昔はここに本宮があった。  玉依姫ののった黄船:舟形石。
夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立った。当時は奥宮が本社で、
参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝した。この川は物忌(ものいみ)の川。
和泉式部もここで身を清めて恋の成就をねがった。「おものいみ川」が和泉式部の話と重なり、「思い川」と呼ばれた。
謡曲「鉄輪」(かなわ)では大変恐ろしい話。

ある夜、貴船(きぶね)神社の社人に夢の告げがありました。
丑の刻(うしのこく)[午前2時頃]参りをする都の女に神託を伝えよ、というものです。
 真夜中、神社に女が現れました。女は、自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるため、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていたのです。
 社人は女に、三つの脚に火を灯した鉄輪(かなわ)[五徳]を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みどおり鬼になる、と神託を告げ、逃げ出します。
 女が神託通りにしようというやいなや、様子は変わり髪が逆立ち、雷鳴が轟きます。雷雨のなか、女は恨みを思い知らせてやると言い捨て、駆け去りました
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「鉄輪」のような恐ろしい話だけでは、参詣人はあまり増えないだろう。
貴船神社の人気のひとつは中宮である「結社」だろう。この宮に祭られているのは磐長姫。
あまり知られていないが天孫ニニギの奥さんになった木花咲耶姫の姉だ。彼女の父である大山祇命は
姉の磐長姫も一緒に嫁がせたが、瓊々杵は醜い磐長姫だけを返してた。それを恥じた
磐長姫は「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」と言ってここに留まった。
・・・・ニニギってのは嫌な神だな。奥さんの木花咲耶姫が懐妊した時も「私の子ではないだろう」と疑った。
怒った木花咲耶姫は産屋に火を放って子どもを産んだのだ。・・・・
磐長姫は見た目は悪くても心根のやさしいいい人だった。和泉式部は、磐長姫の心情に期待して、
ここの社に祈願したら、夫の愛を取り戻した。和泉式部の結びの神として、この中宮は「結社」と言われるようになった。
多くの若者たちに人気のあるスポットになっている。
もうひとつついでに、この社には立派な岩舟がある。これは平成8年に奉納されたものだが、
なかなかいい形で、信仰の対象になりそうだ。
和泉式部の絵馬と歌碑:「ものおもへば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる」
結びの社:中宮  こちらも舟形石:平成になって奉納!
  貴船口駅そばにある一の鳥居
鳥居をくぐると川に落ちる(道路が新しくなった)

鳥居の脇に梶取社がある。黄船の梶をとった神を祭る。
人生の方向を示してくれると信仰が厚い。 

貴船神社が縁結び、人生の梶取りの神社として
人気があることは、こんど行ってみて初めて知った。

我が家は40数年前に、ここに来たことがある。
その時は貴船の床で「ボタン鍋」を食べたような・・・

今いろんな縁を得て、人生の舵取りも、まあ
それほど失敗していないのは、若い時に
ここに参ったおかげかと思っている。

信心と言うのはこういうことなのだろうか。

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