孫に連れられて利尻岳登山
2003年の夏。一家そろって!
田中牧場の牧草地、乳牛。集めるのは大変!
礼文島からのフェリー。今は観光客だらけ。
寝袋をぶら下げて歩く。風呂マットは私が持っている。
朝ご飯。4時に起きた。
甘露泉水で水分補給。
もうすぐ4合目。シラビソの林。
まだ雪渓が残っている。お花畑。
もうやだよ。どこまで登るの?
長官山から頂上。避難小屋が見える。
頂上でラーメン。兄ちゃん。
ガラガラ崩れそうな頂上直下。全部火山岩。
利尻島の地図。赤い線をたどった。

 北海道の北のはずれの稚内に近い豊富という町に私の「孫」みたいな子どもたちがいる。田中雄次郎、典子夫妻の人の子どもたちなのだが、生まれたときから見知っている。夫妻とも私の古い教え子で、雄次郎君は年、北の宗谷岬から九州南端の佐多岬まで日間かけて歩き通した。使ったお金は万円、日円ちょっと。旅館に泊まったことは一日もなくほとんどが野宿だった。その旅の第一日目の宿が沼川の駅。まだそのころは稚内から浜頓別に通じる国鉄天北線の線路も駅舎もあった。

 旅を終えてから<数年後、その沼川駅の近くの豊富町豊幌に夫妻で入植し、現在は乳牛の牧場を営んでいる。東京ドーム70個分以上の牧草地で自分の飼育する牛の牧草を生産している。今の時代、酪農も分業化で輸入牧草を買った方が手間もコストもかからないが、自分の畑の安全な牧草を食べさせ、放牧で十分運動をさせることにこだわっている。そんな頑固な酪農業をやっていても、それが報われることはあまりなく、収入は相変わらず低く、借金の返済もままならない。「少しは手抜きをしろよ」と私たちは言うが、夏の農繁期は夫婦とも寝る間も休日もなく働いている。

 よくしたもので子どもたちはよく手伝う。まだ保育園児も放牧されている牛を牛舎に追い込む仕事をする。私も時々手伝うが、丘に離されている数十頭の牛を集めるのは大変だ。人をバカにした態度の牛もおり、なかなか立ち上がらない。立ち上がっても勝手な方向に歩いていく。保育園児の言うことを牛はなかなか聞いてくれない。手伝ってくれる人もいないから半べそをかきながらでも、棒をもって牛を追うしかない。テレビ番組「初めてのお使い」を毎日やっているようなものだ。中学年のそらちゃんは牛舎のクソ掃除、これがまた重労働だ。お兄ちゃんは要領よくやるのだが、彼女は時間もかかる。それでも途中で投げ出して遊びに行けないことを自覚しているので、黙々とやっている。

 昨年、2日間休暇をもらって子どもたちを利尻岳に連れていくことにしたのだが、天気が悪く中止になった。今年こそはと子どもたちは楽しみにしていたようだ。中学生になったそらと小学生の寛太は教会のキャンプで利尻に行くことになっているので、高校生の雄馬と真生を連れての利尻登山になった。
 これまで私は利尻には何回か登っているが、今度は格別思い出深い登山になった。孫みたいな子どもたちに遊んでもらう。こんな幸せなことがあっていいのかと思うほどだ


 稚内の港は北の防波堤に守られたところにある。思ったより大きなフェリーから大勢の人が降りてくる。夏の短い期間、利尻島、礼文島は観光地だ。あいにくの天気で海から屹立している利尻岳の姿は見えない。鴛泊の港から登山口までは舗装道路で、たいていは車で行くのだが我々人は歩き。久しぶりに太陽が照りつけ暑いこと。
 15℃が適温だという高校生は上半身裸。適当な大きさのリュックがなかったので寝袋とテントは手にぶら下げてキロほど歩く。寝袋の下に敷く銀マットがなかったので、家にあった古い風呂マットを持ってきたが、さすがに高校生は恥ずかしくて持つのはいやだという。仕方なくおじいちゃんが持つことにする。しかしマットがないと地面の冷気が直に背中に伝わって眠れないぞ。
 
 2時頃にはテントも張り終え、やることがなくなったので、4キロ下にある新しくできた温泉センターにいく。利尻岳は火山だから、どこに温泉がでても不思議ではないが、これまで天然温泉はなかった。ゆっくり露天風呂につかり、遅いお昼をたべて、また暑い舗装道路をテント場までもどり、こんどは夕食。朝おかあさんに巨大なおにぎりを二つづつ作ってもらった。昼、夜に十分な量だろうと思ったが、高校生はいくらでも食べる。都会のコンビニおにぎりではとても間にあわない。もっとも北北海道にはセブンイレブンもローソンもない。彼らによれば美深町がセブンイレブンの北限だそうだ。
 朝用に一人1合づつご飯を炊いたが、これで胃袋を満たすことができるか心配になった。 
 
 朝4時に起きる。北の夏は日の出は早い。もうあたりは明るく、出発の人たちもいる。昨日炊いておいたご飯に、みそ汁缶詰で朝飯。3合のご飯はあっという間になくなった。昼は頂上でラーメンライスを作ることにする。5時頃やっと出発。すぐに日本百名水の一つ甘露泉にでる。ここはすでに3合目。この先に水はまったくないので、ペットボトルに3本ずつ汲んでいく。4合目までは30分。ここまではトドマツ(シラビソ)やエゾマツのうっそうとした森林地帯だ。アカゲラなどの野鳥も多いとのことだが、眼力がないので見分けはつかない。

 5合目に向かう途中から、シラカバ、ダケカンバの背の低い森になる。ジグザグの登りになるが見晴らしはよくなり、雲の上に礼文島が浮かんで見える。「きつい」と不満げだった真生くんも景色がよくなると足元も軽くなる。途中我々より先にでた人が、さも疲れた表情で横たわっている。タバコで元気づけているだけだと言っているが顔色も悪い。なぜこんな時にタバコなど吸うのだろう。と子どもたちは考えたようだ。

 七曲がりを抜けると7合目。出発から1時間半立っている。このあたりからはい松帯になってくる。本州だと2500m以上のところにある這い松だが、ここでは1000m程度のところに生えている。森林はなく見通しがよくなってきたので真生は元気が出てきた。目の前には長官山が本当の頂上のようにそそり立っている。「あれが頂上だよね!」と言うので、「いやその上に本当の頂上があるんだ」と説明するが、山に登ったことがない真生にとっては理解できないようだ。

 急な登りをすぎて長官山に立つと目の前にデッカイ本当の頂上がみえる。「なんだ、まだまだ遠いじゃないか」と不満そうだったが、無視して先に進む。ササやはい松の中をかき分けて避難小屋につく。まだ分、長官山からは数年前にここに泊まった覚えがあるが、そのときと同じ小屋だろうか。記憶が定かではない。

 裏手にトイレがあるが、すべてウンチは特殊な袋に入れて持ち帰ることになっている。我々も各自もらったトイレ袋を持っているがこれを使うのはかなり抵抗がある。長官山が8合目、そこからはかなりの登りで9合目に着くが、この間がながい。追い越した女性から何回も9合目はまだでしょうか?と聞かれる。まわりはお花畑。日が差していないので色がくすんでいるが心和ませてくれる。高校生は下の方では、「これは牛が食べる草、これは食べない」と詳しかったが、花はどうでもいい感じ。

 9合目に7時40分着。このあたりは草木が全くなく石がごろごろできわめて歩きにくい。ここから先が正念場。とんでもない急斜面で、岩は崩れやすく、足がかりはないので歩きにくい。一歩踏み出すごとに岩が崩れるので下の人は危険だ。人々が歩く登山道はえぐれて溝になっている。雨が降ればさらに深くえぐってしまうのでさらに登りにくくなるだろう。真生は「もういやだ、どうしてくれる」という雰囲気だが、さすがおにいちゃんはすいすいと登っていく。「三点確保だよ」と専門的な言葉を実行している。要はバランスの良さなのだろう。高校一年生はまだその技術が未熟だ。老人力がついた私はもうほとんどバランスなどないので、ズルズル滑りながら登る。バランスは悪いが、だらだら力はついているので飽きずに繰り返し、頂上に到達。

 50m ほど手前で、おじさんが「あとどれくらいで頂上か?」と私に詰問する。「あそこですよ!」というと「本当だろうな! 私の体力は限界だから、もしあの先に頂上があったらもう下山の体力は残っていない」と私に責任をかぶせる。私たちはハーフパンツだが、このおじさんは上下ゴアテックスの雨具をつけ、ごっつい登山靴を履いている。ザックも縦走用のように重そうだ。軽量化も安全対策なのに。

 頂上には8時10分着。あんなおじさんに関わっていなかったら3時間を切って頂上に到着していたのに。頂上は南峰(1721m)と北峰(1719m )があるが、南峰は足場が悪く登山禁止。北峰を頂上としている。こだわる人にとっては2mの差は大きいかもしれないが、危険を冒して挑むほどのことではない。神社のある方を頂上としよう。

 腹が減った高校生のために急いでラーメンを作る。鍋が小さいので回に分ける。このために家からどんぶりを持ってきたので、少ない麺を分けて食べる。隣のテントにいたお兄さんは、ちゃんと弁当箱にご飯を入れ、サンマの蒲焼きの缶詰をあけて昼食にしている。真生はうらやましそうに話しかけている。この子はものおじをしないでいろいろ話しかける素直さを持っている。お兄さんは一人で北海道を旅しており、今日登ったら明日は礼文に行くんだってと私に報告してくれる。

「おれも旅してみてえなあ」という。
「そうだ親父のように旅をしてみろよ」
体力限界のおじさんは、雨具をぬいポーズをとって何枚も写真をとってもらっている。そして「いま利尻岳の頂上だ」と電話をかけまくっている。本人は感激していても、受けた人はこんな早い時間になんだと思うだけだろう。と我が方をみると、高校生は2人とも携帯電話に夢中だ。メールをしたり、写真や動画を撮ったりしている。

二人とも携帯電話を持っているのだ。でも彼らの家は携帯の圏外で、町に出たときにしか電話はできない。こんな頂上でできるとは思ってもいなかったのだろう。交通の便のない彼らの家では、携帯で家の固定電話に連絡して迎えに来てもらうしかない。町中の公衆電話が撤去されたので、彼らにとって携帯電話は必需品なのだしばらくすると途中で追い越したおじさんのおばさん団体が登ってきた。狭い頂上でラーメンと作っていたので、記念写真に写ってしまう。邪魔そうにされるので急いで片づけて下ることにしたが、ラーメン、メールで時間ほど頂上に滞在したことになる。

 9時ちょうどに下山。登りと同じ時間かけて9合目に9時半到着。急な斜面に石がゴロゴロしているので滑る。ロープが張ってあるが、それにつかまっても滑る。雄馬にいちゃんはバランスよく快適に下るが、私と真生は何度も転びながらやっと下る。真生は転んだときに携帯電話を落としたようで、また登り返して探している。
 9合目に地元のグループの人がいて、リシリヒナゲシを教えてくれる。もう登山道近くには無い。とても歩いていけそうもない急斜面のガレ場にポツンポツンと咲いているのを双眼鏡で見ることができる。きっと野草愛好家が、「私だけならいいでしょう」と持っていってしまった結果、利尻を代表する花だったリシリヒナゲシが姿を消していったんだろう。自然を守るためには入域禁止にするしかないほどマナーは低下している。

 お兄ちゃんの雄馬はさすが高校年生。なんの疲れもない感じでどんどん下っていく。私も快調についていくと、真生の姿が離れて見えなくなった。しばらく待って「どうした」というと「疲れた!」。まるで今の高校生みたいなことをいう。実はただ甘えているだけだ。兄ちゃんとおっちゃんは自分にかまってくれなくて先に行ってしまう。「おれだっているのに!」 

 疲れていないことは甘露泉の看板がでてきたら、あっという間に走って行ってしまったことで証明された。先に泉についた真生は靴をぬいで「どうだい!」という感じで水に浸かっている。「甘露泉水をみやげに持って帰ろうよ」と言い9本のペットボトル一杯にして抱えていく。家の人たちにこのおいしい水を飲ませてあげたいという気持ちが詰まっている。いい子たちだ。
 家に帰ってからの親の態度がよかった。おかあさんは「この水はお店では買えないいい水なんだよ。よく持ってかえってくれたね。みんなで大事に飲もうね」といって冷蔵庫に入れて冷やしてくれ、翌日皆が集まったときに、「これは真生が利尻から持って帰ってくれた甘露泉水なんですよ」と言って飲ませてくれた。真生の自慢そうな顔を私はひそかにかいま見た。たしかにどんなビールよりもおいしい。いい子に育つには、親のこんな言葉が大事なのだ。高校生なんてまだまだ大人に甘えたい年頃なのだから、それなりにいろいろかまってやらなければ。

 下りは甘露泉水を汲んだりしていたが、テント場まで時間半時間の休みを入れても全部で時間の行程だった。コースガイドには「天候のよい日でも時間は必要です」と書いてある。さすが高校生は早い。言外に一緒に行った私も早いということを言いたいのだが・・・・
 
 荷物を片付け、ふたたび風呂マットをもって港へ下る。フェリーの時間は時。まだ時なので、利尻名物「ウニ丼」を食べに行く。漁師のおばちゃんたちがやっているという半分屋台みたいなところで、豪華「ウニ丼」。隣のテーブルでは頂上でビールを飲んでいたおっさんが一人寂しくまたビールを飲んでいる。私と同じ年頃らしいが、私をみてうらやましそうに言う。
「子ども連れでいいねえ」
「いあや孫たちだよ」

 雄馬は来年から家を出て働くことになっている。こんなすれていない高校生が都会に行って大丈夫だろうかと心配になるが、まさにそれは老婆心ならぬ老爺心。
 でもいい職を身につけてくれるといいのだけど。高校生最後の夏を、おっさんと一緒に山登りをしてくれるなんて気持ちを失わなかったら、どんな上司にもよくしてもらえると思うよ。がんばってくれ。

 来年もまた来て、今度は真生をリーダーにして、弟や妹をつれて利尻に登ろう! おっちゃんの生き甲斐をくれてありがとう。こんなよい山登りをしたのは、自分の子どもを連れて行って以来のことだ。

              三輪 主彦