6匹の子連れ狛犬

大田区の狛犬探しに出かけた。今回は多摩川土手のそばの六郷神社から東海道を鈴ヶ森に向けて歩き始めた。六郷神社には大田区では一番古い狛犬がいるのだが、植え込みの中にあるのでうまく写真が写せない。こんなところでご勘弁を!

東海道をあるいて次に行ったのが大森諏訪神社。ここの狛犬は尻尾を逆立てている。番犬としては大いに役立つだろう。

ここからJR東海道線を超えて春日神社に行く。目の前に「東海道」と書いてある。さっき通ってきた国道15号線沿いの東海道は何だったのだろうか?
この神社の狛犬。これはすばらしい。阿吽の両方の狛犬に2匹ずつの子犬がまとわりついているのだ。子育て狛犬と言われるそうだ。先日中野の打越天神社を訪れた時には一匹の子犬がお母さんの背中に登ろうとしているのを見たが、今回は2匹ずつ合計4匹がじゃれている。こうなるともう狛犬は魔除け、門番の役目ははたしていないな。庶民の「子育て祈願」のための奉納という意味だろう。それにしてもいい感じだ。

ここから春日橋をとおって京浜急行大森町駅にもどり15号線を歩くと10分ほどで磐井神社にでる。磐井の井戸があるが、ここで驚くべき「6匹子犬」の狛犬を見つけた。これはまたまた感激。子犬全部がかわいいのだ。番犬としての狛犬のイメージが変わった。

狛犬に劣る人間!

毎日のように子どもへの虐待が報道されている。恐怖をうえつけて子どもを支配しようとしたら、こどもは怯えて情緒不安定になる。そんなかわいそうな状況を作ってはいけない。子どもが言うことを聞かないのは当たり前のことで、それをゆっくり見守るのが親の仕事。いらだって子どもに暴力をふるうなんて、最低の人間だ。狛犬にも劣る。おっと狛犬が怒るかも。

私は狛犬愛好家で、暇があれば近隣の神社などで狛犬を見ているが、最近は子どもと遊んでいる狛犬に目が行くようになっている。上は中野区の氷川神社の狛犬である。台座には安政4年制作とあるが、もちろんこれは再建されたもので新しく見える。吽形の狛犬は子どもを優しくなでているようで、阿形は手を載せているだけで、ほかの狛犬のように踏みつけている感じはない。  この狛犬は新井薬師の北野神社にいたものだが、子どもが親を見上げている姿が愛らしい。もう一方は玉を踏んでいる。これは江戸獅子型の一種だが、たいていは子も踏みつけていることが多いが、これは優しく手を置いているだけだ。製作者も子どもの愛らしさを表そうとしたのだろう。  これは中野区の打越天神の拝殿前の狛犬だが、阿形の親の背中に乗ろうとしている。実にかわいらしい。本来狛犬は魔除けのために寺社の前に置かれるので怖いイメージがある。大きな寺の狛犬は強そうで態度もでかい。しかし一般民衆は子どもをかわいがる優しい犬をイメージした。私は大きな神社の完成された狛犬よりも、小さな神社のかわいい狛犬に親近感を感じている。下の狛犬は東京靖国神社の巨大なもの。   子どもへの虐待・・・弱い者いじめ・・・強いものには逆らってはいけない・・・
何とも言えなく悲しい。世界的な風潮の縮図みたいな気がする。

平将門の鎧神社の狛犬

  新宿柏木に鎧神社がある。ヤマトタケルの東征の際に武具を保管した場所と言われると書いてあったが、地元の人は平将門の鎧を埋めた場所として信仰が厚い。平将門は関東では人気のヒーローだ。平安時代関東の国々を征服して「新皇」と宣言したが、わずか2か月ほどで朝廷軍に討たれなくなった。 その首は京都でさらし首になったが、怨霊が強く、大手町の将門塚の場所に飛んできた。それが今も残る首塚だ。何度も移転しようとしたがその都度作業員や責任者が亡くなったために、進駐軍でさえも怨霊を信じざるえなかった。今でもどんな大企業も手を付けない超パワースポットになっている。

鎧神社は将門の鎧が埋められたというのだから、パワーは感じられるようで、多くの人が訪れる。実はこの神社の神さまはヤマトタケルと大己貴命である。平将門は明治初期、天皇に反旗を翻した逆賊として祭神から外された。千年以上も前のことでも明治天皇は許さなかったのだ。しかし戦後天皇様の権威が薄れると再び祭神として祀られるようになったとさ! 境内は特徴的だ。拝殿前のものは巨大な花崗岩つくりで立派、昭和11年作。裏門の天保年間の狛犬はツギハギでかなり痛めつけられている。ここは明治の廃仏毀釈で大いに痛めつけられた。 鳥居脇の天神社には新宿区の文化財である庚申塔型狛犬?がある。これは享保年間のものだという。なんか変な狛犬だが、意味があったのだろう。不気味でかわいい。天神社というからやはり怨霊を鎮める神社なのだろう。

亀戸天神の梅・香取神宮狛犬

家から両国までシルバーパスでいきました。江戸東京博物館は水曜日はシルバーディで無料なので入館、じいさんばあさん外国人でした。そこからバスで錦糸町へ。ここもシルバーパス。交通費も入館料もかかりません。そこから歩いて亀戸天神に行き、今満開の梅を見ました。ここはお賽銭だけ。
年寄りをちょっと優遇しすぎだと思いながら、ちゃっかり便乗して梅見、境内は、我らと同じじいさんばあさんだらけ。

春日通りを亀戸方面に行くと黒い鳥居があり、参道が伸びている。ここは香取神社。本家の香取神宮は利根川下流の下総国一宮であり、経津主神が祭神である。この神さまは鹿島の神さまと一緒に出雲の大国主神を降参させて国譲りを成功させたとして建国の神とされているが、古事記には出てこない。しかし建国の神ということから武将の信仰が厚く現在も「神宮」として君臨している。亀戸の香取神社との関係はよくわからない。今はスポーツの神として有名で、拝殿には「池江璃花子選手の回復を願う」という寄せ書きがあった。

 狛犬愛好家としては気になることがあった。鳥居の脇に上のような狛犬が打ち捨てられていた。一対ではなく同じものを前後ろからとったもの。頭の部分が割れているのだ。これは自然に壊れたものか、あるいは人工的に壊されたものか。古い神社に行ってみると結構壊されたらしい狛犬が捨てられているのが見つかる。私は明治の廃仏毀釈の余波ではないかと思っているのだが。割れ口はそんなに古くない。ともかく狛犬を壊す輩がいるのだ。チコちゃんに怒られるぞ!

交通費がかからなかったので、お昼を両国の門前茶屋で豪華に食べた。深川めしと穴子蒸籠だ。深川めしは富岡八幡宮の境内にある「深川宿」が人気だった。富岡八幡宮の不祥事によって参拝客は激減したそうだが、深川宿はどうなったのだろうか。

戸隠神社と高千穂の岩戸神社

岡村さんの植村直己冒険賞の受賞発表をみて、すぐに東京駅から新幹線で長野に、バスに乗って戸隠中社に来ました。そこで狛犬の写真を撮って、雪の中を奥社まで行きました。暗い中、雪道を歩くのは結構大変。やっと戸隠の都立大学山荘につきました。仲間3人はすでについていました。明日からは雪山歩きです。今年は雪は少なく、ブッシュがでています。 近年戸隠神社は強力なパワースポットとして人気があるようで、真冬のこの時期でも奥社まで詣でる人はかなり多い。神社入り口には「隋神門よりも先は冬期閉鎖、雪崩の危険もあり」と書かれている。今日は完全装備の高齢者グループが多かったが、例年運動靴姿の人たちとあう。昨年は「パワーがあるからだ大丈夫!」と言う若者が何人もいた。雪まみれで嬉しそうに帰ってきたのを見ると、本当にパワーがあるのか?と思った。 九州高千穂に天岩戸神社がある。スサノオ神と喧嘩したアマテラス大神は怒って岩戸の中に籠ってしまった。太陽神アマテラスが隠れたので世の中は真っ暗になった。オモイカネ神は一計を案じた。岩戸の前でアメノウズメにセクシーな踊りをさせた。それを見た神々はやんややんやと騒いだ。

  アマテラス大神は「私がいないのに何がうれしいの?」と思い、岩戸を少し開けた。岩戸の前に侍っていた強力のタジカラオ神が扉を大きく開けたらアマテラス大神が現れ、世の中は再び明るくなった。

タジカラオ神は二度と岩戸が閉まらないように、大力で岩戸を放り投げた。その岩戸ははるか信州の山に飛んで行った。その山は戸隠山と言われるようになった。

戸隠中社には企画者のオモイカネ神、奥社には岩戸を放り投げたタジカラオ神、下の火之御子社には踊りを踊ったウズメ神が祀られている。私は火之御子=日の巫女=ヒミコではないかと思っている。それはさておき戸隠神社と高千穂は離れているが深いつながりがあるのだ。

写真は1.戸隠中社の本殿前  2.奥社狛犬 3.奥社参道杉並木 4.随神門 5.火之御子社社殿 6.奥社鳥居と本殿(今年は雪が少ない)7.奥社の鏡池と野仏(姫遍路 )

上野界隈 東照宮・五条稲荷神社

ちょっとエッチな絵じゃない?教育的ではないな!

友人の書を見るために上野の東京都美術館に行った。月曜日はお休み。代わりに見に行こうとした上野の森美術館はフェルメール展で長蛇の列。しかたなく隣の芸術院会館?の美術館(無料)に入ったが、ナニコレ!という感じ。トイレを借りて出てきた。  東照宮で寒ボタンを見に行くことに。上野は隅々まで見ているはずだったが東照宮の立派な狛犬は見落としていた。いいカメラをもっていかなかったので逆光でとれなかった。時間を考えて行こう。狛犬とクロガネモチの赤い実に気をとられていたのでボタンを見ずに出てきた。

もう一つ五条稲荷神社がある。ここの狛犬もよかった。稲荷なので狐はあるが、それほど面白くない。おもしろいのは崖面にある穴、お穴が神社になっている。伝通院の近くにもお穴神社があったが、ここは中は見えなかった。   この神社の赤い鳥居はインスタ映えするのか、着物を着たお嬢さんたちが写真を撮っている。話をしたら台湾からの女性だった。他にもたくさんいたが皆外国人。今時着物を見るのは外国人だけなのか。

峠楽会第一回 日本橋から四谷方面

19年の最初の歩きだが、昨年から4回変わらず日本橋からの出発となった。これはどんな旅でも日本橋からという賀曽利隆さんに対抗の意味もある。といっても対抗するほどの旅力はないけど。まあそんな気持ち。 今回は日本橋を出て箱根駅伝のゴールへの1キロを歩いて、大手町からは東京メトロに乗って半蔵門に行き、そこから四谷見附、内藤新宿というコースの予定。箱根駅伝最後の走者は3分ほどで走るが、我らは常盤橋の工事の進捗状況を見たり、一石橋にある明治の水準測量の几号(きごう)標識を見たりしていたので、40分もかかった。 読売新聞社の前がスタートゴール地点。箱根駅伝は金栗四三らが始めたとあった。NHKの大河ドラマ「韋駄天」の主人公のモデルである。実は金栗さんは、わが竹早高校の前身の府立第二高女の地理の先生だった。一昨年にNHKの方から私も資料提供を求められていた。秘密にしておいてくださいと言われたが、どんどんしゃべってはいたけど。第1回を見たがどこにも資料提供・竹早高校というのがなかった。残念!

将門塚を見て電車で半蔵門駅へ。4番出口にはすばらしい美術館があった。無料で国宝級の仏像などを見ることができる。さる宗教団体提供だ。こんな文化活動を他の宗教団体でもやるべきだよな。無料でお茶までいただいたので、ちょっとほめておかなければ。・・・ここでゆっくりまったりしたら、もう先に進む気はなくなった。本日の歩行距離は2キロ、歩数は5000歩ほどだった。とてもお散歩の会とは言えなくなってきた。まあいいか!

谷保天満宮で狛犬探し!

国立で「シルクロードの子どもたち」という写真展をみたあとに国立の大通りを通って谷保天満宮に行った。昔「国立」の一橋大学があるので「国立」というのかと思っていた。しかし読み方は「こくりつ」ではなく「くにたち」だ。国分寺と立川の間にできた駅だから国立なのだそうだ。今は都内で最高級の住宅地。立派な家が碁盤の目のように並んでいる。

谷保天満宮は甲州街道に面して鳥居が立っている。鳥居の先は石段だが、急な下り階段。ちょうどここに府中崖線が通っているので、8mほどの段差になっている。私が思うに、昔は石段を上って本殿に行ったのではないかと思う。甲州街道が拡張されて敷地が狭まったので、本殿は崖下の広い場所に移ったのではないか。  鳥居の脇に2対の狛犬あり。まあ昭和のものだからそれほど面白くもない。拝殿前には天神様だから牛がいる。その奥にいる狛犬がなかなかいい。両方とも子犬をあやしている。口の形も阿吽ではなさそう。雌雄がないのか、あるいはご夫婦で子育てをするというのかよくわからないが、なかなかいい。   牛は、なでなでするとご利益がある。ということでピカピカだが、もう一体石作りの牛(よくわからないがたぶん牛)はまだ新しいらしく、なでる人も少ない。あと数十年すればなでなでしてピカピカになるかも。  さらにここには神のお使いの立派なニワトリが境内を飛び跳ねている。これもいいね。でもきっと最初は近所のニワトリが逃げてきたんじゃないかな??

 

 

 

高幡不動尊に行ってきました。

京王線で高尾山に行くことが多いが、車窓から見える金ぴかの五重塔が気になっていた。高幡不動駅にあるので当然高幡不動尊だ。不動尊というのは不動明王のこと。インドの神様で「揺るぎなき守護者」=不動明王だそうだ。

空海の持ち帰った密教では重要な神さまだが、日本以外にはあまり見られない神様だそうだ。神さまといっても仏教を守護する神様だから寺に置かれている。
仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿である。とされている。

真言宗智山派別格本山 高幡山明王院金剛寺というそうだ。関東三不動の一つだそうだ。他は成田山新勝寺と玉嶹山總願寺(不動ヶ岡不動尊)(埼玉県)高幡不動と成田不動は知られているので確定だが、3つ目はいろいろあるようだ。不動岡不動を入れる場合が多いとのこと。埼玉の教員試験を受けた時に不動岡高校に行かないかと言われたこともあった。分校で利根川の向こうにあったので、渡し船で通う高校だった。それを思い出して、不動岡不動を三大不動に入れたいなと、私は思っている。

広い境内にはいくつもの建物があるが、往時はこんなものではなくもっと大寺院だったようだ。江戸時代に火事で焼けたが、昭和50年以降徐々に五重塔、大日堂、鐘楼などが再建されたという。総重量1トンもある日本一の丈六不動尊は千年ぶりの修復が完了して安置されている。これはすごい。パンフレットの写真を借用。

日野市にある寺なので新選組と縁が深い。土方歳三の生家は高幡山の檀家の筆頭格の急かだそうだ。歳三の命日には新選組祭りが開催されるそうだ。歳三さんが各所におられる。

竹寺から子の権現、浅見茶屋へ

今年になって西武線二回目。本日は池袋8時半の特急で飯能まで行き、9時35分発の名郷行きのバスで小殿まで行った。日経新聞やテレビで有名になった浅見茶屋で新名物のうどんを食べようと思ったからだ。吾野駅から5キロほどあるが舗装路があるので車でも入れる。しかし私はなるべく苦労をした方が感激も深いし、おいしいだろうと考えているので、7キロほど山を越え行くことにした。 飯能では若者で満席だったが、飯能第二小学校のバス停でほぼ全員が下りた。何かの施設があるようだ。(帰ってから地図を見ると自由の森学園があった)小殿バス停で降りたのは私一人。竹寺と子の権現へ初詣する人がいるだろうと思ったが、一人もいないなんてちょっと驚いた。小殿バス停からすぐに急登になる。風が強いので杉の木がこすれあって不気味な音がする。誰もいないので気持ちが悪い。

昨日の鎌倉天園コースとは大違い。でもコースタイムと同じ1時間で竹寺に。神仏混交の寺で、なかなかいい狛犬がいる。牛頭天皇を祀る社もある。藁ぶきのなかなかいい寺だが、誰もいない。子の権現への道で人がいない原因が分かった。山道が崩れて通行止めになっているのだ。早く言ってくれよ! でも私のこれまでの経験では、責任回避のために立札を立てているだけで、ちょっと迂回すれば歩けるはずだと、突き進んだ。予想通りで大した崩れではない。人が通った跡もあった。

豆口峠には二重の通行止めの標識があった。もう通ってきた後だ。しばらくすると何かわけのわからない白いおおきな掌がおいてある。気持ち悪い。子の権現は金の大草鞋のある寺だ。足腰の守護をしてくれるありがたい天台宗のお寺だ。私もこれまでに何回もお参りをしてきた。今はトレイルランのコースになっており、大勢のランナーが通り抜けていく。

子の権現から浅見茶屋まで25分と書いてあったが、下り得意の私は20分で到着。昔と同じ外観だが何やら活気がありそうな感じ。中に入ると平日というのに大勢のお客がいる。私も皆さんと同じ肉汁釜揚げうどんを注文する850円と高くはない。となりに座ったおじさんは正月5日に来たが満員で3時間待ちだったので出直ししてきたとのこと。今日は待ち時間なしでよかったとのこと。

満足して吾野駅まで下った。5キロの距離だったが満腹の身では結構長かった。帰りは特別快速で4時には家に着いた。5時半に孫のお迎えに行くように言われて、休む間もなく学童クラブへ。本日の歩いた歩数は3万歩をだいぶ超えた。

明月院から鎌倉アルプス瑞泉寺へ

久々に山歩き! 鎌倉アルプスに行ってみた。このコースは私のお気に入りのランニングコースだったが、今はおとなしくとろとろと歩いてみた。昔の私のようにランニングの人に何人も追い越されたが、どうぞどうぞ! と道を譲る。昔なら、俺を追い越すとは失礼な奴とばかり、競争をしていたが、今は円熟の境地。寅さんのセリフじゃないが、「寒い中、労働者諸君!しっかりがんばりなさい!」  北鎌倉明月院の脇から上がっていく。建長寺の上から富士山を眺め、横浜のランドマークを見ながら天園につく。お弁当を食べている人もいるが、その先に茶店があるのでそこで一休みと思っていたら、更地になっていた。2、3年前に取り壊されたよ! とのこと。あら残念。うどんでも食べて金沢文庫に降りようと思っていたら当てが外れたので瑞泉寺に降りた。

瑞泉寺の門前を通り鎌倉宮、荏原天神を経て鶴岡八幡宮へ。鎌倉宮には狛犬なし、荏原天神の前の白幡神社には小さな狛犬、鶴岡八幡宮は公暁のイチョウがあった石段の登り口にもあったので二つを載せておきます。

寒い寒い日で、山歩きをしたのに汗もかかなかった。湘南ライナーを使えば池袋駅まで乗り換えなし。大変便利になった感じがする。我が家まで1時間ちょうどだった。

ヤマップ 石神井川

私のランニングコースは石神井川を中板橋から王子駅までの5キロコース。これまでは35分ぐらいで走っていたが、今は1時間かけて歩いている。往復するので10キロ。約2時間。昔は夕方や夜間に走っていたが、ヒマになった今は午前中に歩いている。今年になってほぼ毎日2万歩ぐらいになる。

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午前中に歩いたので大仏様に光が当たっていた。初めて写真が撮れた。日本三大大仏は奈良の大仏、鎌倉の大仏まではだれでも納得するが三番目はどれかあまりよくわからない。板橋には、植村直己の墓所がある乗蓮寺に大仏がある。これが三番目という人もいるが、北区のこの大仏も三番目といってもいいかも!これまで正確に距離や時間を測ったことはなかった。ヤマップを使うと実に簡単にできる。もっと早く知っていれば・・・、でも散歩に時間や距離はいらないな。もしこれを日常に使うと、これよりも時間を縮めようなど努力をしてしまうだろう。今の私には必要ないけど、一月末には八甲田に行くので、霧にまかれたりしたときには役立つだろうから、使い方を練習しておかなければいけないな。

ヤマップを使った!

スマホのアプリにヤマップというのがあった。無料で、2万5千分の一地図の上に歩いたルートが表示される。高低差や距離もかなり正確に表示されるので山登りには大変いい。どれぐらい電池の消耗があるのかテストしてみなければならないが、私には最適かなと思っている。

本日のコースを切り取ってみた。駅から動かそうと思っていたが、忘れていたので巾着田から高麗神社までのコースを記録した。1時間半ぐらい使った。データ使用量は30M  ほど、電池の消耗は20%程度だった。とりあえず地図を高低表をアップしておきます。

高麗の聖天様

西武線高麗駅から高麗神社に詣でたが、神社に行く前に聖天様にもお参りした。2000年に落慶法要がおこなわれた真新しい真言宗智山派の寺は遠くからでもよくわかる。もともとは高句麗から来た若光(じゃっこう)王の墓だったようだ。若光は大和政権から武蔵の高麗郡の王として厚遇されたという。現在もその廟があり、前を二頭の羊が守っている。高句麗の祖先は騎馬民族。彼らは羊とともに生活していた。その名残だろう。

真言宗の寺だがもとは朝鮮の方たちの墓地でもあった。現在は日本各地で無縁仏とされてきた方々の慰霊をする廟が作られている。広島の平和公園の原爆慰霊碑には日本人は祀られているが、朝鮮の人々は公園の外に祀られているそうだ。この住職さんや篤志家の方がそうした方々の慰霊をするために、この寺の一角に慰霊塔を作ったのだそうだ。

初詣をしている人たちはきっと韓国の方たちだろうと思っていた。初詣で賑わうほかの寺社に比べれば韓国人は多いのだろうが、私があったのは地元、近在の方々がほとんどであった。日韓関係の危うい時代だが、一般庶民はとりたてて問題にはせず共存している。私はちょっと安心した。 それよりも私が気になったのは聖天さまというのに、どこにも聖天さまがいないこと。お寺のご本尊は不動明王だった。

 聖天というのは歓喜天ともいわれ、浅草の待乳山聖天、生駒の聖天などが有名で、ちょっと怪しい感じのする秘仏だ。聖天さまがいないのに聖天とはこれ如何に?

左の写真は、この寺とは関係ない。歓喜仏というのはこういう仏さまだが、通常は秘されている。チベットでは皆さんがまじめに拝んでいる。

狛犬:高麗神社

西武線の飯能から2つ目の駅が高麗だ。巾着田があるので多くの観光客が集まるが、今の時期は高麗神社へのお参りの人でにぎわう。もっとも高麗駅から2.5キロあるので、ほとんどの人は車で行くようだ。

狛犬愛好家の私はここ数年は狛犬(高麗犬)のふるさとである各地の高麗神社にお参りしている。昨年は東海道の大磯にある高麗山のふもとの高来神社にいった。高来はこうらい神社らしいが、元は高麗だったのだろう。狛犬は高麗から来たというのは1つの言い伝えで本当かどうかはわからないが深くは詮索せずお参りをしている。

高麗の高麗神社には十数年前に来たことはあるが、その時には狛犬愛好家ではなかったのでどんなものがあるか確認をしていなかった。今回それを確認したくて埼玉県の高麗神社に行ってきた。さぞかし立派かと思ったが、昭和期に作られたもので、珍しい狛犬ではなかった。かなり残念。

しかしこの高麗神社、平成29年9月20日に天皇皇后両陛下がお参りになっていることを知った。
神社の案内にはご祭神は高句麗からの渡来人であると書かれている。
霊亀2年(716年)武蔵の国に東国7国より高句麗からの渡来人1799名を集めて高麗郡が置かれました。若光(じゃっこう)は高麗人の高い技術をつかってこの地を開拓しました。その遺徳を偲び作られた霊廟が高麗神社の始まりで、代々若光の子孫が宮司を務め、現在で60代目になります。

日韓関係がややこしいことになっている今、なぜ天皇皇后が高句麗の神社に行かれたのだろうか?産経新聞などは巾着田に行かれたことは報じたが、高来神社に行かれたことは一行も書かなかった。天皇皇后両陛下が慰霊の旅として最後まで心残りだったのが韓国だったという。退位前にせめて朝鮮の神社に参っておこうと考えられたのかもしれない。本当のところはわからないが、大変な反対があることを承知で決意されたことの意味を考えてみなければいけないだろう