9月4日‐2 ゴンパ巡り

ストックにもゴンパがある。ゴンパとは僧院。ほとんどの村の高台に君臨している。みなチベットのポタラ宮殿風だ。とくにこの後に出てくるティクセゴンパはすばらしい。とりあえずストックゴンパは王宮で、いったん外に出た王さまがいまは階下に住んでおられるそうだ。このゴンパには坂本龍一さんも来たそうで王さまとの写真が飾ってあった。テラスからの眺めは最高。下の方にインダスの流れが見える。Leh2-miyaLeh2-miya1Leh2-1
ストックからインダス河に下って橋を渡り、上流に向かう。シェーという村はレーが首都になる以前に首都だった場所だという。そこにもシェーゴンパがあるが、そこはパスしてさらに奥にあるティクセゴンパに向かう。このゴンパはラダクの中でも1,2を争うような壮大なもので、ラサのポタラ宮殿のモデルになったとか言われている。
周辺の村々は2010年のラダクを襲った洪水でほとんどの家が流された。お坊さんが見下ろしている村は、残っているのが国道沿いの緑のある場所のみだ。2015年にも追い打ちをかけるように再び洪水が襲った。  

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9月5日 インダス川を下る

レーのまちを離れて車に分乗しドムカル村に向かった。途中でいくつかのお寺に詣でて、お坊さん学校など見て回った。どこの村にもお寺にはダライラマの肖像がある。自由チベットなどの看板もあり、中国領のチベットとは違っている。indus01 レーの郊外インダス河。この辺りは広い。段丘上に集落がある。indus02
下流に行くとV字の谷になる。両側は崖錐で、今にも崩れそうな砂利層だ。インダスの谷は深い。こんなところをよくとおってきたものだ。
indus03 リケールゴンパ。大きな黄金の阿弥陀像indus04りケールゴンパの学校、子どもたちは寄宿舎に住む
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サスポールの洞窟壁画。こんな崩れそうな崖に洞窟がある。この中に壁画が描かれている。この洞窟で修行した日本人もいるそうだ。現在修復中。indus05 indus07

 

9月7日 ドムカル上村に泊る 3800m

インダスのほとりにあるドムカル下村は人口は150人ぐらい。上、中、下村全部で500人弱だという。下村の平地はごくせまい。そこへ流れ下るドムカル側は狭い渓谷なので、残りの人はどこに住んでいるのか不思議だった。domkal05しかしせまい谷を登っていく(もちろん車で)と茶色の世界に突然ポプラの森が出てくる。谷が大きく曲がっている場所に小さな段丘がありその上に本流からのかんがい用水を引いて耕作地ができている。アンズの実が沢山なっているのを勝手に取って食べる。村長さんの家に招待され、バター茶をいただく。3軒回ったら、おなかがチャポチャポになったので、あとは招待を断った。domkal04村は大麦の収穫で忙しい。アプリコットと大麦、小麦ぐらいしかない。野菜はジャガイモの他はほとんどないが、仲間の一人がどこからかカブとブロッコリーを手に入れてきた。浅漬けのもとに入れて、みなさんに振舞われた。久々の新鮮野菜。domkal06ちょっと上に散歩に行くと見慣れない家畜がこっちを見ている。「ゾ」というらしい。ヤクと牛のハイブリッド動物だ。ヤクの雄と牛の雌の雑種で、雄を「ゾ」といい雌を「ゾモ」という。ゾモは交配可能だが、ゾは一代限り。このゾモは子ども2頭を連れていた。子ゾか子ゾモかはわからなかった。domkal07DSCN0833

9月8日 岩の聖地へ(ゴンパランジョン)

今回の旅のメインである「岩の聖地」ゴンパランパジョンへ向かう。岩の聖地は4750mの高所にあるためにこの日まで高度順応をしてきた。昨日のテント地は4100m、今回の最高所の宿泊だった。前日からダイヤモックスを飲んで準備したが、2度目なので身体も慣れているらしく、夜中に1度しかトイレに起きなかった。klaric09
夜のテント場は素晴らしい星空。寝る前には頭の上に天の川を泳ぐ白鳥座が見え、南の天の川にはサソリが尻尾を浸していた。こんなに明るい天の川を見たのは何十年ぶりだ。夜明け前にトイレに起きた時にはオリオン座が上がっていた。昨晩はまだ28日月(三日月の反対)が出ていたが、今日は月明かりはなかった。>klaric02
朝は周りの水たまりは氷が張っている。しばらく行きとシモバシラの花(?)が咲いている。冬の寒い日高尾山で見るのと同じだ。シモバシラに見とれていたが、歩くのは一歩一歩がやっと。klaric01ダイヤモックスを飲んだからといって、呼吸が楽になるわけではない。年寄りにはかなりきつい旅だが、皆さん「岩の聖地」まで何としてでもたどり着くぞと意欲は高い。私と清水さんは「年寄りにはきついよ!」とテンションが上がらない。kraric04お花を見ながら上がる。この青色の花は何だろう。ブルーポピー??トリカブトと同じいろだけど・・・ kraric03これが球状花崗岩、「聖なる岩」である。拡大写真は下!<kraric06
kraric08このゴンパが高度4,600mほど。この先に聖なる岩はあるのだが、私と清水さんは「聖なる岩」のかけらを見たからもういいや! と暖かい日差しの下で昼寝。2時間ほど待つと、4750mの岩まで往復してきた皆さんが降りてきた。疲れたが満足した様子。60歳過ぎのおばさんたちが登れたのに、我々は登れなかったのは少々残念だった。
でも「聖なる岩」にタッチしたら「ハーイ ご苦労さま!」と言われて、すべてが終了してしまうのではないかと危惧したことも確かだ。我が尊敬するTA女史も「満願」というのは避けて、いつもあと一つを残しておくという。四国八十八ヵ所も八十七か所で終えて、あとひとつは残しておけば次につながる。全部達成したら、それで「ハイ終わり!」と神様に言われそうな気がする。まあいいわけだけど!

ラダクに行ってきます

画像1 インド北部のラダク地方はインダス川の最上流辺りで、すぐそばに世界第二位のK2峰、ナンガパルバット山など8000mの山々が点在している。私は1968年にパキスタンのギルギットからフンザ王国に入ったことがある。そのすぐ先がラダク地方だったが当然国境を越えることなどできなかった。

map-6私の友人の成田君や森崎君はインド側のマナリやレーという町に住んだことがあるそうで、いろいろ話を聞いていた。そこはチベット仏教のはずれの地で、今はイスラム教世界との最前線でもある。チベットが中国化している現在、チベット文化がもっともよく残っているのがラダクだとも言われているそうだ。

thiksay_gompa地平線会議でも話をしてくれた小林尚礼さんが率いるツアーに山岳部時代の仲間の清水さんと一緒に入れてもらうことにした。9月2日から12日までの11日間。半分以上は3500m以上の地でのテント生活になるそうだ。もちろんシャワーなどなし。10℃以下の地なので川で水浴びもできそうもない。久々に山の匂いのするたびになりそうだ。

以下に西遊旅行のHPにある写真を借りました。帰ってきたらすぐに取り換えます。なかなかすばらしいところです。高山病にならないように気をつけて行ってきます。
 

 

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ハトラの女神さま

イスラム国が中近東の考古遺跡を次から次へと破壊している。昨日から写真資料を探していたら、イラクのハトラ遺跡の女神の像の写真が出てきた。この女神も爆破されたという。写真を残しておきます。もっとたくさんあるはずですが、見つからない。コダクロームを複写したので、ちょっとボケているな。

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本日も視界不良、でも滑った!

CIMG3358AIMG3414SCIMG3382天気図を見ると天気は良くなりそうだった。雨や雪は降らないが、気温は高くて霧が低く垂れこめたために視界不良。白馬スキー場の主みたいなUCHIDAさんにくっついてただ滑るだけ。しかし年寄りなので10時まで、コーヒー100円というパノラマロッジでしばしば休む。

周囲は外国人だらけ。オーストラリア人が多いという話だが、聞いてみるとカリフォルニアとかジャーマニーなどの返事。もちろんオーストラリア、ニュージーランドからの人もいる。中国人もいるとの話だったが、かっこよく滑っている人は見かけなかった。彼らのスキーはほとんどが前後が反っているロッカーとかツインチップとかいうタイプ。ビンディングは私が付けているのと同じTLTが多かった。私もけっこう最先端にいるな。

一番驚いたのはスノーボードの上にスケートボードをくっつけた自作の道具。靴とボードはくっつけずに、ただサーフィンのように乗っかっているだけ。落っこちても流れ止めのひもがついているので、手繰り寄せればいい。こんなんで白馬の急斜面を滑り降りている。ちょっと驚きだったが、写真を撮る暇がなかった。外国人のなかにはオリジナルが好きな人が多い。お仕着せでなく自分で面白そうなことを作るのだから。

だから平気でなわばりの外に出て行く。あまりにもたくさん場外に出て行くので、パトロール隊はあきらめたようで、「どうぞ勝手にどこでも滑って! スキー場としては責任持たないよ!」 との方針らしい。だからいたるところに手つかずの新雪バーンでみなさん滑っている。と言っても本日の霧の中では、深雪で転んでスキーが外れたらだら、どこにあるか分からない。我らも探すのに相当時間がかかった。こういうスキー場ではスキーの流れ止めは必要だな。(・・・・上の写真はまだだれも滑っていない新雪バーン。22日の朝快晴になりました。これから滑りに行きます。だれが滑ってもいい場所です。)

午後早くあがって温泉に! 白馬には公衆温泉がたくさんある。本日はオーストラリア人が大勢入っている。妙高から移動してきたとのこと。毎日入っているよ! とのこと。だった。温泉から上がるとテレビで何か緊張した雰囲気のニュースが流れている。イスラム国に人質がとらわれてたそうだ。列車の中で、「安倍首相はなんでこんな時期に紛争の真っただ中に行くのだろう。相手を刺激したらまずいんじゃない!」と井戸端会議をしていたばかり。何とか解決をしてほしいが、難しそうだ

 

赤紙仁王 田端

 

150110akagami-old 田端駅の近くに田端富士があるが、その入り口に東覚寺というお寺がある。そのお寺の門前に一対の仁王様が立っている。2年前は道路拡張があって、少し場所を移動をして新しいお堂になった。その時には、赤い紙ははがされて、本来の仁王様の姿が見えた。

 

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本日来てみたら、新年から大勢の人がお参りしたらしく、新しい赤紙がたくさん張り付けられていた。本来の姿は見えなくなっていたが、私は仁王様の裸の時に写真を撮った。探したら出てきたので、上下に並べておきます。

済州島観光! 習慣の違いかな??

ウォンになった昨日で試合は終わり。本日は観光。島の東側にある火山である城山日出峰へ行く。2007年に「済州火山島と溶岩洞窟」がユネスコの世界自然遺産に登録されているそうだ。そのおかげで済州島最大の観光地になっている。登山料は2,000ウォン。この火山は海抜180m。3年前に奥さんと来た時には1時間の見学時間の間に、頂上往復をした。かなり急いだ感じだったが、今回はサッカー選手と一緒だったので、登り15分、下り10分で、見学時間45分の間に楽に往復できた。141121volcano1141121yama01141121sasu1

見学はこれで終わり。後は買い物などで夕方のヒコーキの時間まですごす。私は履いてきた靴が壊れたので、残ったお金で新しいのを買った。履いてみたらちょうどよかった。値札は120000ウォン、「負けて!」と言ったら65000ウォンになった。でも私は40000ウォンしかもっていなかった。そるとそれでオーケー。まるで昔のインドでの買い物みたいだった。ガイドさんは「この店は定価で負けてくれません」と言ったけど。141121bus
けっこう面白いことが・・・・
 昨日閉会式が終わったところで迎えのバスに乗ろうとした。バスの座席には荷物を置いてあったのだが、韓国の応援団のおばちゃんたちがすでに乗っていた。「どうなっているの?」と言ったら、荷物をぽいぽい放り出した。急いで拾ったが、運転手もガイドも平然として、次のバスにしましょうという。「なに?これは我々の借り上げのバスじゃないの?」と思ったが、早い者勝ち何だそうだ。でも荷物も載っている。運転手は「貴重品以外は置いて行っていい!」と言ったのに。まあ呆れて文句もいいようがない。バスが戻ってくるのを待った。

 試合の最中も、突然選手同士が怒鳴りあいがあって、審判はレッドカードを出して退場をさせた。後で聞いてみたら、退場させられた後もベンチでケンカをしていたとか。内容は、プレーが遅いと言ったら、お前に言われたくないと反論した、さらにエスカレートしたようだ。しかし試合中だよ。敵がどこにいるかなど、全く考えていない自己中心の態度だろう。

 なんか韓国人の性格を見たような気がした。周りがどうなっているか、そんなことは関係ない。セオル号の大遭難も、そんな韓国人の気質がマイナスに表れたものではないだろうか。もう少し周りに配慮する精神が育たないと、国際的には評価はマイナスになるだろう。ガンバって! という感じがした。

本日は1分け1負 よく走ったものだ!

 本日は9時にキックオフだ。朝6時に起きて朝飯を食べる。昨日は同じホテルにソウルチームと上海チームが泊まっていた。ホテルは主催者側の招待なので、我らが選ぶわけにはいかない。まあまあのホテルだが、収容人員以上に入っているのではと思うくらいで、朝のバイキング食堂は大混雑。昨日は7時ちょうどに行ったら、席はないし、食事もほとんど残っていなかった。本日は6時半に行って並んだ。Ajeju005

 昨日と別の競技場ということだったが、どういうわけか昨日のグランド。こちらの方が天然芝でいいので、我々にとっては快適。日韓ワールドカップの時に使ったグランドだとかで、芝生状態は大変良い。相手は昨日1:5で負けたソウル郊外チームと1:1で引き分けた上海チーム。16番が司令塔だと思っていたら、昨日けがをして出場していない。しめたと思ったが、相手の方がスタミナが残っており、今回も完敗。我らの得点はKさんの活躍で得たPKのみ。Ajeju001

 本日は午前中に2試合あるという。昨日ハーフマラソンを午前午後で2回走って、本日は午前中にハーフマラソンを2階走ると言った感じ。若いころでもこれだけのことはできなかっただろう。昨日大腿部を痛めているので、休みたかったが交代要員がいない。結局バックであまり動かなかったが、相手が攻めてくれば走らないわけにはいかない。

 2試合目、地元の済州島チーム。皆さん背丈も大きく強そう。さらに本日はこれが第一戦なので、我らよりも元気がいい。あっという間に攻められて1点を失った。しかし前半終了間際、突然審判がレッドカードを出した。我らチームとは何も関係ない所で相手二人がケンカを始めた。あとで通訳に聞いたら、1人が仲間に注意したら反論をしてきたので言いあいになり、審判が2人を同時に退場にしてしまったそうだ。ラッキー、相手は9人になった。これで勝てるかと思ったが、PKで1点返しただけで結局引き分け。キーパーのSさんは「9人の相手に勝てないなんて!フォワードは何やってるんだ」と怒っていたが、みなさんバテバテになっているので、負けないだけよかった。Ajeju008

 結局1勝2負1分ということで、何位だかわからないが表彰式へ。わがチームはフェアプレー賞で楯と賞金30万ウォンをもらった。なんと賞金が出るとは思わなかった。本日の夕食後のカラオケ大会の費用がまかなえた。私は大変疲れたが、皆さんはこれぐらいの試合は国際試合では当たり前とのこと。私ももう少し鍛えなければと、少しだけ思ったが、いやいやもう十分。これだけ走れただけで、自分を褒めてあげなければと考えを変えた。この体力でハーフマラソンを4回走るペース配分を考えればいいことだ。しかしそんなにタラタラ走ったら皆さんに怒られるな。やはり15分ハーフの試合ぐらいで楽しんでいた方がよさそうだ。

石神井公園紅葉 午後サッカー得点

石神井公園に紅葉見物。まだちょっと早い感じ。昨年は28日に行った。その時は紅葉まっさ中だった。カワセミは本日はお休み。代わりに鵜がいたので、パチリ。 公園の上の台に、昔は日銀のグランドがあったが、いまは「松の風文化公園」。そこにカフェがある。ビーフシチューがおいしい。世田谷区役所でレストランに入ったが、障害者の人がウェイトレスをしていた。ここでも障害者の人がウェイトレスをやっている。ほとんど注文品を間違えるのだが、みなさん文句も言わずに、「あっちの人の注文だよ!」と応じている。いい風景だ。紅葉はまだまだだったが、こちらの風景はよかった。DSCN0591DSCN0595
カフェ:眺めは最高。

午後から西が丘の天然芝のサッカー場での試合。ここは高校選手権の決勝や大学リーグなどで使われている。ふだんは貸出しないのだが、今回は特別貸し出し。韓国遠征の最終調整だ。今回も得点1.もう2点ぐらい入れることができそうだったのだが、最後の詰めが悪い。でもまあいいか。ここのところ毎試合得点だ。賀曽利くんに威張れるかな!

サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼

昨日記したTAGUCHIさんの報告を勝手に採録しておきます。ふだんは「なんてことないよ!」といつもクールな彼女にとっても、今回の巡礼は思い出深いものになったような感じでした。絶対に写真をとらせなかったのにゴールの聖堂の前で記念写真をとっていることでも、感動のゴールだったことが分かります。でもそのゴール写真を入れたら怒るでしょうから、その他の写真にしました。文章も報告書のまま採録。map-camino
 サンチャゴは、スペイン北部にある町。ここにある大聖堂にキリスト十二使徒聖ヤコブの墓があるキリスト教三大聖地。世界中の信者たちがお詣りに来る。カミーノといわれている巡礼道を歩いて着く。カミーノはイギリスからフランスから、ポルトガルからなどいくつかあり、今回歩いたのは「フランスの道」。ピレネー山脈を越えてサンチャゴまでは800K。5月、9月の2回に分けて歩いた。朝起きて、ただただ歩き、巡礼宿で寝て、次の日も朝起きて、ただただ歩く、宿で寝る。もちろん雨天も決行。カミーノは畑の中、草原の中、時々小さな村々を通り、霧の峠道もいくつかあった。一日の歩国距離は25k前後。寝袋、着替えなど旅に必要なものを背負っての旅。ぶどう、オリーブの畑、牛、馬、羊の牧場、ヒマワリ、カボチャの黄色、どこまでも続く麦畑、風に揺れるトウモロコシ、落ちたリンゴを拾い食い、栗もいっぱい落ちていた。生ハム、たこ、いか、ムール貝、赤ワインがうまかった。
 日本の熊野古道、四国遍路、西国巡礼など何度も歩いたが、カミーノ・デ・サンチャゴもたしかに巡礼者の道だった。年間20万人の人たちが歩いているという。歩きながら知り合いになり、友人になり、ゴールのサンチャゴでの感動を分かち合った。事故もなく元気に機嫌よく歩けたことに感謝。En Hora Buena!(おめでとう)
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忘年会1 コンポステーラ巡礼報告

御徒町のいつものお蕎麦屋さんで今年度第一回目の忘年会! (今年は何回あるかな??) 本日は今年2回に分けてスペインのサンチャゴデコンポステーラの巡礼を終えたTAGUCHIさんの報告会。通過した地点でのスタンプがぎっしりと押されたノートと巡礼証明書を見せてもらった。信者以外は壮大なスタンプラリーかもしれない。日本でも四国四十八か所札所巡礼があるが、信者でなくても多くの人が歩いている。TAGUCHIさんは四国八十八ヵ所も西国33ヵ所もすでに歩いているというつわものだ。

今回2回目はマラソンランナーの女性と2人だったので行程ははかどり、宿舎や食事も地元の人たちが泊る所を選んだので、大いに安上がりになったという。もちろんTAGUCHIさんは語学の達人で、英語、フランス語、スペイン語はぺらぺら。こんな人と行くと地元の人よりも詳しい穴場情報も手に入る。いい旅だったようだ。うらやましい。

安上がりにできたからということで、「お金が余っちゃたよ!」と気前よく、ご馳走してくれた。お酒は「だっさい」(漢字が難しくてでてくない)をいただいた。気持ちよく酔っぱらった。TAGUCHIさんとの会は、いつも5時開始。7時には終了なので、8時前には家に着く。年寄りには大変ありがたい。

 

 

サッカー 韓国遠征

本日は巣鴨の人工芝のサッカー場で日立市の選抜軍を迎えての試合を我がシラク会グループとSOIの3チームともえ戦で行った。日立市選抜軍は平均68歳と言う。我が方は64歳のだが、全くスピードが違って前半は歯が立たなかった。結局たてつづけに2点入れられた。私はほんの数回しか球に触れることができなかった。

後半は年齢の差がでてきたのか、審判がかわいそうと判断してくれたのか、わからないが急激に我が方に風が吹いてきたようで、KOYASU君がハットトリック。最後は3:2で勝利してしまった。彼はいま話題の某研究所のお偉いさん。ストレスがたまるのをサッカーで発散させているようだ。

終了後の懇親会の席で、11月に韓国で行われる高齢者の国際サッカー試合のメンバーの募集があった。日本からは70歳以上のメンバーから選ぶそうだ。早速応募したところ、本日の動きなら大丈夫ということで、メンバー入りすることになった。権威はないが一応国際大会の日本代表だ!

ということで、11月末に行われる地平線会議の豊岡大集合をキャンセルすることになった。まあ国際サッカー試合のメンバーになることなど、昔だったら夢のまた夢。長生きしたおかげで参加できることになったのだから、ありがたいことだ。怪我しないように、頑張らないように、日韓親善に努めてきます。