酉年にもっとも驚いたこと!

この石像は讃岐一宮の田村神社で見たものです。サル、キジ、イヌ です。この神社には桃太郎伝説があります。桃太郎というからには桃の産地の岡山県という印象がありますが、鬼退治に行くのは瀬戸内海の鬼ヶ島。なので桃太郎伝説は岡山県側と香川県側の両方にあるのです。近年は香川県にある鬼ヶ島のほうが桃太郎物語を盛り上げているようです。
桃太郎が引き連れたのは、サル、トリ、イヌ でした。この石像を見るまで桃太郎が連れていた動物が干支に由来するとは思っていませんでしたが、ハタと気が付きました。キジは干支にはないと思っていましたが、キジもトリの仲間。トリ年のうちに気が付いてよかった。

   ところで、この神社の桃太郎はまだ子どもで、実際にこれら動物を引き連れて鬼ヶ島に向かうよう指揮をしているのは桃太郎の姉の桃そ姫です。上の写真は田村神社に作られたレリーフです。姉が桃太郎を指揮しているのがわかるでしょ! この姉のモモソヒメは田村神社のご祭神なのです。
さらに歴史に詳しい人ならすぐに、「モモソヒメって三輪山のふもとの箸墓に祀られている姫なの?」と思うでしょう。まさにその人なのです。
さらに箸墓のヒメは卑弥呼であるということもご存知でしょう。ということはモモタロウの姉は卑弥呼なのです。桃太郎と桃そ姫、兄弟で鬼退治したのです。意外なところに卑弥呼が出てきて驚いたでしょう。

2017年、私が最も驚いたことの一つです。

ホタテ・イカ・ハタハタ

今年はホタテが不漁でお正月の贈答用の販売ができないとテレビで報道していた。地元でも高値が続いているようだ。我が家には縁がないと思っていた。日本海のイカ漁は北朝鮮の木造船の乱獲で不良だそうだ。
貴乃花一色の報道の中で、そんなことがちょっとだけ話題になっていた。そのさなかに青森の脇の沢からホタテが4キロも送られてきた。ありがたいことだ。何軒かに配って本日はホタテの刺身。さらにイカの煮物。豪華な気分!
先日は青森の友人から大量のハタハタをいただいた。これも我が家では消費できないので友人宅に配った。二人で寂しく暮らしているだろうとみなさん配慮してくださっている。ありがたい事だ。 明日はつきたてのお餅をもらいに友人宅に行く。ここ数年年末の餅つきはなし。いただくばかりだ。まだホタテが何枚か残っているので、御礼に持っていこう。いよいよ貰い物、物々交換の生活。日本経済にはあまり貢献しないなあ。

18年の年賀状の隠し文字

Facebook でFUJI野さんが、年賀状の隠し文字のことを書いていた。私も真似をして写真を撮ってみた。とても小さな字なので拡大してもボケてしまうが、なんとか読める。どこに隠してあるか? 下の写真を見てください。2枚目の写真は 「あけまして」「おめでとうございます」です。わかりましたか? 3枚目の写真はFUJI野久美子さんの写真を勝手に加工してあります。なんと書いてあるか?写真をひっくり返すとわかります。「FUJI野」さんとローマ字にした意味がわかりましたか?FUJINOさん、勝手に名前と写真を借用してごめん!著作権法違反かな?

志摩の一宮:伊射波(いさわ)神社

12月になって志摩に行きましたが、その時に志摩の一宮である伊射波神社に寄ってきました。ここには前に来たことがあるのですが、その時には時間がなくてタッチしてきただけでした。今回はゆっくりとみることができました。その時の写真日記をアップしました。志摩一宮:伊射波神社

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金戒光明寺はすごい寺だった!

  詩仙堂を出て白川通りをひたすら下っていく。京都の町は碁盤の目のように縦横に区切られているので目的地に行くのは簡単だ。銀閣寺のまえに着いた。ここは昨日とおった今出川通り。吉田山の上にあった茂庵から下がったこの道を薄暗くなった中を同志社大学まで歩き、大学のレストランで夕食をとった。  今日は白川通りをさらに下り、白川に沿って下ると「真如堂」への道が見えた。次の目的地だったが登り路になっている。すでに15000も歩いているので真如堂は即座に却下。岡崎神社を通って金戒光明寺へ上がることにした。岡崎神社はなかなか立派な神社。とくにウサギの狛犬(?)がうれしかった。

京都:宮本武蔵から詩仙堂へ

宮本武蔵の決闘の場を探して歩きました。記念の松が植わっていましたが、新しいもので吉岡一門との決闘の場を想像することはできません。今福寺(村山たか女の墓)の裏手から急坂を登り、沢筋を下っていくと赤い囲いの下に八大神社がありました。ここが宮本武蔵ゆかりの神社で下がり松が残されていました。

八大神社を出ると詩仙堂の入り口でした。我が奥さまは50年前に来たことがある。山茶花の大木がすばらしかったという。しかし入り口のサザンカは何代目かで、ちょっと寂しい。中は相変わらずすばらしい。英国のダイアナ妃もやってきたという写真があった。以下写真絵日記!

 

京都宝ヶ池

本日も明け方の空を見上げたが、志摩半島よりも明るく、流星群は見ることができなかった。寒いのでまた布団に潜り込んで、8時にやっと出発。京都国際会議場の裏手にある宝ヶ池を散策して叡山電鉄の一条寺にでるコースを歩く。宝ヶ池ではカワセミを見つけたが、教えてくれた方がいるだけで静寂。東京なら大砲のようなカメラを持った人が集まるだろうが、ここなら私でもゆっくり撮影できる。オシドリが群れて泳いでいる。

ちなみにオシドリ夫婦と言えば、末永く添い遂げる夫婦の象徴みたいだが、実は仲のいいのは卵がかえるまでで、ひなができるとオスはさっさと去っていき、オスだけで群れおり、翌年は必ず別のパートナーと過ごすのだそうだ。オシドリ夫婦というのはそういう夫婦のことだそうだ。

大文字焼きの「妙」の字がある山を過ぎ、叡山鉄道に出る。それには乗らず白川通りにでて、宮本武蔵の決闘の場である一条寺下がり松を目指して歩きました。京都の北は寒い。比叡山は雪がついています。

京都大学・吉田神社

本日は志摩から近鉄特急で京都に移動してきました。今回目的は京都大学見学。その後に吉田山に登って、古民家レストラン「茂庵」に行き、同志社大学レストランで夕食を食べて、今宝ヶ池の京都国際会議場駅の近くのホテルに泊まっています。明け方はふたご座流星群が見えそうです。昨晩は数個見ることができました。

まず最初は京都大学、時計塔の下には売店や資料館があり、ヘディンのスケッチを見ることもできました。

その後吉田神社、吉田神道の本家。元本宮は全国の神さまがおられる。

吉田山のうえにテレビでしばしば紹介される古民家喫茶店がある。外国人が多い。

志摩国一宮・伊射波(いさわ)神社

志摩には伊雑宮(いぞうのみや)という一宮がある。ところが鳥羽にもう一つ志摩の一宮がある。一国に一宮が複数あることは珍しいことではない。昨年伊雑宮にお参りしたあと、それを知って軽トラックに載せてもらって、訪れたのだが、自分で探して行ったのではないので、ルートの記憶があやふやだった。今回志摩の竹内さんが古民家復元でウッドデザイン賞を受けたという連絡をいただき、見学に行くことにしたので、ついでに伊射波神社を訪れた。途中で道を間違えたぐらいで、軽トラック道は覚えていなかった。今回確かめることができたのはよかった。

志摩猪子家・ウッドデザイン賞

志摩の竹内さんが復元作業をしていた古民家の猪子家がウッドデザイン賞を受賞し、登録文化財にも指定されるという。竹内さんは「志摩という国」というアーティストブックを作った方だ。その本は昨年の7月、伊勢志摩で行われたG7サミットで公式のお土産になり、オバマさんやメルケルさんに渡された。もちろん彼らが読むことはないだろうが、その著者は宮本常一先生と何を隠そう!、この私である。

その竹内さんは賢島に近い場所にあった旧財閥系の方の別荘を譲り受け、復元を始めた。当時は大変立派なものだったが、すでに朽ち果てており壊して新築した方がはるかに安上がりだったというが、竹内さんは旦那さんと一緒に復元に取り組んだ。私は一昨年復元途中の屋敷を見せていただいたが、今回は完全に復元されている。本日は旦那さんだけしかいなかったが、奥さんが9割、私が1割の作業だったと謙遜されていたが、すごいことだ。玄関前に立派な桜の大木がある。満開のときにまた来る約束をして別れた。

峠楽会 第11回 方南弁天峠(杉並区)

  12月16日土曜日、峠楽会(昔のブラリバークラブ)の今年最後の探索会です。今回は方南町(地下鉄丸の内線終点)から歩き出し。勝手に名前をつけた方南弁天峠をとおって善福寺川から荻窪まで歩きます。

そのあとは荻窪で忘年会。中央線沿線の人が多いのでそちらに場所を設定しました。もし参加希望の方は以下のページを見てお返事ください。

峠楽会のページ ←クリックしてください

大宮八幡宮・共生の木

  善福寺川をうろついていたら大宮八幡宮に出た。武蔵の国の一宮は埼玉県大宮の氷川神社だ。一宮が大宮と呼ばれることが多いが、こちら杉並区の大宮は一宮ではない。しかし大宮と呼ばれるだけあって由緒正しく立派な神社である。八幡宮は日本で一番たくさんある神社で、第15代応神天皇と母の神功皇后が祭神である。

神功皇后は夫の仲哀天皇が突然なくなったので、夫に代わって三韓征伐をした女傑である。韓国にいるあいだに子が生まれそうになったが腹に石を巻いて生まれるのを送らせて博多に戻り「宇美」で子を産んだ。仲哀天皇がなくなってから1年以上経っているのだから生まれた子の父は天皇のはずはない。しかし神がかりの皇后だから生まれるのを遅らせることができたのだ。これは古事記に書いてある話だ。

しかしこの子を天皇の後継者とするのは難しかったのだろう。神功皇后はその子を一旦敦賀(角鹿)に送り、そこで神さまと名前を取り替えて、都に迎えた。名前を取り替えた子は第15代応神天皇として即位した。これも古事記の記事であるが、なんでこんなおかしな記述をしなければならなかったのだろう。

私はここ数日北朝鮮からの木造船が日本海岸の漂着していることと関連させて考えてしまう。敦賀は日本海岸の良港で、昔は多くの朝鮮半島からの船がやってきた。応神天皇がそこからやってきたということは・・・
 そんなことを考えながら神社の裏手に回ると「共生の木」との表示があった。上を見上げると榧の木の途中から桜の木が伸びている。青い榧のいがいが葉っぱのなかに桜の黄色い葉がある。どこに桜があるのかと探したが地面から伸びる木はない。上手く写真が取れなかったが、なんとかわかる。不思議なことがあるものだ。
不思議な神様のいる神社だから不思議なことがあっても不思議ではない。この神社は都内でも屈指のパワースポットだそうだ。納得!

なつかしい人に出会う!

12月2日(土)には高校時代の友人たちとあった。名古屋からわざわざ出てきてくれた。ラグビー部にいたいかつい体の男で、我が校のボス的存在だった。他校の悪童に睨みを効かしてくれていたので、私たちは他校に試合に行っても一目置かれていた。ありがたかった反面、テストの時には「オレは勉強してないから0点だ。お前も白紙で出せよ!」と威嚇されて、やっと解いた回答を消して0点になったこともあった。しかし彼はちゃっかり隣のを写して半分ぐらい得点していた。今から考えればとんでもないいじめだけど、当時は強いものには逆らってはいけないと思っていた。「そんなこともあったよな!わるかったなあ!」50数年ぶりの楽しい思い出だった。

数日後、これまた懐かしい人にあった。子どもたちが小学生だったころだからもう30数年前に英国のドーバー行った。彼女がドーバー海峡を水泳横断するのを応援に行ったのだ。日本人初の快挙の後のトライだったので結構気楽でわが娘も一緒に、冷たい海に入ったことを思い出した。私は手を入れただけでとても入る気はしなかった。ドーバーの水はとんでもなく冷たかった。その後、彼女に進められて書いたのがわが最初の著書である「水水水こぼれ話」(窓社)である。
彼女のダンナには数年前に2年続けて上高地から徳澤の間でであった。それも偶然も偶然! 今回彼女にあったのも我が家の近所で横断歩道にならんでいるときに目があったからだ。こんな偶然もあるものだ。我が家の奥さんを呼んでしばらく昔話に花を咲かせた。

もうひとり、こちらは今年の5月鳥海山のスキーでご一緒した方だ。大谷さんのドルポの会で半年ぶりの出会い。彼女は私よりも年上だが、とてつもない体力の持ち主。毎年夏は南アルプスの聖小屋(3000m)で3ヶ月間まかないをやっている。「暇なときには兎岳まで走っているよ!」とのこと。ここで会えるとは思っていなかったので写真を持って行かなかった。鳥海山の頂上からのテレマークスキーの勇姿です。私よりも数歳上の女性ですよ。すごいとしか言いようがない。