穴八幡のヘンテコ狛犬

 穴八幡宮は早稲田大学文学部の前にある立派な神社。昔はみすぼらしい神社だったが、近年朱塗りのピカピカ神社になった。拝殿の前には立派な狛犬がいるが、この神社の見どころは崖の縁にある神武天皇遥拝所の狛犬だ。

江戸時代1700年代のものだという。この時代には頭に宝珠、一方の頭に角というスタイルが流行したらしい。しかしこれほど顕著なのはあまりない。下に西向き天神もものを示すが、宝珠も角ももう少し謙虚だ。穴八幡はつい最近再建されたのでピカピカ。神門をとおして拝殿を見るとなかなかいい。八幡様だから応神天皇と神功皇后を祀っている。神功皇后は仲哀天皇の奥さんだが、仲哀が亡くなった後に女の天皇になっている。しかし古事記には天皇になったという記載はなく歴代天皇の系統には入っていない。神功皇后は朝鮮遠征のあとに仲哀天皇の子である応神天皇を生んでいる。でも仲哀が亡くなってからだいぶたってからだ。子どもが生まれないように腹に石を巻いていたので20か月間もお腹にいたそうだ。どう考えても怪しいが、神話の話だからまあいいか。
立派な社殿になったが、私は立派なお庭にある石に注目した。磨いた花崗岩に影が差しているように見えるが、実は黒っぽいのは別の岩石。マグマが冷え固まるときに変成岩が貫入してきたものだ。ミグマタイト(混成岩)だと思う。いいね。

狛キツネ、新宿の女

高田馬場の馬場では流鏑馬が行われる。今は水稲荷神社の前の直線の馬場で行われるそうだ。稲荷神社なので狛犬はいないはず。ここには立派なお狐様がいる。社殿の裏側には冨塚というのがある。たぶん富士塚だろうと思う。この塚の上に鳥居がいくつもあり、狛犬がいくつもある。

狐は稲荷神のお使いであって狛犬のような番犬ではない。もっと神に近い存在なので狛犬の真似をすることはないのだが、ここではまったく狛狐だ。裏手にでてみると壊れたお狐様がたくさんいる。まえの氷川神社で見たように人工的に壊したものだ。これもたぶん廃仏毀釈のなせる業だろう。気になるとどんどん気になってくる。

水稲荷を出て、大久保の西向天神社に行った。ここには藤圭子の「新宿の女」の碑がある。富士塚もあるので何度も来たことがある。しかし狛犬はよく見ていなかった。石段途中と拝殿前にそれぞれ一対づつある。


拝殿前の狛犬は右側の阿の頭には宝珠が、吽の頭には角がついている。これは1700年代に多く作られたものらしい。王子稲荷神社の石段の上にも宝珠と角の狛犬があった。他にもいろいろあるのだろうな。西向き天神はお富士山(富士塚)でも有名。石段下から見るとかなり高い感じがする。富士講の石碑が多数ある。

首のない狛犬、カッパ狛犬!

先日目黒不動に行ったら狛犬がうじゃうじゃいた。ということは目白不動にも狛犬がいるだろうと出かけてみた。目白不動は今は都電の学習院下駅の近くにあるが、元は江戸川橋から椿山荘に上る坂の途中にあった。現在の目白不動も急な坂の途中にある。足をがくがくさせながら下った目白不動に狛犬はいなかった。 目白不動をでて面影橋に向かう途中に高田の氷川神社がある。我が家の近くにはそこここに氷川神社がある。大宮の氷川神社が本社だが、もともとは出雲の斐伊川に住む神を、関東の地に招来した豪族がいたのだろう。埼玉大宮にある氷川神社で聞いてみたが、そこから冷たい湧水が出たことから氷川と呼んだということだった。東京の氷川神社の中には本来の簸川(斐伊川)神社とするところもある。

まあそれはそうとして、この氷川神社の社殿の前には狛犬がいたが、昭和のありふれたものなので通り過ぎた。しかしちょっと気になったので振り返ったら鳥居の脇に黒っぽい古そうな狛犬がいた。しかしちょっと変。よく見ると阿吽の吽の方の首から上がない。阿の方も右の耳が欠けている。自然に風化したわけではない。転がり落ちてもこんな壊れ方はしない。これも誰か人の手で破壊したものだ。罰当たりな奴め! かなり腹を立てて面影橋を渡り、高田馬場方面に上っていった。右手に亮朝院というお寺があった。お寺で狛犬はあまり見ないが、石段を登った上に一対の狛犬がいる。これも変わった形の狛犬だ。頭の上にお皿がある。カッパ狛犬かな??

6匹の子連れ狛犬

大田区の狛犬探しに出かけた。今回は多摩川土手のそばの六郷神社から東海道を鈴ヶ森に向けて歩き始めた。六郷神社には大田区では一番古い狛犬がいるのだが、植え込みの中にあるのでうまく写真が写せない。こんなところでご勘弁を!

東海道をあるいて次に行ったのが大森諏訪神社。ここの狛犬は尻尾を逆立てている。番犬としては大いに役立つだろう。

ここからJR東海道線を超えて春日神社に行く。目の前に「東海道」と書いてある。さっき通ってきた国道15号線沿いの東海道は何だったのだろうか?
この神社の狛犬。これはすばらしい。阿吽の両方の狛犬に2匹ずつの子犬がまとわりついているのだ。子育て狛犬と言われるそうだ。先日中野の打越天神社を訪れた時には一匹の子犬がお母さんの背中に登ろうとしているのを見たが、今回は2匹ずつ合計4匹がじゃれている。こうなるともう狛犬は魔除け、門番の役目ははたしていないな。庶民の「子育て祈願」のための奉納という意味だろう。それにしてもいい感じだ。

ここから春日橋をとおって京浜急行大森町駅にもどり15号線を歩くと10分ほどで磐井神社にでる。磐井の井戸があるが、ここで驚くべき「6匹子犬」の狛犬を見つけた。これはまたまた感激。子犬全部がかわいいのだ。番犬としての狛犬のイメージが変わった。

狛犬に劣る人間!

毎日のように子どもへの虐待が報道されている。恐怖をうえつけて子どもを支配しようとしたら、こどもは怯えて情緒不安定になる。そんなかわいそうな状況を作ってはいけない。子どもが言うことを聞かないのは当たり前のことで、それをゆっくり見守るのが親の仕事。いらだって子どもに暴力をふるうなんて、最低の人間だ。狛犬にも劣る。おっと狛犬が怒るかも。

私は狛犬愛好家で、暇があれば近隣の神社などで狛犬を見ているが、最近は子どもと遊んでいる狛犬に目が行くようになっている。上は中野区の氷川神社の狛犬である。台座には安政4年制作とあるが、もちろんこれは再建されたもので新しく見える。吽形の狛犬は子どもを優しくなでているようで、阿形は手を載せているだけで、ほかの狛犬のように踏みつけている感じはない。  この狛犬は新井薬師の北野神社にいたものだが、子どもが親を見上げている姿が愛らしい。もう一方は玉を踏んでいる。これは江戸獅子型の一種だが、たいていは子も踏みつけていることが多いが、これは優しく手を置いているだけだ。製作者も子どもの愛らしさを表そうとしたのだろう。  これは中野区の打越天神の拝殿前の狛犬だが、阿形の親の背中に乗ろうとしている。実にかわいらしい。本来狛犬は魔除けのために寺社の前に置かれるので怖いイメージがある。大きな寺の狛犬は強そうで態度もでかい。しかし一般民衆は子どもをかわいがる優しい犬をイメージした。私は大きな神社の完成された狛犬よりも、小さな神社のかわいい狛犬に親近感を感じている。下の狛犬は東京靖国神社の巨大なもの。   子どもへの虐待・・・弱い者いじめ・・・強いものには逆らってはいけない・・・
何とも言えなく悲しい。世界的な風潮の縮図みたいな気がする。

平将門の鎧神社の狛犬

  新宿柏木に鎧神社がある。ヤマトタケルの東征の際に武具を保管した場所と言われると書いてあったが、地元の人は平将門の鎧を埋めた場所として信仰が厚い。平将門は関東では人気のヒーローだ。平安時代関東の国々を征服して「新皇」と宣言したが、わずか2か月ほどで朝廷軍に討たれなくなった。 その首は京都でさらし首になったが、怨霊が強く、大手町の将門塚の場所に飛んできた。それが今も残る首塚だ。何度も移転しようとしたがその都度作業員や責任者が亡くなったために、進駐軍でさえも怨霊を信じざるえなかった。今でもどんな大企業も手を付けない超パワースポットになっている。

鎧神社は将門の鎧が埋められたというのだから、パワーは感じられるようで、多くの人が訪れる。実はこの神社の神さまはヤマトタケルと大己貴命である。平将門は明治初期、天皇に反旗を翻した逆賊として祭神から外された。千年以上も前のことでも明治天皇は許さなかったのだ。しかし戦後天皇様の権威が薄れると再び祭神として祀られるようになったとさ! 境内は特徴的だ。拝殿前のものは巨大な花崗岩つくりで立派、昭和11年作。裏門の天保年間の狛犬はツギハギでかなり痛めつけられている。ここは明治の廃仏毀釈で大いに痛めつけられた。 鳥居脇の天神社には新宿区の文化財である庚申塔型狛犬?がある。これは享保年間のものだという。なんか変な狛犬だが、意味があったのだろう。不気味でかわいい。天神社というからやはり怨霊を鎮める神社なのだろう。

亀戸天神の梅・香取神宮狛犬

家から両国までシルバーパスでいきました。江戸東京博物館は水曜日はシルバーディで無料なので入館、じいさんばあさん外国人でした。そこからバスで錦糸町へ。ここもシルバーパス。交通費も入館料もかかりません。そこから歩いて亀戸天神に行き、今満開の梅を見ました。ここはお賽銭だけ。
年寄りをちょっと優遇しすぎだと思いながら、ちゃっかり便乗して梅見、境内は、我らと同じじいさんばあさんだらけ。

春日通りを亀戸方面に行くと黒い鳥居があり、参道が伸びている。ここは香取神社。本家の香取神宮は利根川下流の下総国一宮であり、経津主神が祭神である。この神さまは鹿島の神さまと一緒に出雲の大国主神を降参させて国譲りを成功させたとして建国の神とされているが、古事記には出てこない。しかし建国の神ということから武将の信仰が厚く現在も「神宮」として君臨している。亀戸の香取神社との関係はよくわからない。今はスポーツの神として有名で、拝殿には「池江璃花子選手の回復を願う」という寄せ書きがあった。

 狛犬愛好家としては気になることがあった。鳥居の脇に上のような狛犬が打ち捨てられていた。一対ではなく同じものを前後ろからとったもの。頭の部分が割れているのだ。これは自然に壊れたものか、あるいは人工的に壊されたものか。古い神社に行ってみると結構壊されたらしい狛犬が捨てられているのが見つかる。私は明治の廃仏毀釈の余波ではないかと思っているのだが。割れ口はそんなに古くない。ともかく狛犬を壊す輩がいるのだ。チコちゃんに怒られるぞ!

交通費がかからなかったので、お昼を両国の門前茶屋で豪華に食べた。深川めしと穴子蒸籠だ。深川めしは富岡八幡宮の境内にある「深川宿」が人気だった。富岡八幡宮の不祥事によって参拝客は激減したそうだが、深川宿はどうなったのだろうか。

お仕事 浅草寺の狛犬

浅草浅草寺(浅草神社)の狛犬。本日はお仕事をしています。でも、「なんで私がこんなことやらなきゃいけないの?」と不満顔をしています。国民の義務だから・・・・  板橋の税務署の前を通ると、今年は例年よりも大混雑している感じです。恣意的な統計よりも、税務署に並んでいる人の顔を見れば、毎年景気がどのように変動しているかわかります。

 ここに並んでいる人は税金を払いに来ているのではなく、確定申告をして払い過ぎた税金を還付してもらおうとしている人たち。サラリーマンにはわからないが、個人事業主、アルバイター、非正規社員などは、とられ過ぎた税金は確定申告をしなければ返ってこないので、面倒な書類を書いて提出しているというわけです。

今年は、特に若い人たちが多い感じ。税金を返してもらおうという若者が多いってこと。一応企業に属していれば、払い過ぎた税金は年末調整で戻ってくる。しかし弱小零細企業ではそうはいかない。非正規社員、個人事業主は自分でやるしかない。もともと給料の少ない人にとっては面倒だなどといっていられない。小さな子供連れのトウちゃんカアちゃんも多い。がんばれよ!と声をかけたくなる。 政府統計は、アベノミクスのおかげで景気は上昇というが、それは景気のいい企業だけを選んだマジックだ。NHKは「ボーッと生きてるんじゃないよ!」と庶民を叱っているが、ボーッとしているのは政府の方だ。「庶民をだますんじゃないよ!」と政府を怒り飛ばしてほしいものだ。

本日は浅草神社のお仕事狛犬。新井薬師北野神社の子守り狛犬、中野打越天神の子育て狛犬、哲学堂の紅白梅

戸隠神社と高千穂の岩戸神社

岡村さんの植村直己冒険賞の受賞発表をみて、すぐに東京駅から新幹線で長野に、バスに乗って戸隠中社に来ました。そこで狛犬の写真を撮って、雪の中を奥社まで行きました。暗い中、雪道を歩くのは結構大変。やっと戸隠の都立大学山荘につきました。仲間3人はすでについていました。明日からは雪山歩きです。今年は雪は少なく、ブッシュがでています。 近年戸隠神社は強力なパワースポットとして人気があるようで、真冬のこの時期でも奥社まで詣でる人はかなり多い。神社入り口には「隋神門よりも先は冬期閉鎖、雪崩の危険もあり」と書かれている。今日は完全装備の高齢者グループが多かったが、例年運動靴姿の人たちとあう。昨年は「パワーがあるからだ大丈夫!」と言う若者が何人もいた。雪まみれで嬉しそうに帰ってきたのを見ると、本当にパワーがあるのか?と思った。 九州高千穂に天岩戸神社がある。スサノオ神と喧嘩したアマテラス大神は怒って岩戸の中に籠ってしまった。太陽神アマテラスが隠れたので世の中は真っ暗になった。オモイカネ神は一計を案じた。岩戸の前でアメノウズメにセクシーな踊りをさせた。それを見た神々はやんややんやと騒いだ。

  アマテラス大神は「私がいないのに何がうれしいの?」と思い、岩戸を少し開けた。岩戸の前に侍っていた強力のタジカラオ神が扉を大きく開けたらアマテラス大神が現れ、世の中は再び明るくなった。

タジカラオ神は二度と岩戸が閉まらないように、大力で岩戸を放り投げた。その岩戸ははるか信州の山に飛んで行った。その山は戸隠山と言われるようになった。

戸隠中社には企画者のオモイカネ神、奥社には岩戸を放り投げたタジカラオ神、下の火之御子社には踊りを踊ったウズメ神が祀られている。私は火之御子=日の巫女=ヒミコではないかと思っている。それはさておき戸隠神社と高千穂は離れているが深いつながりがあるのだ。

写真は1.戸隠中社の本殿前  2.奥社狛犬 3.奥社参道杉並木 4.随神門 5.火之御子社社殿 6.奥社鳥居と本殿(今年は雪が少ない)7.奥社の鏡池と野仏(姫遍路 )

植村直己冒険賞 丸山さんのページ

昨日の植村直己冒険賞の報告をしようと思ったのですが、丸山純さんが的確に様子を描いているので、勝手にシェアします。本来は丸山さんのページにリンクさせればいいのですが、やり方がわからないので、私のページにコピーペーストしました。丸山さん、事後報告ですがよろしく。

遅ればせながら、私も……。今日(もう昨日ですが)、明治大学紫紺館でおこなわれた植村直己冒険賞の発表記者会見に行ってきました。今年度(2018)の受賞者は、岡村隆さん。

配付資料によると、対象となる《冒険名》は「『未知』の遺跡探査に情熱を傾けて約半世紀、南アジア密林遺跡探検調査」だそうで、《実施期間》は「1969年4月1日〜2018年8月25日」となっています。

《工夫・独創性》の項目には「調査が困難な現地の人々の代わりに調査を進め、少しでも早く文化遺産として世に導き出すことと、現地の人々と協力して進めることによって、これ以上の遺跡破壊を食い止めることを目的に、2008年NPOを設立。後世にも続く仕組み作りに情熱を注ぐ。探す遺跡がどんなに小さな見栄えのしない遺跡でも、そのひとつひとつの調査の積み重ねと地道な作業の継続にこそ、自分にも結果がわからない『意味』があり、未知の対象への邁進という一点にこそ、なにものにも勝る『面白さ』があると信じて取り組んできた」と書かれていました。

記者のみなさんもこれまでと毛色の異なる受賞者の登場にやや戸惑っていたようで、探検と冒険の違いとはどこにあるのかとか、植村さんとのいきさつ(『モルディブ漂流』参照)とはどんなことだったのかとか、岡村さんが答えにくい質問も寄せられて、苦笑しながら説明することになりました。でも、中貝宗治市長や西木正明選考委員長の発言にもあったように、植村賞の可能性をさらに広げる受賞になったのではないかと思います。

植村さんの母校である、豊岡市立府中小学校の6年生の男の子の挨拶がとてもよかったし、岡村さんもやっとここで笑顔がこぼれました。

横のほうの席だったのであまりいい表情が撮れませんでしたが、写真を載せておきます。

岡村さんが主宰するNPOのウェブサイトは、以下です。このサイトから引いた文章や写真、昨年11月の地平線報告会のレポート(地平線通信476より)も配布資料に載っていました。
http://npo-sarers.org

植村直己冒険賞 岡村さんのページ

みなさま、ありがとうございました。

昨日の植村直己冒険賞の発表と会見に際しましては、多くの皆さまに心温まるコメントやメッセージをいただき、また三輪主彦さんや山本千夏さん、丸山純くんたちがタグ付けしてくださった投稿に多くの「いいね」を頂戴し、本当にありがとうございました。ほかにもこれらをシェアしてくださった方々の投稿にも多くのコメントをいただいているようで、感謝と恐縮の念にたえません。

受賞決定の報せをいただいたときには、正直、「えっ!? オレ探検はしてても、冒険なんか全然してないのに……」と驚き、戸惑いました。それは、これまでの受賞者の方々が純粋に己の行動そのものを追求してこられた孤高の影を宿す人ばかりで、畏怖すべき冒険者たちであって、小生のようなのがそこに混じると植村賞の名を汚すことになるんじゃないかと恐れたからでした。

それでも、今回は選考委員間で「探検と冒険」に関する議論があり、その結果としての決定だと聞かされ、さらに選考委員や推薦委員の方々が小生らの探検のような地味な活動にまで目を向けてくださったことを考えると、少し落ち着いて、「これは仲間全員と、長く続いているプロジェクト全体への、大先輩・植村さんからのご褒美のようなものなんだろう」という解釈で、ありがたくいただくことにした次第でした(もうひとつ、植村さんとの個人的な因縁への思いもありました)。

とはいえ、小生も雑誌ジャーナリストの端くれではありましたので、少し内実に目を向けると、今回は推薦委員(と思われる)某事情通の大先輩、某ジャーナリスト、高名な某登山家といった方々が推してくださり、選考委員には山極寿一京大総長が新たに加わっていることなどから、何となく想像できるところはないわけではありません。もうひとつ想像できるのは、いずれも別の分野で面識のある選考委員の方々が、出された書類を見て、「えっ、岡村ももう70歳なのか!」と驚かれたのだろう、ということです(笑)。それやこれやでいただくことになった賞ですが、いただく以上は賞の名を汚さないよう、これからも頑張ろうと殊勝なことも考えております。

小生の受賞には異論もあるのかもしれませんが、とりあえずは多くの皆さまから温かい声をかけていただき、そのことにかつてない感激を覚えております。メッセージやコメントをいただいた皆さまには個別にお礼を申し上げなければならないところですが、まだ対応できない状態です。申し訳ありません。

とりまとめた雑なご報告やお礼になって恐縮ですが、皆さま、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

目黒不動 狛犬見物!

目黒不動には狛犬がたくさんある。狛犬ファンにとっては必須の寺だ。
「あれ!まてよ!寺に狛犬があるの??」
ここは結構有名な神仏混交の寺院で、江戸時代天海僧正によって「山王一実神道」が作られ、山王鳥居もあった。数年前にここの石段上に白い山王鳥居が作られた。今も神仏混交の寺院である。 京急の不動前という駅からは結構遠いので、私は目黒駅から歩いている。行人坂という急坂を下り、目黒川を渡って山手通りを渡る。仁王門は目黒川の低地にあるが鳥居と本堂は石段上の台地上にある。仁王門(神門かな?)には仁王様がいるが、裏側には白い狛犬がいる。


石段の下には優しい感じの狛犬がいる。犬というよりか狐かな?? 前不動の前には、これまたおかしな狛犬がいる。まるで何か悪いことをして反省をしているようだ。さらに滝ノ上の斜面には、かなり傷んだ狛犬が一対いる。詳しく調べた人によると、首から上だけの狛犬があるという。
たくさんの狛犬があったが、何かの拍子に破壊され捨てられたようだ。

石段の登り口の左側に子供をたくさん持った狛犬がいる。ふつうは対称になっているが、右側に狛犬はない。石段ではなく女坂を上ると途中に「役行者」のお堂がある。このお方が神仏混淆の修験道の創始者だが、明治の神仏分離令によって修験道は抹殺された。役行者の名前もほとんど知られていない。


石段を上がったところにあるのが都内で一番古いという狛犬、徳川時代の前期のものだという。後ろ姿がなかなかいい。

 本堂にご挨拶をして左手に進むと、微笑観音様が立っている。その右側にすばらしい狛犬がいる。台座まで彫刻が施された立派なものである。まさに芸術品の趣がある。裏側を見ると天保11年とあるので江戸末期のものだ。しかし左半身が人工的に壊されている。さらに対になっているはずの狛犬が見当たらない。よく探すと左側の狛犬の台座だけがあり、上に小さな新しい狛犬が乗っている。たぶん神仏分離令(廃仏毀釈)の時に、目をつけられ破壊されたらしい。仏像とか仏具など文化財だけが破壊されたのかと思っていたが狛犬までやられたのだ。
行人坂の途中にある大円寺には、目黒不動にあった狛犬の頭が移転されているそうだ。明治政府はいいこともやったが、結構大変な愚策をやった。ちょっと腹を立てながら境内を回ったが、紅梅が今盛り。これを見て気分を直して目黒駅にもどった。

戻る前に駅近くのAmasonの会社入り口にあるアンモナイトを見に行った。写真を撮っていたらガードマンに注意された。会社ではなく入り口なのに撮影禁止とは、気分は悪い。Amazonなんてきらだ!

ダイヤモンド富士ならず

荒川土手を散歩中、太陽がだんだん沈み始めた。あの方向に富士山があるはず。うまくいけばダイヤモンド富士が見られるかも! 中山道にかかる戸田橋に急いだ。戸田橋は800mほどの長さがあり、橋の上どこかで富士山に沈む夕日が見られるかもしれない。

と思ったが既に富士山の上を通り越して北側に動いていた。ちゃんと計算していけば見ることができるが、突然の思い付きだけでは無理だ。でもきれいな夕日と富士山が見れた。まあそれで満足!