中央構造線 がけ崩れ!

  長野県の大鹿村を日本で一番規模の大きな大断層である中央構造線が通っている。構造線というのはプレートが押し合って地層が割れたりずれたりしたものだ。上の地図を見ると四国紀伊半島ではほぼ東西に延びているが、静岡県に入ると急に曲がって諏訪湖に北上している。曲がっているのはフィリピン海プレートが北向きに突っ込んできたからだ。

いずれにしても構造線は地層が壊れているので雨が降りこんでくるとグズグズになり、長い間に構造線に沿って谷ができる。ここ大鹿村を流れる川はみなグズグズで崖くずれ、土砂崩れが起こる。

中央構造線博物館から見える大崩れは「大西山崩れ」で昭和36年の集中豪雨で崩壊した。村民42名が亡くなる大災害だった。いま桜山になっている台地は山体が崩れた土砂でできている。当時の集落はこの土砂の下にあり、川の流れは大きく迂回している。 大西山の崩れよりもまだ大きな崩れは鳶ケ巣崩壊地で砂防工事をしているがあまり意味ない感じだ。ここは蛇紋岩(かんらん岩)地域で特に崩れやすい。

しかし地滑り、土砂崩れの地では土地が肥えていることが多いので古くから人が住んでいる。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子の宗良親王は上蔵集落に流された。ここには福徳寺や松川家住宅など由緒ある文化財もある。こんな危ういところだが人々の営みは続いている。

HANAOKAさんは砂防の専門官、砂防ダムの見学にも行って来た。