地学かわら版 復刻で

昔地学の教員をやっていたころ、その日の授業内容とは関係のないが、面白そうなトピックを集めて「地学かわら版」を発行していた。当時はガリ版で作ったものなので「わら半紙」に印刷したものしか残っていない。コロナで巣ごもりの中、机の整理をしていたら何枚か出てきた。それをワープロで打ちなおした。せっかくなのでここにアップしておく。皆さんに見ていただきたいということではなく、私の記憶の整理という意味だが、暇で困っていたらちょっと覗いてみてください。

1984年、戸山高校にいるときに作ったものだろうと思います。夏休みに北海道の函館から札幌まで走り、さらに稚内の近くの豊富町に行き、隣の幌延町の高レベル放射性廃棄物の埋め立て候補地をみてきました。当時はまだ風評被害という言葉は使われていなかったようですが、明らかな風評被害が出ていることを知りました。そんな意味で言えば、こんな文章でも残しておく意味はあるかなと思っています。

ほかにもまだありそうなので探して時々ここにアップしておこうと思います。ガリ版刷りなのでイラスト、写真などはありません。(恐竜の時にはガリペンで描いていたかもしれない)

地学かわら版 1984年8月ー1

夏休み報告 1
今年の夏は以上に暑かったですね。この暑さの中で、何をやっても能率が上がらないので(私の場合は涼しくても同じですが)これを理由にして涼しい北海道へ行くことにしました。貧しい生活なので東京青森は当然「青春18切符」を使いました。(注:1983年から8000円、1日1600円)

朝6時10分上野発の鈍行列車乗り継ぎでその日のうちに青森に行くことができます。あと10分早く着けば青函トンネルの海峡線で函館に行くことができるのに、ここがJRのせこいところです。仕方なく青函連絡船で函館に行きました。船の中では寝ることができるのでかえって安上がりかもしれません。4時間ほどで函館到着。道路標識に「札幌まで270㎞」とありました。
「おお!これなら3日間で走れる!」

5時15分、カメラ、電池、着替えなど重たいものは袋詰めにして友人宅に送り、短パン、ランニングシャツにディパックを背負って国道5号線を走り出しました。5分もしないうちに雨が降り出したが、どうせ汗でぬれるので雨の中20㎞を走った。8時30分大沼の近くでやっと晴れてきた。靴の中はぐちゃぐちゃで気持ち悪いが、目の前には駒ケ岳が若駒のように(我ながらダサい表現)そびえていました。

しばらく歩いているうちに衣服も乾いてきたので近くのセブンイレブンに入ってあったかコーヒーとあんまんを食べて元気を出し、森町を通過(10時16分)。目の前に噴火湾が見えてきた。このあたりで(11時7分)函館から40㎞。「今何時、そーねだいたいね!」などといながら快調に進むが、車が多くなって閉口する。
途中ブンブン族(ミツバチ族)のオートバイ連中とすれ違う。皆ピースサインをしていく。多少「バイクは楽でいいなあ!」と思うが、人をうらやむことはやめて、こっちの方が楽しいんだぞと無理やり自分に言い聞かせる。落部という集落で2時20分、60㎞、足が火照って熱を持ってきたので、湧き水に足を浸す。横を見たら近所の家のスイカとトマトが冷やしてある。汚い足と一緒にしてゴメン!

昔植村直己さんは北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まで2800㎞の徒歩旅行をしたが、最初の日は張り切って74㎞を歩いたと言ってました。私は75㎞先にある八雲という町を目指していましたが、50㎞を超えたあたりから足は痛いし体はバテバテになり5分走っては15分歩きという状態で時速は6㎞に落ちてしまいました。それでもなんとか5時ごろ八雲駅に到着。駅前の「まるみ」という商人宿に泊まりました。1泊2食で4000円、まあ妥当な値段です。お風呂につかりながら
「あの偉大な植村直己に1㎞勝った」
という満足感に浸りました。

8月19日 缶コーヒー 100円 新聞90円 週刊朝日250円
     アイス 100円 連絡船1400円 夕食 550円
8月20日 朝食セブンイレブン 400円 パインジュース 100円 
     昼セブンイレブン 250円 宿賃 4000円

地学かわら版 その2

夏休み報告 2

植村さんは初日74㎞歩いたのがたたって翌日は、這って歩くような状態だったというが、私は親指の脇にマメができただけで快調そのもの。朝5時に「まるみ」を出発。しかし八雲から長万部までの30㎞の直線道路にはうんざり。並行する函館本線には北斗星やトワイライトエクスプレスなどJR自慢の豪華特急が、楽しそうな旅客の顔を乗せて追い越していく。その列車の姿が一直線の線路の先にいつまでたっても消えない。高石ともやさんの「長い道」が実感できる。単調な道だが時々大型トラックどうしが追い越しをするので、右側通行をしているのにすれすれのところを通過して恐怖を感じる。

10時20分に到着した長万部(おしゃまんべ)の町は寂しい感じだが、なんと「東京理科大学」があり、大勢の学生がいるという。基礎工学科の1年生はみなここで学ぶのだ。しかしなんで東京理科大学がここにあるのだろう。
国道5号線は長万部から内陸に入るが、私は札幌までの近道の230号線に入る。しかし洞爺まではトンネルだらけなので30㎞は列車に乗ることにした。トンネルは歩道があっても狭いし音もすごい。空気も悪いし、車にも迷惑になることは私も経験している。列車の中では「カニめし」(820円)を食べながらしばらく列車のゆれに身を任せた。

洞爺(11時)から洞爺湖までは昔の軌道跡を快適に上る。79年に大噴火をした有珠山がまだ異様な姿を見せていた。湖岸には快適なジョギングコースになっているが私の足は言うことを聞かない。てくてく歩いていると、サイクリングの連中が「お先に!」と言いながら追い越していく。「自転車は楽だなあ!」とうらやましく思う。でも「他人の庭はきれいに見える!」ということわざ通り、それぞれが勝手に羨ましがっているだけ。

洞爺湖岸を半分まわったところで昭和新山が見えてきた。この山は昭和19年、当時は麦畑であったが、その一部分が少しずつ隆起し、2年ほどで300mもの山になったのです。その様子を近くの郵便局長であった三松正夫さんが毎日記録したものは三松ダイヤグラムと呼ばれ、火山の成長を正確に記録した資料として世界で認められました。

三松さんの方法は自分の顎を固定台に乗せて目の前に数本の釣り用のテグスを張ってグラフ用紙のようにして成長の様子を記録していったのです。時期は昭和19年から20年、戦争のさなかで新聞もラジオもこれだけの大事件のことは報道しませんでした。戦後何年かたってやって昭和新山のこと、三松さんのことが世界に知られたのです。三松さんは昭和新山をわが子のように思い、その土地を買い取ってほかの人に荒らされないようにしたとのことです。したがって今もその地域に入ったり登ったりすることはできません。

湖畔道路を走り2時半、松浦武四郎展望台の上にあがる。大原小学校がある。教え子の田中雄次郎君が日本縦断徒歩旅行(注:1979年)の時に泊ったことがあると後で聞いた。
5時半、ルスツ高原のLilla Huset というペンションに泊まる(6000円)。ルスツはスキー場、童謡「赤い靴」の歌の発祥地!本日の走行距離は70㎞。 今日も植村直己に勝った!

地学かわら版 その3

夏休み報告 3

 ルスツ高原は何もないところだったが4、5年前に突然ディズニーランドみたいな遊園地とスキー場と巨大なホテルができ、地元だけでなく本州からも多くの人が来るようになったとのこと。もう8月も末でこの地では学校も始めっているので人影はまばらだった。スペースマウンテンに2人が乗って「キャー」と叫んでいるがなんとなく白々しい。遊園地ってのは混雑していないと寂しさが募るものです。
「おもしろて やがてさびしき 遊園地かな」字余り。

 またも夜半から雨、朝5時の出発予定はずるずる伸びて、出発は7時。今日は最大難所の中山峠越えがある。山はもっとひどい雨に違いない。そう思うと気分が滅入る。ルスツ高原から喜茂別に降りる。ここには昔国鉄の胆振戦が通っていた。線路は残っているが、何となく寂しい気分。

 喜茂別から登りにかかる。と言っても20㎞近く緩やかな登りなので走るのはそれほど苦ではない。それよりも雨と風を何とかしてほしい。北海道の夏だが寒くて仕方がない。途中の店に入ってあんパンを食べ温かい牛乳を飲んで朝食にする。
 3日目だが、難所があり気象も悪いので緊張感が増して疲れは感じない。中山峠は標高800m、喜茂別は200mだから600mを3時間かけて登るし、適度のカーブ、湧き水があるので気分は悪くない。

 途中で自転車ヤロウに抜かれるが、だいぶ疲れているようで「ガンバレヨー!」と言っても返事もなし。15㎞ほどは人家も何もない。休む口実もないので2㎞走っては3㎞の歩きを繰り返しているうちに突然中山峠に出た。最後の急坂で先ほどの自転車ヤロウを追い越した。急坂は走りの方が速い。峠にはドライブインがあり観光バスがあふれている。ベンチに座ってジュースを飲んでいると自転車ヤロウが上ってきたが、私を見るとプイと避けていった。ムリもない。機械力が人力に負けたのだから。

 私のほかに人力の旅行者がいた。彼は東京の学生で函館から歩き始め今日で5日目だという。私の2倍ぐらいの荷物を持っているので大変だったろう。つい「私は函館から3日目だ」というとさっきの自転車ヤロウ同様にいやな顔をする。2人を刺激してもいけないので、早々に札幌側に下り始めた。こちら側は緩やかな下りで、「下り坂サイコー!」と叫びながら行く。しかし途中に1.5㎞の長さの定山渓トンネルがあった。排気ガスがすごく、轟音が聞こえてくる。恐ろしい。

 中山峠から2時間ほどで定山渓温泉についた。500円で温泉につかる。急に体中から疲れが噴出した。この先のことを考えると気力体力とも失せた。恐ろしいトンネルはもう通りたくない。定山渓は札幌の奥座敷でバスが何本も通っていると思うと、ここで今回の走り旅は終了ということにした。ルスツから中山峠まで27㎞、峠から定山渓温泉まで20㎞、これだけ走れば十分。札幌まで25㎞を残してバスに乗った。

 市内だがかなりの山の中の盤渓に住む友人宅に泊めてもらった。この友人は高校生のころ超能力に目覚め、よくUFOに出会ったそうだ。今回通った八雲や喜茂別はその筋の人たちの聖地で、多くのUFO目撃がなされている。東京からUFO本場の北海道に移って10年。最近は安定した家庭を営んでおり、普通の生活者になったらUFOと出会わないようになったという。
 今回の走り旅は定山渓でほぼ210㎞走った。札幌に2日ほど泊って、ここから再び青春18切符で北海道の北端、稚内を目指すことにした。

待乳山にリフトがあった!

11月28日にぶらりバークラブの散策会を行う予定だったが、コロナの感染者、重症者が増えてきたので中止にした。しかし私は行く予定の牛島神社にある「狛丑」(これは私の造語)を来年丑年の年賀状に使う予定だったので、浅草駅から歩いて牛島神社に行ってきた。下の写真の橋は鉄道橋だと思っていたら、その脇に歩道がついていた。橋の上からうんこビルと浅草付近の景色はなかなかだ。

牛島神社の正面の鳥居はなかなかいいでしょ。三つ鳥居あるいは三輪鳥居といいます。奈良の大神(おおみわ)神社(三輪明神)にあるとりいなのでそう呼ばれています。ここには狛犬が4対と狛丑が一対、単独の牛が2頭います。皆さんがなでるので「撫で牛」は磨かれて光っています。                     狛丑の写真を撮ったあと三囲(みめぐり)神社に行く。先日檻の中に入っていたないっていた陶器製の狛犬の写真を撮ることができた。ちょうどNHKの「魂の焚火」という番組の収録準備で大勢のカメラが並んでおり、私も仲間のような顔をして中に入ることができた。それにしても一つの番組のためにあんなにたくさんのカメラが必要なのだ。NHKだからできることなのだろうな。いつ放送するのか聞くの忘れた。この狛犬隣の狛犬に近づこうとしている感じか愛らしい 境内にある「三角鳥居」本日は珍しい鳥居を二つ見た。その後桜餅を食べて桜橋を渡って待乳山聖天に行く。巾着と交差大根がシンボル。ちょっと驚いたが、高台にあるので登山用モノレールがあったので乗せてもらった。高低差5メートルほどかな?