三輪の神紀行! はじまるよ!

2021年正月、三密を避けるため、初詣には行かなかった。その代わりに十数年前奈良の大神神社へ初詣に行ったことを思い返している。暮れの28日にお江戸日本橋を出発して東海道を走り1月1日に伊勢神宮に参り2日は伊勢本街道を走り1月3日に大神神社に詣でた。

これだけ大変な苦労しての初詣をしたのだから、きっと大きなご利益があるだろうと期待した。しかし痛めた脛の剥離骨折がわかり3ケ月ギプス生活になった。お参りにご利益を期待するのが間違だ。日本の神様はただそこに居られるだけでいい。何事もなく平穏であればそれだけでいい。ただ存在するだけでありがたいことなのだ。日本神話にも最初の神様は泡のように現れすぐに消えるだけの存在だったと書いてある。神様には過剰な期待はしない方がいい。

大神神社の大神は「おおみわ」と読む。神のおわすこの地域を「美和」とか「三輪」とよぶ。神社の背後にそびえる神奈備山は「三輪山」である。私の名前はここが故郷であると勝手に解釈し、年に何回かお参りするようにしてきた。三輪山の上には三輪の神様がおられるということで満足すればいいのに、屁理屈好きの私は
「あなたは誰ですか?どこからきたのですか?何をするために来たのですか?」
という問いを発したくなった。

最後の「何をするか?」という問いの答えは、前にも書いたように
「ただただ存在するだけでありがたい!」
という答えを得た。しかし他の二つについてはよくわからない。
大神神社の「御宴能」でみた能「三輪」の中に
「思えば伊勢と三輪の神、いったい分身のおんこと、いまさらなにを磐座や!」
というセリフがあった。
「ええーっ 伊勢の大神と三輪の大神は同じ神だったのだ」

あの年に走って伊勢と三輪にお参りしたのは偶然たまたまではなかった。私にとっては実に興味深いことで、この時以来畏れ多いことであるが神さまを訪ねて歩くことが私の生活の一部になった。
神さまの源流を求めて大和から丹波、因幡、出雲、日向、高千穂、新宮、熊野、再び大和、近江、伊勢、志摩へと旅をした。その旅の報告書を2016年に作った。

しかしどうにも合点がいかないことが多く、公表は控えていた。
昨年コロナ禍で旅もままならなくなって、再び読み返してみた。
疑問は数々残るし表現はつたないが、しかしどこかに残しておいた方がいいと思いFBに連載の形でアップすることにした。

題名は「三輪の、神紀行」あるいは「三輪の神、紀行」 どちらにでも読めるようにした。しばらく続けていくつもりです。おひまなおりに眺めてください。7日→6日→5日 と7回分 1月1日までさかのぼるようになっています。