■3-7 大国主神は天照大神に国を譲る

天照大神は大国主神の豊葦原瑞穂国が大いに栄えているのを見て、あそこは元スサノオの国だから天津神によって取り戻そうと考えて、使者を送った。
しかし最初の使者である天之菩比(アメノホヒ)命は大国主神の魅力にひかれて「国津神」になってしまう。そんな繰り返しが何回かあったが、高天原勢は最後に武御雷(たけみかずち)というとてつもなく武力のある神を派遣して強引に交渉をした。
大国主神は息子の事代主神に相談する。
「いいですよ!」
と言って船をひっくり返して消えてしまう。
もう一人の息子であるタケミナカタは武力で挑んだが簡単に負けて母親のいる越の国のヌナカワ姫のもとに逃げこむ。さらに追われて姫川をさかのぼり諏訪の地に逃げ込んだ。そこで隠居するので赦してもらうことになった。
息子たちが敗北したので、大国主神は天にも届く巨大な宮殿に蟄居することにして、出雲の国は天照大神に譲ることにした。

出雲大社の中を見ることはできないが、聞くところによると真ん中に大国主神、両脇にはスセリ姫と宗像の女神であるタギツ姫が同居しているそうだ。

最後の抗争で、大国主神は豊葦原瑞穂の国を高天原勢力に明け渡すことにしたが、高天原の事情で天照大神の勢力は出雲に降臨してこなかった。
その間に仲間の大物主神は石見から大和に勢力を広げ、石上神社付近に本拠を構えた。た。長男の事代主神は葛城で地元勢力と婚姻関係を結び、一言主神として知られるようになり、羽振りもよくなった。諏訪には次男のタケミナカタが物部守屋と組んで勢力を拡大していた。天照大神の息子が降臨してこないうちに全国各地に大国主神勢力は広がっていった。

出雲での抗争は大国主神の「国譲り」で決着を見た。もと天津神のスサノオ神が作った出雲なのだから姉の天照大神(天津神の総帥)が取り戻すのは当然という論理だろう。平和裏に国が譲られたと古事記には述べられているが、当然激しい抗争があった結果だろう。

私は出雲大社の遷宮の次の日にバスで日御碕から日御碕神社に行った。
この神社は出雲で唯一、天照大神を祀っている。赤い社殿は出雲のどの神社とも違う。しかしこの神社の上の高台からはスサノオ神社が見下ろしている。
これが何を意味するのかはよくわからないが、私は天照大神、スサノオ神の姉弟が、大国主神から出雲を取り戻し、高天原での失礼をわびて、仲直りしている姿かと思っている。

日御碕は日没がすばらしい場所である。
「そうか、スサノオと天照の弟妹は、日が没するのを見ているのだ!」
自分の思いに酔っていたが、五木寛之の「下山の思想」を読むと
「朝日に柏手を打つのが神道で、西に沈む夕日に合掌するのが仏教である」
とあった。あれれ!出雲大社は神道の本家、私の思いは間違っていたようだ。

なにわともあれ、大国主神は豊葦原瑞穂の国である出雲を、天津神の天照大神に「国譲り」した。しかし天津神は出雲には降臨せず、九州高千穂に降臨する。なぜ九州にという疑問は残るが、どこにもその理由は述べられていない。

第4章では、九州の高千穂に行ってその理由を確かめてみたい。神さまを追いかける旅はお金がかかる。財務省の奥様にお願いしなければ次には行けない。いつの世も、天照大神と同様に主導権は女性にある。とりあえず第3章「出雲での抗争劇」はこれにて終了。