但馬国 国府・国分寺

豊岡市はジェンダーギャップの解消を他に先駆けてきた。しかしこの政策を掲げた市長は21年4月の選挙で敗れた。この地域の人は但馬国にはジェンダー問題はないと選択したようだ。
しかし但馬国には国分寺、国分尼寺の両方が残されていた。他国では国分寺跡があるが国分尼寺跡は消えたところが多い。豊岡に国分尼寺跡が残るのは「ジェンダーフリー」の象徴のように見えるのだが。

但馬国府

JR山陰線の豊岡駅と江原駅の間に「国府(こくふ)」という無人駅がある。さらに府中新、府市場など国府をイメージする地名がある。昔の文書には国府は気多郡にあると書かれている。旧日高町役場の「祢布森遺跡」に国衙があったのではないかと思われているようだ。

その場所に「国府・国分寺館」がある。日本国では唯一の「国府・国分寺館」だったが2015年「豊岡歴史博物館」となった。国府国分寺Fanにとっては残念なことだ。このブログのタイトルは15年以前のものである。現在の看板は下に表示してある。

総社 気多神社
植村直己さんの生家のすぐ近くに総社、気多神社がある。参道はもっと長かったはずだが今は堤防の下になっている。社殿の彫刻がすばらしい。中井権次という名前を継ぐ彫師の作である。但馬、丹波地域の神社には権次作の彫刻が見られる。もう一つの写真は竹野の天日神社のもの。

国分寺

旧日高庁舎の裏手に国分寺跡がある。ここには後継の寺である国分寺もある。金堂跡、回廊跡 礎石など発掘調査記録は国府国分寺館に残っている。七重の塔は国分寺館に縮小復元されている。

私は2006年の但馬国分寺跡を訪れていた。その時の写真を追加しておきます。

国分尼寺
国分尼寺が残っていることは少ないが、日高東中学の駐輪場前に石碑があった。礎石がいくつか残っているが、その範囲は中学校の敷地内である。学校になっているのは尼さんも許してくれるだろう。国分尼寺は法華寺という。

但馬一宮 出石神社

但馬には一宮が二つある、一つは粟鹿神社だがこれは和田山にあり但馬の国府からかなり離れている。一方出石神社は豊岡市にあり、国府との関係は深かったと思うので、ここに並べておく。但馬一宮は別にアップしてある。

但馬を開いた天日槍(あめのひぼこ)神を祀る。新羅の王子で赤い玉から生まれたアカル姫と結婚する。しかしアカル姫は気分を害して難波に去ってしまう。彼女を追って日本に来るが難波には入れず但馬に来てここで国を開いた。

天日槍の子孫に田島間守がいる。奈良の垂仁天皇陵の陪塚はこの人の墓であるとされる。さらに子孫に息気長足姫尊がいる。応神天皇の母、神功皇后である。神話と歴史が入り混じった想像力豊かな地方である。

演劇の街

豊岡は演劇の街も目指している。出石には歌舞伎小屋がある。もとはパチンコ屋になっていたが市の主導で立派に改装して2012年にお披露目があった。片岡愛之助さんが毎年座長で公演している。 さらに2019年平田オリザさんが主宰する劇団も豊岡に拠点を移した。芸術文化の専門職大学も開学し、演劇の街は発展するかに見えた。しかし「演劇の街などいらない!」と第一声を上げた候補が市長になった。せっかく愛之助、オリザという大御所が来てくれたのに「いらない!」などという市長。今後どうなるのか大勢の外部の豊岡Fanは見守っている。