伊賀の国府 国分寺

伊賀国府
伊賀国庁跡は2009年国の史跡に指定された。それまで府中町辺りにあるのではと考えられていたが、坂之下字国町(こくっちょ)の台地の上を発掘して確認された。JR関西線の「佐那具」(さなぐ)駅のすぐ近くである。
伊賀一宮の敢国(あえくに)神社と国分寺には2018年に行ったが、その時には国府には行かなかった。今回関西線に乗ることになったので途中下車して次の列車(ここは電化されていない)を待つ間に伊賀国庁跡を見に行った。結果はすでに埋め戻され一面の畑と水田になっている。何年か後にここは整地され、史跡公園になる計画があるようだがいつになるか。

総社 府中神社?
伊賀の総社はないと書かれている。近くに伊賀一宮の敢国(あえくに)神社があり、総社は必要なかったとの説明だ。この府中神社には古い歴史はないようだが私が考えるに国庁にすぐ近い。神様を集めたのは明治時代なので総社というわけにはいかないだろう。この総社は私的に「総社だったらいいな!」という程度。

伊賀一宮 敢国神社

国分寺 国分尼寺
佐那具駅のそばにある伊賀国庁遺跡の北側に楽音寺があった。この寺が聖武天皇の詔で作られた国分寺であった。しかし現在の国分寺跡に移転した寺が後継寺があったようだ。国分寺跡は史跡として整備されている。 国分尼寺は長楽山廃寺らしいが整備はなされていない。

能登国府 総社 国分寺


能登国は古くからあった国だが越前国に併合されたり離れたりした。律令の国になった時には「中国」として独立した能登国となり、元の越の国は5国になった。現在いずれの国府も確認されていない。能登国も国府は不明だが、七尾市に「古府(ふるこ)」町「府中」町があり、国府の地ではないかと思われている。

国分寺の発掘は行われており「のと里山里海ミュージアム」が作られており、資料が展示されている。私は2008年、2012年に国分寺跡の見物に来ていた。その時にはこんな立派なミュージアムはなかった。

国府 印鑰神社
能登の國衙の印璽を保管したのがこの印鑰神社である。印は土中に埋められていたが文緑年間に郡奉行の三輪藤兵衛の夢告により発見したという。オオーツ! わが身にも関係があるのだと嬉しくなった。印鑰(いんにゃく)神社は「府中」にあり、このあたりに国府があったことが推定される。

印鑰神社は「でか山」の組み立て神社で、境内には写真のようなとてつもなく大きな車輪が展示してある。5月に行われる青柏祭(せいはくさい)で練り歩く山車で、高さ12m、重さ20トンの日本一巨大な山車だという。鍛冶町、府中町、魚町の三台の山車が七尾の街を引き回されという。ぜひ見たい祭りだ!

能登国総社
国分寺の公園の東の山麓にこの神社がある。社殿の形は印鑰神社と同じ。本日はとんでもない暑さだたが、この森の中の神社は清涼、案内をしてくれたONOGUCHIさんは冷たい飲料、アイスを用意してくれた。生き返った。

国分寺
南門から回廊の塀を見る。これは2012年の時にもあったなあ。左手に新しいミュージアムができている。下の写真(右端)は2012年、外側からの写真。

国分尼寺の跡は見つかっていない。もしかするともともとなかったかもしれない。

これまでは七尾の駅から歩いてきた(2キロほど)が、今回はとてつもなく暑いので、地元在住の友人の車に乗せてもらった。
「こんな暑いのに何やってんの?」
「何回も来るなんて、あほじゃない? 意味わからないよな!」
と褒められた。
意味わからないと言いながら、お昼は地元の有名なお店で豪華お寿司をご馳走していただいた。
七尾の駅からは豪華列車ではなく、普通の列車で金沢へ! もう一枚の写真は印鑰神社の前のフィッシャーマンズウォーフから見た港。

能登の二宮
能登の一宮は気多神社で羽咋市にある。国府からはかなり遠い。能登二宮駅は七尾からは近い。この神社には2012年に訪れている。なかなか珍しい狛犬がいたのでよく覚えている。空を飛んでいるのかな。