八甲田山 その2

 今回のメンバーは山岳部のOB連、現役から言わせたら超々OBで最年長は79歳、私はその次で74歳。リーダーは64歳の最若手。もとは一部上場企業の会長さんだったが、マウンテンスキーをやるために早期で引退した。最年長のKさんは70歳からスキーを始めた。その年には弘前にアパートを借りて3か月間八甲田山に通ってスキー三昧。次の年から通うのは大変なので八甲田山中の深沢温泉を定宿にしてコーチについて深雪を滑りまくった。
 その後も毎年60日近く深沢温泉で過ごしている。何事も徹底しなければすまない単細胞(本人曰く)人生だ。Kさんは若い時には岩登りを徹底した。1962年冬、谷川岳衝立岩のダイレクトカンテの初登攀をした。そのあたりのことは遠藤甲太さんの「ダイレクトカンテの謎〈埋もれた記録〉」にある。私は「なぜ自分の名前を付けなかったのか?」という質問をしたら、「あのルートはあまり美しくなかった!」からだときいた。
山を離れたKさんは学問の道に進む。当時最先端の量子力学を使って化学を考えるという、私には理解できない世界。東工大の教授になり研究の第一線を突っ走った。多くの研究論文を出し後進を育てた。いまノーベル賞に最も近いと評価されている人だ。
 私は一応スキーは上手なつもりだった。数年前に鳥海山に誘われた時には、皆さんのお手並み拝見と思った。しかし一緒させてもらって驚いた。70歳から始めてこんなに強いスキーができるものかと。以後私は弟子入りをさせてもらっている。しかし私は胃や大腸、心臓の不調などで入退院を繰り返していたので、八甲田山に行く機会はなかった。今年を逃したらもう無理かもしれない。なり無謀を承知でKさんにくっついていった結果はすばらしい雪山を満喫した。これまで長いことゲレンデスキーをやってきたが、あれはいったい何だったのか? 八甲田山の雪はこれまで私が知っていたゲレンデの雪とはまったく違っていた。リングの小さいゲレンデ用のポールは根元まで潜る。膝から下は潜っているので幅10センチあるスキーでも見ることはできない。これまでとは全く違う世界だった。私の技術など全く通用しない。私はうれしくなった。なんとか深雪でも滑れるようになるぞ!。 八甲田山にはロープウェーが1本、リフトが1機しかない。ゲレンデはリフト下以外まったく均していない。どこを滑ってもいいが、よほど熟達しなければ、自分のルートを作ることはできない。この季節毎日視界はほとんど100m程度。いくら地理に強いといっても、方向はまったくわからなくなる。この時期、年寄りはガイドなしではまったく動くことはできない。2日間Kさんが最も信頼する中村農園チームにガイドを依頼した。

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