第2章 天の浮橋から高天原へ

三輪山の麓、崇神天皇の宮殿に大国主神と天照大神とが一緒に祀られていた。巫女の宣託によってパンデミックを起こした疫病の原因は二柱の神を同じ場所に祀ったからだと分かった。二神を引き離したことでパンデミックも収まった。大国主神と天照大神は相いれない神だったのだ。
大国主神は出雲大社の神、天照大神は伊勢神宮の神である。2013年は両方の神社の遷宮が行われた。この年5月に出雲大社の60年遷宮に行き、10月の伊勢神宮の20年遷宮に行く計画を立てた。

出雲に行く前に古事記を読んで事前学習をした。もちろん原文を読めるような教養はないので梅原猛著の「古事記」を頼った。
出雲における神さまの最大の事件は「国譲り」である。国譲り事件の主人公(神)は天照大神と大国主神である。大国主神が支配していた出雲の国を天照大神が自分に譲るように迫るのである。大国主神は「巨大な宮殿を作ってくれれば国を譲る」
と言って、そこ(古代の出雲大社)に隠遁する。

今の価値観から見れば天照大神は理不尽と思うが、それなりに理屈はあった。それは後の章で述べるが、ともかく大国主神は天照大神の言う通りに国を譲る。しかし天照大神の息子はなかなか出雲にはやってこない。
「出雲は騒がしいい、私は行きたくないが、息子が生まれたので成長したら彼を降臨させます」
と言い出した。
天照大神はしかたなく孫を降臨(天孫降臨)させることにした。しかし時間がたったので出雲は他の勢力に支配されており、行先を筑紫の日向の高千穂に変更した。先導するのは三輪山で神楽を舞った天の鈿女(ウズメ)である。

西洋の全知全能の神さまと違って、日本の神さまはしばしば悩み苦しむ。三輪山で見たように、神さまが玄賓僧都のところに悩みの相談に行ったりする。まるでそこらの人間と同じような行動をとる。絶対的な神よりも悩み迷う神さまのほうが私は好みである。

天孫降臨は天から神さまが降りてくるイメージだがここでいう天は天照大神のことで空のことではない。天照大神がおられる場所は「高天原」である。「天」という漠然としたものではなく具体的な場所と考える人は多い。江戸時代の大学者である新井白石は
「高天原とは常陸国(茨城県)多賀郡である」
としている。根拠は「たか」という読みを漢字の多賀にあてただけだ。他にも「高天原」の候補地はいくつもあった。
しかし古事記を研究した本居宣長は次のように考えた。
「高天原 は、すなはち天なり、天は、天神の坐ます御国」
高天原を探すことなど「不遜」なこととされるようになった。

でも第2章では、しばらく不遜なことをしてみたい。

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