■ 6-3 伊勢神宮外宮(げくう)

伊勢神宮 外宮(げくう)

2013年10月、外宮の式年遷宮の日、まず宇治山田駅から伊勢の外宮を訪れた。外宮の神さまは豊受大神で、天照大神が丹後一宮の籠(この)神社におられた時に知り合った神さまで、天照大神が伊勢に鎮まった500年後に呼び寄せたという食べ物の神である。(上の写真には丹波とあるが、律令制以前は丹後は丹波に含まれていた)

遷宮祭は夜に行われるので一般人は昼間のうちにお参りする。昼間はまだ古い方の社に神さまはおられるので、私たちはそちらの宮の前で頭を下げた。伊勢神宮ではお賽銭をあげるなどは失礼にあたるとされているので賽銭箱など置いていない。もともとは皇室、公家、寺など専用の神さまで、天下国家の安寧を願うもので、一般庶民がささいなお願いをしてはいけなかったのだ。

しかし中世の戦乱で領地や社殿も荒れてしまい、式年遷宮もできない状況になった。そこで方針転換して神職だった御師(おんし)は全国各地を回り伊勢参宮を進めた。
江戸の時代、世の中が落ち着いてくると現世利益を求めて江戸からも多くの庶民が訪れるようになった。江戸からは片道2週間ほどかかるが、庶民は「講」を作って代表者が代参するという方式がとられた。講の所属員はいつか自分にも順番が回ってくる。旅が自由になった今でも「伊勢講」は各地に残っており、旗を先頭にお参りしている姿が多くみられる。
昔は皇室、公家らの専用であったが、今は日本国民が一生に一度は行きたい神社として宣伝が行き届いている。庶民の私もこれまで何回もお参りができるようになっている。

伊勢神宮の社殿は高い垣根で囲まれており、中の様子をうかがうことはできない。しかし外宮の屋根だけはみえるので、鰹木の数を数えてみた。9本で千木は外削ぎになっているので男神であることが分かる。外宮には天照大神と食事をともにする神が丹後の籠神社から呼び寄せられた。千木の数が男女神を示していると言われているので、9本の千木の神社の神は男神である。天照と一緒にお食事するのは男神である。

屋根は茅葺である。20年もたつとずいぶん傷んでいる。これじゃあ雨漏りするかも知れない。伊勢神宮の造りはすべての唯一神明造と言われる古い様式である。何の手も加えてはいけないので痛みは速い。20年というのは茅葺屋根の耐久限界かもしれない。

すぐ隣の敷地にはすでに新しい社殿が用意されているので、本日夜に隣に引っ越される。わずか十数メートルの移動だが厳かな儀式が行われる。遷宮が行われると古い社殿はすべて取り壊され、砂利の敷地になる。使える木材は全国の神社に下賜されるので無駄にはならない。

宿に戻って夜の遷宮の様子をテレビで見た。神さまをお導きする斎王の役目は天皇の皇女の黒田清子さんが務められた。斎王制度はとっくに廃止されているが、その形式は今も多少は残されているのだろう。

 

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