敦賀、気比神社 じつに怪しい!

aDSCN5435敦賀に来ています。ここには若狭一宮の気比神社があります。この神社は古事記の中に詳しく記述されている重要神社で、私も何回か訪れている。しかし古事記にのこる記述の意味が理解できなかった。しかし今回金崎宮の高みから若狭湾を眺めていると、すこし理解ができるようになった。

第15代応神天皇の母は神功皇后という。朝鮮征伐をして帰国後北九州の宇美で子供を生む。そのころ大和は騒乱状態だったので、安全に戻るため、「子供は亡くなりました。棺を載せて大阪に戻ります」と説明して瀬戸内海を進んだ。しかし大阪には敵対勢力が待ち受けていた。神功皇后軍は相手を琵琶湖に追い詰めて勝利し、母だけが大和に入って支配権を握った。神功皇后が天皇になったという説もあるが、天皇系譜には残っていない。

亡くなったことにした息子は武内宿根に伴われて近江、若狭をへて越の国の入り口、角鹿(つぬが=敦賀)に行き宮殿を建てた。ここで気比の神さま「イザサ和気大神(=御食津大神)」と名前を交換する。若狭、敦賀はいま「御食(みけつ)国」として売り出しているが、それは気比神社の神さまの名前、さらに取り替えた応神天皇の名前でもある。

「なぜ母親とともに大和に行かなかったか? なぜ若狭、敦賀に行ったのか? なぜ名前をとり変えたのか?」 私には古事記の記述の意味がわからなかった。「神功皇后の息子は本当に亡くなった。敦賀でそれらしい人をさがしだして、天皇として大和に迎え入れた」と考えればすべて解決する。たぶんすり替わった天皇は朝鮮半島からの渡来人だったので、カモフラージュするために名前を変えたのだ。海を眺めて得た結論に満足し一件落着。気分はよくなった。

北陸道は木の芽峠を越えて越の国に入るが、軟弱になった私は特急「サンダーバード」で北陸トンネルを越えて越の国に入る。昔はここが若狭の国と越の国の境だったが、今は両者福井県。昔の越の国も「御食国」としている。木の芽峠の重要性はまったくなくなった。特急は加賀の国の金沢駅につき、新幹線に乗り換えて東京に戻った。新幹線は敦賀へ延伸することが決まっているようで、工事は進んでいる。さらに昔の国の区分は薄れていくのだろう。