舞鶴港、岸壁の母

植村冒険館からまっすぐ帰ることはなく、たいてい途中寄り道をしている。今回は前々から気になっていた舞鶴の港によった。我々年代にとっては、シベリアからの引楊船の入港地として記憶に残っている。昭和20年10月7日に最初の引揚第「雲仙丸」が舞鶴に入港して以来、13年にわたり、66万人以上の引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れた。a-maizuru01

記憶は定かではないが、ラジオ放送で引揚者の名前を延々と放送していた。いまなら簡単に検索できるが、いつだれが帰ってくるかなど、最初はまったくわからなかった。一人の名前も聞き逃すまいと、みなラジオ放送を真剣に聞いた。ラジオ情報は、当時聞き流すものではなく、命がけで聞いた。a-maizuru02 a-maizuru05「岸壁の母」という歌がある。「母は来ました。今日も来た。この岸壁に今日も来た・・・」ソ連からの引揚船がつくたびに、今回は帰ってくると息子を待っていた母の姿を歌ったもので、当時の人たちの心をゆすった。結局の母は息子の帰還を見ることはできなく、亡くなった。のちに息子は生きていることが分かった。a-maizuru04 a-maizuru03

西舞鶴駅で降り、東舞鶴まで歩いた。日差しが強く暑かったが、引揚船の苦労を思えばなんてことはない。造船所、自衛艦、赤レンガ倉庫をみて古い鉄道線路の遊歩道を通り東舞鶴へ。引揚記念公園があるが、歩いていくのは遠い。申し訳ないが本日はここまで。小浜へ行く鈍行列車に乗った。特急列車に乗る気分ではない。