ワンダーハイク                                  2012.3.13
 館山城・ビャクシン巨樹・沼サンゴ・掩体壕・赤山地下壕        
 
館山には40年数年前に来たことがある。たぶん沼のサンゴ礁を見に来たの
だが、ほとんど覚えていない。
最近、環境教育の第一人者であるYAMA岡さんが、自給自足生活を
実践するために館山に移住してからしばしば訪れるようになった。
さらに東京湾アクアラインの料金が800円になってからは、
房総半島は私にとって近い場所になった。

館山をウロウロ歩いていると「なんじゃこりゃ!」というものや、人に会えた。
まさにワンダーな世界!
朝日カルチャセンター千葉の皆さんと一緒に歩いてみたら
おもしろがって下さった。その一端をメモしておこう。
最初に皆さんに上のような衛星画像を配った。地名入れていない。
空から陸地を見ても地名なんか見えるはずはない。

1.館山はどこにあるのでしょう?
2.首都を守るには、館山は重要な位置!
3.富士山は海を隔てて大きく見えるはずだ。
4.房総沖にあるくぼみは地震の巣ではないか?
5.伊豆大島は火山島、案外近いのだ!

今回は東京駅から特急で行くことにした。
東京駅の京葉線ホームはほとんど有楽町駅
の場所にある。
前回乗り換え時間が8分だったので、乗り遅
れてしまった。今回はリベンジ! 
7時30分発の「さざなみ1号」、7時15分には
ついていたので、これだけの余裕。
9時22分に館山につく。ジジババ割引なの
で往復3080円、特急料金910円。
浜金谷の近くから富士山が大きく見た。
東京の我が家付近よりも遠いはずだが
海の上で邪魔者がないので、すそ野まで
見えるので、たいへん大きい!

動く列車の中からデジカメでとったので、
この程度。まあ十分か!
          
今回歩く予定のコースは下の地図のとおり。しかし城山公園から
梅園に回ったので、そのまま南に下り、田んぼのあぜ道を通って
ビャクシンの巨樹を経て、YAMA岡さんのお宅で珈琲をいただき
沼のサンゴ化石を見に行き、宮城の掩体壕を探しに行った。
我が方は「掩体壕」評論家がをたくさんいる。
「茂原のよりもしっかり作られている。プロの仕事だね」など・・
そのあと赤山地下壕へ向かう。
地元の人に道を聞いたのがいけなかった。逆に遠回りになった。
館山は東京湾口にある軍都だった。地下壕は大きく立派だったが
ここに逃げ込まなきゃいけないような状態になったら
もうおしまい。実際には使うことはなかった。
下の地図の西ノ浜へのコースは通らなかった。
 

 館山城は里見氏の城だそうだが、里見氏は
徳川幕府の陰謀で、伯耆の倉吉に国替えに
なり、そこで滅亡した。

 廃城になった館山城はその後、放っておか
れたが、近年になってコンクリート造りの城
として復元された。

 由緒はないので、里見八犬伝の遺跡として
宣伝をしているが、小説である八犬伝とは
関連はないはずだ。
 
 今年はこの南房総の地でも寒くて梅の開花は
遅れていたが、やっと満開になっているという。
 
 遠くから見るとピンクの色が見えたので、
満開の紅梅だと思ったが、近づいてみたら
さくらだった。

 河津桜はピンクの色が濃い。みんなが好きな
ソメイヨシノは淡い色だが、こちらは色が濃い。

 
 さて里見八犬伝。曲亭馬琴の創作による
怪奇小説と。江戸時代のベストセラー。

 文化11年(1814年)に刊行が開始され、
28年をかけて天保13年(1842年)に完結した。
全98巻、106冊の大作である。

 上田秋成の『雨月物語』などと並んで
江戸時代の戯作文芸の代表作であり、
日本の長編伝奇小説の古典の一つである。

 室町時代後期を、安房国里見家の姫・伏姫と
神犬八房の因縁によって結ばれた八人の
若者(八犬士)を主人公とする。

 共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士
は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の
文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、
牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。

 関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれ
辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、
里見家の下に結集する。

館山城の天守閣からの眺めはいい。
館山航空隊の先には沖の島が見える。
沖の島と館山市街との間は
関東大震災の時に1m異常隆起した。

その隆起地域を埋め立てて飛行場を
作り、首都圏の防衛につとめた。
館山は魚港であり軍都でも会った。

沖の島は造サンゴ礁の北限であるが
6000年前このあたりに
サンゴ礁が広がっていた。

 城の南側、入り口の反対側には梅園が
広がっており、いままさに満開!

 本日のワンダーはこれで十分です、と
HANA崎さん!

 いやいやまだたくさんワンダーがありますよ!
城から降りたところから、沼に抜けようと
思ったが、ちょいと道が違う。

歩きなれた里道、写真の右手の鞍部(峠)
を抜けて、田んぼあぜ道を通ってビャクシンの
巨樹がある十二天神社にでる。

十二天は、仏教を守る天部の神様。方角を
護る「護方神」としての性格が強い。

帝釈天・火天・焔魔天・羅刹天・
水天・風天・毘沙門天・伊舎那天・
梵天・地天・日天・月天
ビャクシン(柏槇)はかいづかいぶきと似て
いるが葉っぱがちょっと違う。それより樹の格が
違う感じ。

ここのは千葉では一番の大木。樹齢800年!

鎌倉の建長寺・寿福寺に柏槇のいい木がある。
建長寺のは樹齢750年。

一昨年訪れた中国の「黄龍」には大木が
たくさんあった。
 
沼のサンゴ層に行く途中の人工的な洞窟
の中の水の上にヒカリ藻が浮かんでいた。

ヒカリモは黄金藻類に属する単細胞の藻。
細胞内赤黄色の色素をもつとともにお椀形の
色素体を含んでいて、それが洞穴内に入って
くる光を反射させます。

特に菜の花の咲くころ水面に多数浮遊するため、
水が黄金色に輝いて見えます。

天然記念物:竹岡のヒカリモの説明板
沼のサンゴ層:高度20mほどの溜池の奥に
この標識がある。

この標識の下の層にサンゴ礁の化石が
埋もれている。化石と書いたが、実は現生の
サンゴ礁と同じものなので厳密には化石では
なく遺跡だ。

いまから6000年前、縄文時代には、暖かく
サンゴが育つような浅海だった。

6000年で20mほど海が下がったか陸が隆起
したことになる。この量は異常に大きい。(海が
下がったものではなさそうだ)
YAMA岡さんが、地元の地質学者のHON間さん
を紹介いただき、シロウリガイの化石を見せて
いただいた。

鮮新世(500万年前)の千倉層群に見られる
シロウリガイ化石:シロウリガイはメタンや
硫化水素をエネルギー源する深海湧水生物。

現在も初島の付近の冷水塊の湧きだすところに
すむシロウリガイもいるそうだ。

  館山の戦争遺跡 : 赤山地下壕・宮城の掩体壕
ここにゼロ戦を隠した。ゼロ戦ってこんなに
小さかったのか?

茂原には10か所の掩体壕があったが、もう少し
大きかったような気がする。地面が埋まって
いるのかもしれない。

壕のつくりは、茂原の筵の縄目が残っている
天井よりも、しっかり作られている。あっちは
突貫工事でやったけど、こちらは専門家が
鉄筋も入れて作っている。

上の道路から見たら、壕があることはには
気がつかない。
赤山の地下壕には、昨年はただで入ることが
できたが、今年は有料だった。といっても200円。
もっと取ったらいい。

ヘルメットと懐中電灯を貸してくれるが、電気も
付いており、私が立っても十分に隙間がある。

まあ180センチもある人はヘルメットも必要だろう
が、我らは大丈夫。

しかしこんな大きな壕を作るのは大変だったろ
うに。飛行機で爆撃された時には、有効だった
ろうが、実際に機能する前に戦争は終わった。
この地層は南房総層群鏡ヶ浦層(鮮新世:
500万年前)という地層の凝灰岩質の砂岩
からできている。

地層の構造を見るのには最適な場所だ。
大きさを示すためにKO高さんに立ってもらった。

夏涼しくて冬も暖かいこの地下壕は別荘に
いいかも! いかがでしょうか? とからか
われていた。
ここまでで1万5千歩以上歩いている。みなさん元気だが、帰りはバスにする。
地下壕の前から館山駅まで230円。館山駅から皆さんは4時2分の千葉駅行き 
私は4時16分の特急さざなみ、午後の特急はこれしかない。たいていの人は
高速バスで行くようだ。缶ビールを飲んだら東京駅までぐっすり眠ってしまった。

  次回のワンダーハイキングは養老渓谷! 5月8日(火) 川の蛇行と滝巡り