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坐摩(いかすり)神社 |
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ここにも三つ鳥居(三輪鳥居)があった。いかすり神社(通称ざまさん) |
●この神社は、大阪の御堂筋の真ん中にある。十数年前にきたことがあるが、その時は6時を過ぎていて裏参道の鳥居の隙間から赤い社殿を見て、それで満足して戻った。しかし今回行ってみて驚いた。表参道は反対側にある難波別院(南御堂)の脇にあった。その鳥居は何と「三輪鳥居」(三つ鳥居)だった。これだけ立派な三輪鳥居はあまり見かけない。再訪してよかった。
●もう一つ、御堂筋の車道の分離帯に「芭蕉終焉の地」という石碑が、人知れず立っているのを見つけて興奮したことだ。芭蕉は住吉神社で行われる自分の句会を体調不良で欠席した。そのすぐ後で亡くなった。その場所は御堂筋だったのだ。実は地図を見るまで、私は知らなかった。
●坐摩神社::正式には「いかすりじんじゃ」だが、地元では「ざまじんじゃ」と読まれ、「ざまさん」と親しみを込めて呼ばれる。目の前の「南御堂」は真宗大谷派の寺院で、今でも広大な敷地を持っており、坐摩神社の方がちょっと遠慮している感じもある。
●「いかすり(ゐかすり)」の語源には諸説ある。坐摩神社では「居住地を守ること」という意味の「居所知」(ゐかしり)の転と説明している。また、『延喜式』には「さかすり」の訓も記されている。そうだ。
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生井神 |
(いくゐのかみ) |
井水の神(生命力のある井戸水の神) |
福井神 |
(さくゐのかみ) |
井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神) |
綱長井神 |
(つながゐのかみ) |
井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神) |
波比祇神 |
(はひきのかみ) |
竃神(屋敷神。庭の神) |
阿須波神 |
(はすはのかみ) |
竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神) |
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町の真ん中にある |
御堂筋:緑地帯に芭蕉終焉の碑 |
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三つ鳥居の奥にある拝殿 |
神紋はシラサギ:サギソウ |
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ビルの谷間にある。本殿の裏に高速道路 |
陶器神社と稲荷神社(赤い方) |
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本殿:鰹木5本、千木縦削ぎ |
陶器神社 |
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陶器神社だけのことはある |
正面の狛犬 |
狛犬 |
同じのが敢国にもあった |
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ご祭神:下には境内摂社 |
難波別院:南御堂入り口 |
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長屋風の境内社殿:左から大江神社、繊維神社、大国主神社、天満宮、相殿神社 |
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創建時の社地は現在と異なり、渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川河口である。
石町には摂津国の国府も置かれており、町名は国府の転訛と言われている。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んで、渡辺氏を起こした。
渡辺津は窪津ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもあった。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われる。
●神社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。
今も旧社地の坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。そこから現在の地に移ったということだ。その時から渡辺家が坐摩神を祀っていた。
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●渡辺の綱は大江山の酒呑童子を退治した英雄で、京都一条戻り橋(安倍清明の神社)で鬼の腕を切り落としたという物語の主人公である。
その名が今も地名になって残っているというのはすごい。
町名は「久太郎町四丁目渡辺」で、何番地という数字はない。
右:境内のいい場所になるが、いかなる由来があるかは不明 |
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