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敢國(あえくに)神社 |
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御祭神 |
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大彦命 |
(おおひこのみこと)
第8代孝元天皇第一皇子。『日本書紀』によると、四道将軍の1人、北陸道へ派遣された。 |
配神 |
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少彦名命 |
(すくなひこなのみこと) - 右座。 |
金山比当ス |
(かなやまひめのみこと) - 左座。 |
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元々の祭神は「敢国津神」(敢(あえ:旧阿拝郡一帯)の国津神)であった。この一帯に勢力を持った阿閇氏(敢氏/阿閉氏)の氏神で、
円錐形をなす南宮山(伊賀富士)を神奈備として祀っていた。
中世に入ると、自然神から人格神として金山比当スと金山比古命(少彦名命)をあてる説とが生じた。
金山比当スをあてる説は、南宮山に対する信仰に基づくと見られる。美濃国一宮の南宮大社(岐阜県不破郡垂井町)との関連伝承がある。
少彦名命は開拓神として知られる神で、「伊賀国にはおさなきちごの宮」とあることから、少彦名命説が確立した。
以後、室町時代末期から江戸時代の間は、金山比当ス・少彦名命の2神説、またはこれらに甲賀三郎を加える三神説が定着していた。
江戸時代、度会氏が『神名帳考証』で大彦命を祭神とする説を唱えた。「日本書紀」に大彦命が阿閇氏祖として記されている。
甲賀三郎は廃され、明治以降は大彦命・少彦名命・金山比当スの三神説が定着し現在に至っている。
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拝殿:正面階段 |
階段を横手から見る |
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階段上の回廊 |
本殿:赤い流造 手前:六所社 |
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雨がひどくなったので、表参道から入っただけ。裏参道から上る宮には上がれなかった。 |
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正面鳥居:(両部鳥居) |
市杵島姫命(弁天さん)を祀る |
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桃太郎岩:安産子育ての守護 |
狛犬は立派 |
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●この神社にやって来るのは、かなり大変だった。JR関西線の佐那具という駅から2キロほどのところにあるが、私は京都から出発したので、JR東海道線からJR草津線にのり、柘植で関西線に乗り換える予定にしていた。しかし乗り換えはかなり不便で待ち時間は長そうだった。
天気予報は雨だったが、ほとんど降っていなかった。草津線の「油日」(あぶらひ)という駅に「レンタサイクル」とあったのを見て、電車を急いで下りた。私の頭の中の地図は、柘植で乗り換え大阪の方に戻るのだから、直線で突っ切れば近いと判断した。
しかし降りてみたら、無人駅。レンタサイクルのおじさんに聞くと、「敢国神社?知らないね!」という。「地図はないかな?」駅前の看板がある!
でもそこには駅周辺しかない。スマホで検索したら15キロ先で、途中に山越えが数か所ある。どうしようかと考えたが、
次の電車は1時間後、乗り換えに30分かかる。帰りも電車は少ない。往復30キロならなんとか行ける、と判断してママチャリをこぎ始めた。雨が少しだけ降ってきた。30分ほどで滋賀県と三重県の県境。油日駅は滋賀県だった。どうりでレンタサイクルのおじさんは知らないわけだ。
● 県境に東海自然歩道の案内があり「伊勢廻寺方面」とあった。もう30年前に東海自然歩道1200qを走った。その時に通った道だ。かすかに伊勢廻寺をめざしたことを思い出した。その道を辿れると思ったら、雨なんぞ!という気になった。 |
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●しかし道は険しかった。舗装路ではあったが登りは自転車を押し上げるしかなかった。おまけに関西線の鉄橋をくぐるころは本降りになった。大きなごみ袋を2枚もらってリュックを防水し、得意のごみ袋カッパで雨よけ。気温は高かったが、汗が引くと寒い。
道を聞きたくても人はいない。橋の下でスマホを出して道を確認する。これはかなりの難作業だった。しかしまだ山勘はさえていて、一度も間違えずに往復できた。我ながらすごい。当然列車を待って乗り継いだ方が速かったが、まあこれも貴重な参拝体験。
敢国の神さまはきっとご褒美を下さるかもしれない。と思ったが雨がひどくて、奥の方にいれた財布を出せなかったので、お賽銭無し。ばかばかしいお参りだったのでご利益はないだろな。 |
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甲賀:油日駅(JR草津線) |
滋賀県と三重県の県境 |
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