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伊雑(いざわ)宮 |
御祭神 |
天照大御神御魂(あまてらすおおおみかみのみたま) |
伊勢神宮・内宮の別宮:「遥宮」(とおのみや) |
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伊雑宮は志摩国の一宮である。この宮のご祭神は天照大神であり、
伊勢神宮の14の別宮のひとつである。
もともと伊勢と志摩は一国だったが、
志摩国が独立したときに別宮が一宮になったのではないか。
伊雑宮は正式には「いざわのみや」と表記されているが、
「いぞうぐう」ともいわれる。あるいは磯部の宮ともいわれる。 |
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遷宮を終えたばかりで、鰹木はピカピカ。右側の小さな社は次の遷宮の用地。 |
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鳥居は的矢湾に向いている |
式年遷宮を終えて間もない |
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別宮で唯一、御神田(おみた)を持つ |
伊雑の深い森に宮がある |
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境外所管社の佐美長(さみなが)神社 |
佐美長御前神社四社 |
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鳥居前には立派な旅館 |
この宮にも御師(おし)がいた。 |
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この地に倭姫のお墓があったと「御師」さんが
教えてくれた。それが上の写真!
倭姫は伊勢内宮を建立した後、神宮へ神饌を奉納する
ために食料をもとめて伊勢から志摩を訪れた。
伊雑宮を建立し、伊佐波登美命にまかせて
倭姫は亡くなった。
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的矢湾の最奥に伊雑宮がある。
近鉄の上之郷駅(無人)のすぐ前であるが
参拝の人は磯部駅からが多い。
昔は上之郷の前まで的矢湾が入り込んでおり
海の幸が運ばれてきた
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志摩という国は小さな国だが、伊勢神宮の御食津(みけつ)を用意する国として重要だった。
海産物、農産物は豊富で、倭姫命は大和から天照大神を伊勢までお連れした後、志摩まで
やってきた。天照大神の食料を確保したのちに、ここで亡くなった。
・・・と倭姫命世記に書かれているそうだ。
今は志摩市にあるが、昔は磯部と言った。伊雑宮は上之郷という駅前にあるが
特急は停まらないので、磯部駅からお宮に向かう。志摩の郷土資料館で情報を収集して
伊雑宮へ向かうと、左手に石段が見えてくる。
上には佐美長神社がある。小さいがいい感じの神社で、ここも式年遷宮を行っている。
この神社から伊雑宮への道は「御幸道」(ごこうみち)と言われた。
伊雑宮の森が見えてくる。森の周りに田んぼが広がっているが、
これが神之田である。神之田があるのは別宮のうちでもここだけである。
上之郷駅から伊雑宮へお参りすることはできるが、やはり磯部から歩いて行った方が
いろいろなことが分かって楽しい。佐美長神社への入り口は見逃しやすい。
国道沿いに鳥居があり、その上の森のの中に美しい社殿がある。
「御幸道」を行くと、神之田にでる。その先に伊雑宮が見える。
御師(おし)の家が一軒だけある。昔は多くの御師がいて、お札を配っていたらしい。
ドーマンセーマンの印は海女さんたちの魔除けの印だった。
セーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満の名に由来する。
伊勢志摩の神島地方の海女は、この両方をあわせて「セーメー」と呼称している。
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志摩の郷土資料館 |
三大御田植祭:千葉の香取神社、大阪の住吉大社 |
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伊雑宮:「いぞうのみや」ともいう |
海女さんが身に着ける魔除け。陰陽道に関係している。
強力なパワーを持つと言われ、伊雑宮を訪れる人も多い。 |
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