015    三河国一宮     愛知県豊川市一宮 
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砥鹿(とが)神社 

御祭神  
大己貴命 (おほなむちのみこと) =大国主命
  社記(天正2年(1574年)の「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」)では、大宝年間(701年-704年)に文武天皇の病を鎮めるための勅使として草鹿砥公宣(くさかどのきんのぶ)が派遣され、本茂山(本宮山)の神を迎えて里宮が創建されたとする。砥鹿の名前はそこから出たと推測される。
  本宮山は三河一宮駅からもよく見える名峰(789m)である。現在砥鹿神社奥宮がこの山頂に鎮座している。もともとは磐座を信仰の対象とする社だった。草鹿砥氏によって本宮山の神が里の神社に勧請されて、砥鹿神社となった。砥鹿と言っても、鹿とは関係なかった。しかしいまは大己貴神と並んで鹿の像が山頂に置かれている。 
  

豊川稲荷の駅で、JR飯田線に乗り換え一つ目の駅が三河一宮である。いつもなら豊川稲荷から歩いていくのだが、本日はお昼を名古屋に戻って友人(大先生に対して失礼かな?)と一緒することにしているので、たった一駅だが電車で行くことにした。

神社に着いて、初めて知ったのだが駅から見える本宮山にある奥宮が本来の砥鹿神社だったらしい。駅そばにあるのは里宮だそうだ。

そう聞いたら、本宮山に登のがいつもの私の流儀だが、前述のとおり昼には名古屋に行かなければならない。次回?には上ろうと思っているのだが。・・・

大己貴命が祭神である。しかしもともとは磐座の自然崇拝神社だった。大己貴命が祭神になったのはいつの頃か? 

境内摂社には大己貴命(大国主命)の息子であるエビスさんが祀られている。さらに八幡宮もある。あまり脈絡はない。


1956年に今の場所に移築され、一の鳥居になっている。本宮山は左手にあるので、奥宮を遙拝することはできない。岡崎は花崗岩の産地。 旧市田村にあった本宮山遙拝所:1945年豊川海軍工廠の空襲の際に破壊された。岡崎の石工がつくった立派な鳥居だった。
境内本社拝殿 本殿:横から拝見できる。鰹木5本、千木は縦削ぎ
JR飯田線三河一宮駅 参道はちょっと短い!鳥居は西向き、拝殿は南向き

砥鹿神社:本当は鹿とは関係ないのだが! エビス神社のまえの狛犬。本社にはなかった。
里宮と奥宮の関係 
年末にお参りしたので、もう準備が整っていた。  神門:奥に拝殿:横一列の注連縄 

境内摂社:恵比寿神社 (大黒さまが正しい) 恵比寿神社の拝殿天井

年末のあわただしい時に三河に行った。朝まだ早かったので境内にはほとんど人がいなかったが、しばらくすると一人の青年がやってきた。境内の八幡宮について話をしていると、なかなか神社には詳しい。それだけではなく地形についても詳しい。よく聞くと関西の大学の地理学科出身で、私の知っている人にも教わったとのこと。
一般のサラリーマンだが休みの日には神社をまわっているのだという。若いのに偉いものだと感心するが、会社の中では変わり者だろうな。でも私たちと同じような趣味の若者がいることに多少うれしくなった。

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