016    遠江国一宮1     静岡県周智郡森町 
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小国(おくに)神社 

御祭神  
大己貴命 (おおなむちのみこと) =大国主命
東海道線の掛川から、天竜浜名湖鉄道に乗った。遠州の一宮である小國神社はその途中の「森」町にある。しばらくは気が付かなかったが、乗っている人が「遠州森」と言っていたのを聞いて、ここが「遠州森の石松」のふるさとであると気付いた。石松は清水の次郎長の子分だから、とうぜん清水付近の海沿い出身とイメージしていた。こんな山の中の村とは思ってもみなかった。遠州一宮という無人駅から神社まで歩いたが、遠かった。

正式には「おくにじんじゃ」(國が濁らない)だが、途中で道を聞いた人たちはみな「おぐにじんじゃ」と濁っていた。祭神大己貴命(大国主命)であるが、神社の名前は「小國」である。出雲の「大國」に対する、遠江はへりくだって「小國」としたと言われるが、本当のところはどうかな?

私たちが訪れたのは12月だったが、まだまだ紅葉が残っていた。この付近は紅葉の名所として有名で所であるらしい。細い道の奥にあるので、紅葉シーズンには車の渋滞が起こるようで、迂回路の表示がそこここに出ていたが、我々はほとんど車には出会わなかった。

社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命により社殿が造営されたそうだ。『延喜式神名帳』では小社に列している。皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けた。江戸時代には「一宮神社」と称していた。

中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはなかった。元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、当社神職は徳川家康に味方した。天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってから歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っている。

大鳥居 遠州森からは山越えがある
大河ドラマが始まる。天竜浜名湖鉄道 大己貴命=大国主命=大黒天(だいこくてん)
まだ紅葉が残っている。神橋の上から  神池と弁天堂
拝殿:奥に本殿!見えない 横から見た本殿!千木は縦削ぎ、鰹木は3本。

遠江一宮駅にて 家康様になったつもり

  バスの便はまったくないので、帰りも歩かなければならない。1時間ほど右のような景色を見ながら歩いていると通り過ぎた車がバックして、「乗りなさい」という! それまで、「ここらの人は人情がない!」と言っていたが、いい人もいるとみなおした。

   この人は小國神社の方だった。お参りくださった方に難儀させることはできないとか。私たちが神社をお参りしたことを知っていたようだ。信心をしてみるものだ。

   気分よく、天竜浜名湖鉄道にのって浜松にいく。本日は浜松泊まり。浜松の街はクリスマスと翌年の井伊様で賑わっていた。私たちは来年のNHK大河ドラマが井伊直虎と初めて知った。

   というが井伊直虎って誰だろう。地元は有名なのだろうな。井伊直弼は桜田門外で討たれた大老で、彦根城主だったが、直虎はそのご先祖様!!


遠江国一宮は小國神社のほかに、事任八幡宮がある。今回両方をまわることができた。

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