019    伊豆国一宮     静岡県三島市 
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三嶋大社 

 ご祭神 三嶋大神 大山祇命(おおやまつみのみこと)・・・昔から
• 積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)・・・江戸時代から
◆  三嶋大社は三島にあるからそう呼ばれているのかと思っていたが、逆だった。三嶋大社があったから「三島」という地名できたのだ。三島という名前は、伊豆の島々のことを言ったという指摘もあるが、瀬戸内海の大三島にある大山祇命(おおやまずみのみこと)を勧請したものだと私は思う。ご祭神が共に「大山祇命」であることは証拠になるのではないか。四国に行くと「三島神社」はけっこうたくさんある。

◆  事代主命は、大国主命の子であり、エビス神と同体であるとされている。釣り名人の神さまで、海とは関係が深い。江戸時代に平田篤胤は、三島の神は八重事代主命と同じであると主張した。江戸時代後半から現在まで、二柱がご祭神となっている。

◆   もとのもと日本の神社は自然神を祀る場所だった。人々は神さまは山の上の磐座などに降臨すると考えていた。その神様には名前はなかった。ただ「神さま」だったのだろう。しかしその後外国からの宗教の影響などもあって、「三島の神」というように神様に名前を付けるようになってきた。明治以降は国家的に指導され、古事記にのっとった名前が使われるようになった。

◆   三島大社の鳥居の前には東海道がとおっている。東海道はこのあと錦田の一里塚を経て箱根峠へ上っていく。東海道一の難所だった箱根越えは、三嶋大社の前から始まっている。「箱根八里」は三嶋大社前から小田原宿までの32キロをいう。大学対抗の箱根駅伝は東京から芦ノ湖までで、箱根峠までは登っていない。私は駅伝ファンで、しばしば箱根八里を走ったことがあるが、小田原から芦ノ湖までは谷間を通るので景色はよくない。箱根峠を越えて三嶋に降りていく、あるいは三嶋から登っていくコースに絶景が広がる。駅伝選手は景色を見る余裕はないかもしれないが、我々ふつうのランナーは、景色のよいコースを走りたいものだ。

◆   今回(2017年5月)三嶋大社を訪れたが、箱根の宿から箱根峠を越えて、富士山の絶景を見ながら走って下って行った。「人生下り坂最高!」がよくわかるいい道だった。帰りはバスで上がって、元の宿に戻った。


箱根峠からスタート 東海道は松並木:錦田一里塚付近
三嶋大社:戦後大社と称した 大戦前は三島神社:伊豆の島との説も
弁天様:三島の街は富士の湧水で潤う 総門
 拝殿:奥に本殿 横から見た本殿!千木は縦削ぎ、鰹木は5本。 
舞殿  神門 
源頼朝 腰掛石  源頼朝と縁が深かった 
天然記念物:ご神木 金木犀  伊豆魂神社

三嶋の町は富士山の溶岩の末端にあります。その溶岩の間を伝わって富士の白雪が解けた水が三島で湧きだしています。
富士の白雪やノーエ! 解けて流れて三島に流る!  静岡大学防災センター:参照
 上の2枚の写真と図は静岡大学防災センターの図を引用しました。すばらしい図なので、もっと世に知られた方がいいと勝手に使わせてもらいました。

  2017年に四国をまわっているときに、各地に「三島神社」があることに気が付いた。伊予の一宮である「大三島」の神社から出たものだろう。伊予という国は瀬戸内海の島々はもとだった。友人の河野君が「私の先祖の地です」という。河野水軍の本拠地だった。(ちなみ河野君はにボクシング世界チャンピオンだった河野公平の兄貴。)

  神社のHPから

中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。

頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。

その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
ここの三嶋大社は伊豆半島の付け根にあるので伊豆を支配地にしていた源頼朝の信頼が厚く、厚遇された。

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