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宇都宮二荒山神社 |
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祭神 |
関係 |
豊城入彦命 (とよきいりひこのみこと) |
第10代崇神天皇の第一皇子。下野国の開祖 |
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三輪山(大神神社)の主・・・大黒さん
大物主命の子…恵比寿さん |
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■ 日光の二荒山神社と区別するために宇都宮二荒山神社と称している。よみかたも日光は「ふたらさん」だが、宇都宮は「ふたあらやま」である。
「ふたら」というのは補陀落(ふだらく)がもとではないかと言われている。補陀落山は観音菩薩が降り立つの霊山。梵語でポタラカ。
■ 日光と宇都宮の両社とも二荒山神社であるが、どちらが本家か昔から争われてきた。明治4年に日光の方が本家とされ、宇都宮の方は県社に降格したが、数十年の地に巻き返した。現在は両社とも下野国一宮と称している。
両社は二荒山と称しているが、祭神は異なっており、建物自体もだいぶ違う感じがする。私はもとはそれぞれ別の神社だったが、ある時から二荒山を名のって争うことになったと思う。
■ 主祭神は、豊城入彦命。この神はあまり有名ではないが、私は「豊」の字から「豊受」大神と関係あるのではないかと感じた。本殿を見ると伊勢神宮の外宮と同じような平入りの建物で、鰹木は9本、千木は縦削ぎで、豊受神宮とまったく同じである。ということは、伊勢系の神ということになるが、相田にはまったくの出雲系が祀られている。一体どっちなのだ。本殿を囲む塀に三穂津姫の社がへばりついていた。三穂津姫は大国主神の奥さんだ。伊勢系の社に出雲系の神々が並立するという、我が国独特の「まあどっちでもいいか!」という融通無碍の宗教ということになる。
■ 扁額が沢山あったが、おもしろいのはこの広大な土地を神社に払い下げている証文。池田勇人大蔵大臣の名前がある。今こんなことしたらお友達優遇と世間から怒られるだろうが、昔は大らかだった。お友達優遇は今に始まったことではないようだ。
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見上げるような石段。臼ケ峰と呼ばれた丘 |
石段の上の唐門 |
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一之宮の由来が書いてある |
拝殿は平入り:後ろに本殿! |
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本鰹木9本、縦削ぎの千木は内宮と同じ |
この社が三穂津姫の宮、女人はここで参った。 |
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おみくじ:そこここに結んである。 |
新酒授与所。 |
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譲与:昭和の時代になってからだ。 |
沢山の変額が残っている |
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今年はイヌ年。イメージはだいぶ違う。末社の前にあった。大谷石の狛犬。 |
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社殿の中の小さな狛犬。塀の隙間からなので後ろ姿。馬の足、包帯ではない、おみくじ! |
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舞殿、権現づくり:日光二荒山神社の本殿と同じ |
境内の稲荷社:そばに蒲生君平の碑があった。 |
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町の真ん中にある神社 |
宇都宮は餃子の街:隣はガラガラ! |
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宇都宮は「一宮」(いちのみや)が東北弁なまりになったというのを聞いたことがある。確かに「い」が「う」に変化すればそんなこともありそうだ。もちろん宇都宮氏が支配した地域だから宇都宮なのだが、さらにその名前の由来に興味がわいた。案内板をみたり、パンフレットを読んだりした結果、臼ノ峰に神が下りてきたことから、「うすのみや」となったとする方が合理性がありそうだと私は考えた。とりあえず私見。宇都宮在住の方に聞いてみよう。
田川という川が町の中を流れている。河原から見ると日光の山々(富士山型の山が男体山)がよく見える。曇っていたのだが、Photoshopで加工したら、こんなにはっきりした。町の人たちはこの風景の中で暮らしていたのだろう。あの山に神さまが下りてくると考えるのはごく自然だ。山のある風景! いい感じだなあ! |
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