|
|
出雲大社(いずもおおやしろ) |
|
出雲大社という名前は、明治になってからつけられた。
その前は杵築大社という神社だった。
もともとの出雲の中心地は意宇付近だったが、いつのころか
神魂神社にいた出雲国造が杵築大社に移った。
以後、杵築大社が伝説の地になった。
出雲大社付近は大国主神が天照大神に国を譲った場所とされている。
歴史的にみると出雲国造と大国主命との関係はよくわからない。
古事記に書かれた神話は物語だから深く詮索してもしかたがない。
しかしこれだけ壮大な神話が作られるということは
ここに我が日本の文化の原点があったといいことだ。
日本国:大和国はここ出雲から始まったと言っていいのではないか。
|
ご祭神
(ときどき変化する) |
大穴持命 |
平安時代まで |
大国主命の別名 |
須佐之男命 |
鎌倉~江戸時代 |
神仏習合 |
大国主命 |
明治時代から |
神仏分離 |
|
|
|
|
出雲空港は「えんむすび空港」
これは出雲神楽の八岐大蛇!
スサノオ神は八岐大蛇を退治してこの国の盟主になった。 |
稲佐の浜:弁天岩
■ここにタケミカズチ神が座って国譲りを迫った。
●旧暦10月ここから八百万の神々が上陸する。神在月 |
|
|
■荒神谷遺跡
1984年全国の銅剣出土数は300本余。
荒神谷では銅剣358本が一度に出土。国宝 |
■西谷墳墓丘
弥生時代後期~終末期に造られた四隅突出型墳丘墓
大和の前方後円墳よりも古いかもしれない。. |
|
|
古代出雲は青銅器、鉄器をもった大帝国だった。
墳墓は盗掘されているので誰の墳墓か不明! |
四隅にこのようなベロが出ていた。大和とはちょっと異なる大勢力があったことは確かだ。。 |
|
|
|
■出雲大社の鳥居は四、死をイメージするので嫌われたが、ここではそんなこと意に介さない。拍手も四拍手! |
■ほかの神社と違うのは八百万の神の宿舎があること。東西の十九社がそれである。ここで縁結びを行う。 |
|
|
勢溜(せいだまり)(砂丘の高まり)の木の鳥居。
ここから拝殿へ、珍しい下りの参道! |
一畑電車出雲大社前駅近くの石(コンクリート)鳥居。
勢溜から「神門通り」を見る。登りの参詣道! |
|
|
参道の真ん中は神さまの通り道:鉄製の三の鳥居 |
四番目の青銅製の鳥居:四つの鳥居は珍しい! |
|
|
■仮本殿:本当は拝殿:60年遷宮の日(2013.5.10)
神さまの頭が引っ掛からないように、小さな注連縄! |
拝殿:2015年 元のように大きな注連縄になっている。
大国主神はすでに仮御殿から本殿に移られた。 |
|
|
■遷宮の日にやってきた。数千人の招待客が来る。檜皮葺、巨大な千木。大社造りの豪壮な社殿(24mの高さ)。 |
■今の社殿は高さ24m、建築当時は48mで日本一だった。雲太(出雲太郎)と呼ばれた。 |
|
|
■大国主命と助けられた白兎(因幡) |
■神在月(旧暦11月)全国の神さまはここに集まる。東十九社 |
|
|
八足門:拝殿の真裏にある。ここが拝殿のようだが・・・本殿の千木が見える。縦削ぎ。 |
■神楽殿の大注連縄:これが一番大きい。13m 5トン。神楽殿は270畳の大広間 |
|
|
見ることはできないが本殿の誕生絵。八雲! |
出雲大社の絵馬に、八雲はない。これは熊野大社の絵馬。 |
|
|
|
|
参道脇:祓戸神社 |
灯篭も大きい |
本殿裏:元祭神のスサノオ |
千家国造家 |
|
|
■出雲大社は出雲古来の社殿ではない。大国主命が天照大神軍(タケミカズチ神)によって打ち負かされ、国を譲ることになった。次男のタケミナカタ神は反対したが、敗れて出雲を追われ母のふるさとへ逃げ、フォッサッマグナを南下して諏訪に落ちつき諏訪大社の神になった。長男の釣り好きの事代主神(エビス様)は出雲を追われ、大和葛城に逃れ、その後は天皇家と結んだ。葛城一言主神となって勢力をふるった。
■父大国主命は出雲に大きな大きな社殿を作ってもらうことを条件にして引退し、杵築大社(後の出雲大社)の神となって、奥さん愛人と共に出雲大社に祀られた。天照大神の勢力は約束通り、とてつもなく大きな神殿を作り、封じ込めて大国主命を復活させないようにした。 |
|
■声までは神話の話だが、八足門の前から、大きな丸太を3本束にした頑丈な柱が出土した。
これだけの太さがあれば48mの巨大神殿建設は可能だ。大林組がシミュレーションをした模型が上の図。
■この神社の宮司は千家家と北島家が担ってきたが、現在は千家さん、84代目という。2014年、84代宮司の長男が高円宮典子さんと結婚した。神話では出雲国造の祖先は「アメノホヒ神」。天照大神の次男で、出雲に国譲りの交渉にやって来るが、大国主神に心酔して天照大神を裏切ってしまう。
ということで、初期の出雲国造と伊勢天皇家は敵対関係だった。今回の天皇家の子孫と出雲国造家との婚姻は2000年の恩讐をかなたにやることになった。めでたしめでたしの婚姻だった。神話と現実を一緒にしてはいけないが、
物語としては大変興味は深い。 |