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大山祇(おおやまずみ)神社 |
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別名1 |
別名2 |
祭神
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大山積神
(おおやまづみのかみ) |
和多志大神
(わたしのおおかみ) |
三島大神 |
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1999年5月、多々羅大橋が完成し広島県と愛媛県がつながった。橋でつながった島々をつなぐみちは「しまなみ海道」と呼ばれている。友人の海宝道義さんが、福山城から今治城の間を走る「しまなみ海道ウルトラ100q」を開催した。私は第1回から10回参加し、8回は完走した。
大山祇神社はしまなみ海道の大三島にある伊予国一宮である。全国の一宮は旧国の中心部にあることが多い。淡路、佐渡、隠岐、壱岐対馬などの島にも一宮があるが、そこはすべて島が一国になっていた。中心部から離れた島に一宮があるというのはここ大三島の大山祇神社だけである。
しかし大山祇神社は「日本総鎮守」を称しているように、壮大な神社だ。大三島は村上水軍の拠点でもあった。昔の瀬戸内海は陸路よりも快適な交通路だった。ベテランの船乗りがいれば都へ行くのも簡単だし、陸路よりも大量の物資も運べる。瀬戸内海の島は隔絶した場所ではなく、交通の要衝だったのだ。
さらに祭神は海の神さま大山祇神である。日本人の祖先は、浦島太郎の神話でもわかるように海の彼方からやってきたことは間違いないだろう。その海洋民がもたらしたのが大山祇神であり、後に古事記の神話に合わせて、天皇家の祖先とした。天下りした天照大神の子孫はみな大山祇神の子孫と結婚し神武天皇に至る。渡来民と海洋民との融合を表しているのだろう。
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大山祇神社海からの参道 |
1999年5月開通の多々羅大橋から |
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港に立つ一の鳥居 |
参道:昔は賑わっていた。今は陸路でお参り |
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2009年参拝時、総門はない。 |
2010年総門復元:下は狛犬拡大写真 |
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総門前:出番を待つ狛犬 |
御田の前の社殿:舞殿かな? |
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本殿:両脇に下津社・上津社 |
17社 神さまの長屋 |
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大楠:境内には楠が多数 |
平山郁夫画 |
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大山祇神社は三島神社ともいう。四国を回っているときに各所に三島神社があった。それらはみな大三島にある大山祇神社と同じ系列のものだった。
大三島の「大」は尊称で、本来は三島あるいは御島だった。神さまのおられる尊い島、すなわち御島(みしま)だった。私は伊豆の一宮はまわりに海もないのに何で三島大社というのか不思議だったが、大三島にある神社と同じ系列の神社だから三島と称したとわかって納得がいった。地名は神社の後につけられた名前だった。 |
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瀬戸田の耕三寺 |
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生口島(広島)の耕三寺:大阪の実業家・金本福松が瀬戸田に住む母のために作った寺。昭和に入ってからの建築であるが、日本全国の寺院などを模して作った寺。檀家はないので現在は寺全体が耕三寺博物館となっている。まあまあすごい。耕三寺のとなりに平山郁夫美術館がある。瀬戸内海最大の観光地になっている。 |
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西の日光といわれる豪華さ |
母の寺ともいわれる。 |
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大理石の庭園(未来心の丘)イタリアから運んだ大理石の丘! これはすごい! |
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2008年の参拝のときの写真をメインにした。しまなみ海道100qの大会の翌日に来たので、まだ頭は回復しておらず、また大山祇神社も改修中で、総門もなかった。その後2回ほど立ち寄ったが、友人の車に乗せてもらったので遠慮があり、写真はあまりない。
この記事はメモと写真を見ながら2019年に記事を書いたので、時代的に前後した部分がある。新しい総門の写真は神社のホームページから借用した。
自転車を借りて多々羅大橋を渡って訪れた生口島の耕三寺、平山郁夫記念館の方が、印象が大きかったので写真も多くなってしまった。それは私の都合で、大山祇神社のせいではない。 |
今治の大山祇神社 |
四国本土?にも大山祇神社がある。海が荒れたりすると祭祀ができなくなるので今治に大山祇神社の別宮を設けた。大三島には24の僧坊があったが、そのうち8僧坊を別宮に移した。時代はいつか不明だが弘法大師が南光坊を訪れ法楽をあげたという。南光坊は現在は四国88か所の第55番札所になっている。
2017年、私は四国遍路の途中で南光坊に参拝した。明治期に神仏分離になったので、大山祇神社は隣にある。参拝の人は神社には目もくれず、南光坊に行く。ちょっと残念なことである。 |
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今治市にある 大山祇神社拝殿! |
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日本総鎮守:三島地御前 |
大山祇神社 本殿 |
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南光坊の仁王門:日本総鎮守:三島地御前 |
南光坊の本堂 |
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四国札所55番 |
仁王門は天部の神さま |
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