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伊佐須美神社 |
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岩代国一宮と称せられているが岩代国というのは明治時代に一瞬存在しただけの国名なので、昔からの一宮ではない。全国一宮会では、新一宮として伊佐須美神社を認定している。新一宮と言われると新しく作ったように聞こえるが、延喜式の(925年)の式内社なので古くから存在している。陸奥国に大和政権が広がると奥州二宮として知られるようになった。
新一宮など返上して奥州二宮とした方が意味があるように思う! |
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『日本書紀』には崇神天皇10年に「四道将軍」として4人将軍が各地に派遣されたとある。
西道に派遣されたのは吉備津彦命、丹波に派遣されたのは丹波道主命である。
伊佐須美神社の祭神である
■大毘古命は高志道(越の国)に、
■建沼河別命は東方十二道(東海道)に派遣された。
そして大毘古命と建沼河別命が出会った地が
「相津」(現・福島県会津)と名付けられた。
建沼河別命と大毘古命は親子で、建沼河別命が息子である。
古事記には武渟川別命 大彦命と記されている。 |
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たぶん2の鳥居 |
参道の灯篭 |
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裏門 入ることはできない |
陸奥の国二宮とある。 |
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隋神門の神さま像 |
木造の阿吽の狛犬 |
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お父さんの大毘古命は高志の国から、息子の建沼河別命は今の東北道からやってきて
伊佐須美神社の場所で再開した。そこを会津と呼ぶことになった。 |
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一宮にしてはちょっとしょぼいなあ! |
実は火事で本殿は燃えてしまい仮本殿だ! |
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こんなところにお賽銭箱が・・・ |
ニワトリが霊鳥なのかな? |
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2020年、私はもう車の運転ができないので若い友人の芳原さんと小林さんを誘って会津の伊佐須美神社にやってきた。
赤い鳥居、重厚な隋神門をくぐる。さぞや立派な神社だろうと思ったが本殿は火事で焼けて、まだ仮殿のままだった。一宮にしてはお参りの人は少ない。
それでも小林さんは熱心に何かを祈っていた。
「さあ喜多方に戻ってラーメン食べよう」
と戻ろうとしたら、仮本殿に向かってお参りの家族がやってきた。
突然小林さんが大声で何か叫んでいる。なんとなんと、その家族は小林さんの息子さん一家だった。
小林さんは前橋の人、息子さんは今は長野に住んでいるという。示し合わせたわけではないのになぜここで出会うの?まるで大毘古命と息子の建沼河別命の出会いと同じだ!
まさに奇跡的な出来事! ここは、親子で会いの「会津」だったのだ!
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