111   琉球国一宮   那覇市若狭1丁目
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波上宮

ご祭神    伊弉冊尊 いざなぎのみこと 日本の国土のもとになる神
速玉男尊 はやたまおのみこと 左神座
事解男尊 ことわけおのみこと 右神座
相殿神   竈神 かまどかみ 火神 
産土大神  うぶすなおおかみ  
少彦名神 すくなひこなかみ  薬祖神 

古来琉球国は中国王朝との交流が盛んで、中国の儒教、道教の影響が大きかったが、中国仏教の影響はほとんどなかった。沖縄に仏教が伝わるのは日本本土からであった。当時の仏教は真言系で神仏習合の様式だった。

13世紀浦添に極楽寺(真言宗)が建立された。神社が作られたのは14世紀になってからで、琉球王の祈願寺として波上山護国寺が、現在の波上宮の場所に作られた。この場所が琉球の真言宗(聖家)の本山となった。さらに臨済宗(禅家)の寺院も建てられた。

しかし一般民衆は琉球神道の「御嶽うたき」を聖地とする信仰が続いており、仏教、神道よりも昔ながらのノロの組織の方が受け入れられている。

明治の神仏分離の中で現在の波上宮を一宮としたのは本土からの移住者たちが多かった。当時末社に皇室の祖先である「天照大神」を祀っているということで官幣小社として明治政府から権威付けられた。沖縄戦ののち壊滅状態になった神社を復活させようとしたのは、外国に出ていた移民の方々や本土の護国寺系統の方々であった。


波上宮 二の鳥居
拝殿前の狛犬?シーサー? 台湾から毎月来る氏子?
拝殿前の阿吽の狛犬、シーサー 狛犬のルーツはシーサー??
首里と那覇をつなぐ長虹堤防でつながる 現在の波上宮裏の砂浜 
琉球国は海洋大帝国だった  王様のお城、首里城の守礼門
王宮は火事で焼け落ちた。現在再建中! 城塞の石垣の奥に復興中の首里城が見える 
王属の陵墓の玉陵 、三つに分かれている 一番左が直系の王様の墓 
琉球国一宮と言っても、正直なところ心躍らなかった。それは琉球国への日本本土の態度だ。いかにも弱小国としてしか扱っておらず、海洋大国であったことなどにまったく敬意を払っていなかった。薩摩藩は自国の属国として扱い、明治政府は何の配慮もなしに王様を廃し琉球国ではなく、沖縄県として組み込んでしまった。
他の県と同じような権利を持つかと言えばことごとく差別し、太平洋戦争では日本本土の防衛拠点としてうち捨てた。相手を敬うことなく自分たちの国家宗教を強制させた。朝鮮、台湾でも国営の神社を建てたがもちろん受け入れられることはなかった。しかし沖縄ではムリヤリ官幣小社にして国家統制を敷いた。一般の民衆が一宮を喜んで受け入れたということではない。一宮はお上が決めたことではなく民衆の中で目覚めたものをお上が後つけにしたものだ。

琉球国一宮巡りはなんとなく終えた。実は今回の沖縄訪問の目的は、これまで沖縄以外で見てきた狛犬と沖縄独特の風俗であるシーサーの違い、あるいは共通点を探るためにやって来た。
玉陵の三つのお墓の
上にあるシーサー
真ん中のものは狛犬
に似ている
 村の出入り口に置かれた
シーサー。
鉄砲で撃たれたあと
がある。
後ろ二つは与那原駅そば
 現在の屋根のシーサー
対にはなっていない!
狛犬は阿吽で対になっている。
現在のシーサーも阿吽だが、これは近年狛犬の真似をしたものだ。
本来のシーサーは獅子がなまった呼び方で、獅子狛犬と同じらしい。
古い沖縄のシーサーは集落を守るもので一頭で集落入り口に立てられている。
現在のシーサーは家を守るために屋根に一頭だけ置かれている。
阿吽のシーサーは芸術的な焼き物として発展。土産物として米国人に人気だった。
結論はシーサーは獅子、日本でも昔は獅子舞など獅子は身近だった。
狛犬も厳密な人は獅子狛犬と呼ぶ。
もとは中国を通ってやって来たエジプトのスフィンクス(獅子)だったという説もある。
「全国一の宮会」では新一宮として北海道、北東北、沖縄の神社を設定している。
波上宮は沖縄の一宮とされているが、私が訪れたどこにも一宮の
表示はなかった。 国司が任官して最初に訪れるのが一宮だが、
いまはその役割もない。ただ一宮という表示だけでは意味はない。
地元の人たちはどう思っているのか? 
私にとっては楽しい一宮巡りとはならなかった。

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