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四国お遍路 第8回 松山から 2日目


■今話題の加計学園の獣医学部は今治に建設中だ。もしかすると建築現場が見えるかもしれないと思っていたら、54番の延命寺の裏から望むことができた。モリカケ問題の森友学園への国有地払い下げは優遇しすぎとの報告が会計検査院から提出された。今治の加計学園は今治市の土地を無償で払い下げたが、こちらは国有地ではないので取り調べはないらしい。

◆遠望した加計学園の土地は周りにも住宅地があり、無償で払い下げるような荒れ果てた土地ではない。どう考えても加計学園が優遇されたと考えるのは当然だろう。しかしつい最近、来年の開学認可が下りた。地元の皆さんは歓迎しているのだろうかな。何人かにそれとなく問うてみたが、地元の人は何を語ろうともしなかった。

■今治は「いまばり」と読むと思っていたが地元の人が「いまはる」と濁らずに話した。確認したら、どちらでもいいですとのことだったが、「いまはる」のほうがやさしいし和語のような感じがあって私は好きだな。これからは「いまはる」と呼ぼうと思っているが、東京では通じないだろうなぁ。

■今回は今治の周辺のお寺をまわる予定。近くにたくさんの札所があるので数を稼げそうだ。札所が沢山あるというのはそれだけ人が多く、経済力があったということだろう。54番から59番までが駅から10キロ以内にある。一気に回れそうだと思ったが、58番の仙遊寺はかなりの山の中にあるので、ちょっと大変そうだ。

      第54番 延命寺  
■本日の行程の前半はすでに16日の項目に記した。成田空港でヒコーキに乗り遅れたので16日の夕方、やっと伊予和気の民宿に着いた。17日は朝早くから歩き始めた。お昼には予讃線の大西駅についた。アメリカ人の若いお遍路人も一緒だった。

■駅前のスーパーでお寿司などを買って食べる。ちょっと哀れに見えたのか、おばあさんがご接待だと言って100円くださった。現金ご接待は初めてだった。白い装束を着ていたおかげだな。延命寺のお賽銭に上乗せした。

■友人のSEKINEさんは延命寺にはお参りしないと言っていた。私ももう十分生かしてもらっているので延命しなくてもいいと思っているが、お接待をいただいたので、つい丁寧にお参りしてしまった。

■この寺は昔は今治の圓明寺といい、松山市の53番と同じ名前だった。紛らわしいので同じ読みの延命寺と改名したのだそうだ。なので「延命」とは関係がなかったが、改名してからは「延命」のご利益が期待されるようになったそうだ。


アメリカ人の若者へんろ:あっという間に見えなくなった スーパーで豪華お昼。哀れそうだったのか?お接待された。
国道歩きはおもしろくない。この先歩道もなし 国道から山側に入る。延命寺はすぐそこ。
中門:この門の手前に仁王門がある 本堂:石段の上にあり、左手に大師堂がある。
大師堂:右写真の鐘の名は近見二郎 鐘楼:鐘の音の美しさに長曾我部軍が魅せられた!
お不動さん。本堂の不動明王は秘仏

お墓団地をとおり今治市街へ向かう。 高速道路をくぐりお墓の下を通って進む
姫坂神社(日向一宮)
今治市街へ入ると今治西高の脇に鳥居があった。市杵島比売命(いちきしまひめ):宗像三女神の一柱。弁天さんの名でも知られる。
地元では「姫の宮」と称し伊予国越智郡日高郷(現在の今治市)の一宮として多くの庶民の信仰を集めた。
境内には青木神社、大巳貴神社、山王神社がある。
可愛い感じの狛犬! 境内社:青木神社は咳に効く 

       第55番 南光坊
愛媛県は昔は伊予の国と言った。伊予の一宮は大三島(おおみしま)にある大山祇(おおやまずみ)神社である。
しかし瀬戸内海の島のため、風雨がはげしい時には神事が滞るたえに別宮が作られた。
当時は神仏混交で8つの坊がここに作られた。しかし長曾我部氏の攻撃によって焼失し、
のちに南光坊だけが再建された。
南光坊の扁額に書かれた「日本総鎮守三島の地御前」は神社の坊であった名残である。
広目天 増長天 多聞天 持国天
このところ 三島に夢の さめぬれば 別宮とても おなじ垂迹 なかなかすばらしい大師堂
境内の金毘羅堂 55番の前で

     大山祇神社:別宮  
 大山祇神社の別宮は南光坊に隣接して立てられている。国道から見ると、この神門と大鳥居が並んで立っている。 
扁額に書かれた文字は「日本総鎮守三嶋の地御前」 今治 大三島神社
ちょっとカワイイ狛犬 境内社: ・・神社

  着     
2日目
11月17日
浅海駅 大西駅 JR予讃線 
大西駅  第54番延命寺  5q 2時間
延命寺 姫坂神社 4q 1時間半
姫坂神社  第55番南光坊 1q 30分
南光院 今治駅   泊 
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