001   山城一宮1   京都市北区
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賀茂別雷神社(上賀茂神社 

主祭神  賀茂別雷命
(かものわけいかずちの命) 
別名:火雷神or大山咋神(京都盆地里の神)  
第1摂社 片山御子神社 祭神:玉依比売命(下鴨神社祭神) 賀茂別雷命の母 
境外摂社 久我神社 祭神:賀茂建角身命(下鴨神社祭神) 玉依比米命の父 
第3摂社  大田神社
祭神:天鈿女命  
境外摂社 須波神社 祭神:阿須波神・波比祇神・生井神・  
社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

■玉依比売が賀茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、賀茂別雷命が生まれた。その神を賀茂一族が奉斎した。丹塗矢の正体は「火雷神」とも「大山咋神」ともいう。玉依比売と父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。(山城国風土記)…(丹塗りの矢に似た話は日本書紀の三輪山伝説にもある)

■平安遷都(794年)後は、鎮護の神社として崇敬を受け、正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。810年以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。明治の社格制度でも伊勢神宮に次ぐ官幣大社の筆頭とされ勅祭社に定められた。

■上賀茂神社と下鴨神社はもとは一社だったが、奈良時代に二つに分けられた。有名な葵祭は両方の社で行われる。

■賀茂別雷命は古事記などにある神話の神とは異なっている。もともと地元で祀られていた自然神(雷)だったのだろう。その後も大和政権の作った神話の神にとってかわられなかったということは賀茂一族が古くから強大な力を持っていたからだろう。

■平成26年に第42回の式年遷宮が行われた。21年ごとに行なわれるが、伊勢神宮(平成25年第62回式年遷宮)とは違って全部建て替えるのではない。遷宮も平成26年、両神社が同時に行った。

鴨川沿いから(2012.4.13)  正面南口:大鳥居 
斎王桜:紅しだれ桜 外幣殿:桜と並んで立つ 
二の鳥居:一の鳥居と斜交している 立砂:細殿の前にある
拝殿:遷宮前・檜皮の屋根は傷んでいる  楼門:玉橋の下を御物忌川が流れる。
立砂:左2本松葉:右は3本 御物忌(おものいみ)川 摂社:須波神社 摂社:山口神社
片岡御子神社:紫式部がたびたび参った。 御物忌川にかかる片岡橋
2007年:拝殿  特別参拝:ここより中は写真禁止 

境内から明神川として流れ出す。
社家とよばれる街並み
境外にある第三摂社:太田神社
天のウズメを祀る。カキツバタの畑で知られる

■桜の時期、賀茂川沿いはすばらしい眺めが広がる。そのまま上賀茂神社にはいると、鳥居の内側にこれまた素晴らしい赤いしだれ桜がみえる。これは斎王桜と呼ばれる名木だ。斎王というのは伊勢神宮だけのものかと思っていたが、ここ賀茂神社でも天皇の皇女が斎宮に住まわれた。未開の伊勢に行くのに比べれば、平安京のなかなので、悲壮さはなかったろう。
■古い神社なので摂社や末社も多く、上の写真の太田神社もその一つである。そのうちに摂社をまわってみようと思うのだが、なかなか実現しない。下鴨神社の祭神は八咫烏であるが、太田神社の祭神も古事記に出てくる天のウズメである。本殿には大昔からの自然神が祀られているが、摂社には人々が考え出した古事記由来の神さまが祀られている。賀茂神社は古事記以前から存在する神社なのだろう。
■古事記を作った勢力、天武天皇の系統に飲み込まれなかったという点で、独立性があっていい神社だと私は思っている。

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