002    山城一宮2     京都市左京区 
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賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)

祭神  関係 
東殿 玉依姫 賀茂別雷命の母 
西殿 賀茂建角身命  玉依姫の父=八咫烏
■ 奈良時代以前に賀茂神社は1つだったらしいが、いまは上賀茂神社、下鴨神社と別れている。正式名称は上賀茂=賀茂別雷神社、下鴨=賀茂御祖神社となっている。京都三大祭りのひとつ「葵祭」は両方の神社の祭事である。

■ 下鴨神社の祭神は玉依姫とその父である賀茂建角身命(かものたけつぬのみこと)=八咫烏である。玉依姫は上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母である。ということは下鴨神社の方が、もとの神社かと思ったが、奈良時代に上賀茂神社から分かれたとさえている。

■ 境内の糺の森(ただすのもり)の「ならの小川」の上流から丹塗りの矢が流れてきた。その矢を床に置いて寝たら姫は身ごもって、男の子を産んだ。男の子、別雷命は上賀茂神社の祭神である。・・・山城国の風土記に伝えられた神話

■ 玉依姫は日本書紀では、神武天皇の母として書かれている。神さまの霊が依り付く巫女=玉依姫 とされている。
丹塗りの矢の話は古事記にもある。矢は大物主命が姿を変えたもので、生まれた女の子は神武天皇の妻になる。男の子、女の子の違いはあるが、同じ起源の話だろう。

南口鳥居:この手前が糺の森  輪橋(そりはし)と光琳の梅(2007.2.26) 
御手洗ー直澄(ただす)
言社(干支を守る神)七社ある。  拝殿:奥に本殿 東西二殿

井上社:御手洗川の源湧水  楼門 内側から 1628年造替:重文
中門 :奥に拝殿  摂社:三井神社棟門(重文)
三井神社舞殿?  光琳の梅と舞殿
摂社:河合神社   鴨の長明の「方丈」移築、再建
下鴨神社にお参りのかなりの人が、この相生社を目的に来る。
京都でも1,2を争う縁結びの宮だから。
この鳥居の向かって左側に上の写真のような木がある。
これが連理の賢木(れんりのさかき)と呼ばれるご神木。
下は二本だが途中から1本になる。まさに縁結び。
お参りにはむつかしいご作法がある。
私はもう縁結びは必要ないので、見物。
カップルは真剣に絵馬を手にして回っていた。 

  高野川と鴨川が合流する場所はデルタ地形になっている。飛び石伝いに川を渡ることができるので、私はたいていここからデルタに行くのだが、歳を取って来るとちょっと恐ろしいので、出町柳駅から河合橋を渡っていこことが多くなった。

  賀茂神社に行くのはたいてい観光目的で、お参りという感じはない。たぶんほとんどの人も観光なのではないか。しかしこの神社は京都では一番古く格式のある神社で、ちょちょっと行って帰って来るのはもったいない。私は鴨川ランニングの終点としてここで休むことが多かった。もっとしっかりと学んで来ればよかったのにと多少後悔している。

  京都を開いた古代の豪族でる「賀茂氏」は、その先祖が八咫烏(やたがらす)《神武天皇を大和へ導いた一族》とは知らなかった。八咫烏は紀州の熊野大社の三本足のカラスとして有名だったが、ここの祖先だった。

  糺の森は広大で、正門から入ると「ならの小川」沿いに延々と歩かなければならない。途中左手(西側)に摂社の河合神社がある。ここも立派な神社で、有名なのは「鴨長明」の「方丈」が移築されている。鴨長明は禰宜の次男であったが、権力闘争に敗れ、伏見に隠遁して「方丈」で随筆「方丈記」を書いた。

  下鴨神社は蹴鞠でも有名だが、三本足のカラス(日本サッカー協会のマーク)と関係があったのだ。ちょっと前サッカーの中田選手が衣装を整えて蹴鞠を奉納したのをテレビで見た。サッカーと深い関係の神社だったのだ。

  葵祭はテレビでしか見たことはない。そのうち一度来てみたいが、大変な人出というから、年寄には無理かもしれない。

そうだ、もう一つ。葛城の高鴨神社に参ったことがある。そこには高鴨神社こそが全国賀茂神社の本家で、京都の賀茂神社も高鴨神社の神さまを分祀したのだと聞いた。しかしここ下鴨神社では高鴨神社との関係はどこにも書いてなかった。・・・どうなっているのかもう一度聞いてこよう。

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