023    相模国一宮1     神奈川県寒川町宮山
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寒川(さむかわ)神社 

ご祭神 寒川比古命 寒川大明神 
寒川比女命
  相模の一宮は寒川神社と鎌倉の鶴ケ岡八幡宮とされている。現在では鶴岡八幡宮の方がはるかに規模が大きく、参拝者も多いが、歴史的には寒川神社の方が古く、由緒も正しい。
  ご祭神は上に書かれた二柱である。古事記などに由来するものではなく、地元で信仰されていた神の名前だろう。相模国造によってつくられた神社で、延喜式にも載っている由緒正しい神社である。しかし歴史はさらに古いようで近隣には祭祀跡や古墳、貝塚などがある。海水準の高かった縄文時代から何らかの祭事の場所であったようだ。
  現在の海岸線は7キロも離れた茅ケ崎海岸であるが、縄文期には神社の近くまで海が迫っていた。この神社からさらに8キロほど上流には相模の国分寺があった。いずれにしてもここ寒川神社から相模国分寺跡(海老名)あたりは古代においては住みやすい土地だったのだろう。
  八方除けの守護神として多くの参拝者を集めている。八方除けというのは四方八方からくる災いを防ぐご利益があるということ。実は明治時代に始まったもので、アイディアがよかっため現在まで繁栄することになった。



昔は国分寺と一宮はセットになっていたのではないか。自分の足で確かめてみたかったので、厚木駅から相模国分寺跡に行ってみた。そこから相模一之宮はほぼ真南に7キロほどのところにあった。途中のんびりと歩き、新幹線をくぐった。ちょうどドクターイエローの車両が通り過ぎた。近くの公園にはこの車両の通過時間が書いてあった。それを頼りにかなりの人が集まっていた。黄色い新幹線を見ることができた。相模一之宮にお参りするご利益かな。あり難いことだ。

相模線の寒川が参拝路、宮山駅の方が近い  相模国分寺跡から目久尻川を辿った 

茅ケ崎、平塚の街は相模川の河口の平野にある。Google の地図をみると寒川神社のあたりは色がちょっと違っている。現地に行ってみると相模線の線路の近くは住宅地になっているがもとは畑だった。畑地はちょっと高台にあるので水田にはできない。水田が広がるのは沖積平野である。古代には海が寒川駅のあたりまで入り込んでいた。寒川神社は台地の端にあったのだろう。そこから少し奥に国分寺が作られたのだろ。
一の鳥居:寒川駅近くの相模線踏切 二の鳥居:Googlemapから :目久尻川沿い 
三ノ鳥居:ここから境内 参道:関東大震災で壊れた鳥居を保存
神門:左右の狛犬が立派!   狛犬の大きさ:全体が移っていない
(厄)八苦落とし:厄の字が逆さま!  注連縄の形が特徴的
すっくと立った狛犬:獅子(阿吽) 三の鳥居の脇の団子や


  この神社の神さまが寒川比古、寒川比女 二柱で寒川大明神 だ。この神社以外では聞いたことがない土着の神さまのようだ。同じ相模一之宮の鶴岡八幡宮は八幡神という日本では一二を争う人気の神さまを祀っている。源氏という政権をバックにした神社なので、それは大変な力を持っていたし、現在も維持している。
  それぞれ特徴があっていいのだが、私は土着神を祀って現在に至っている神社の方が好みだ。土着の神さまは地元民の神さまだから、我々よそ者にはご利益はくれない。しかしそれでは長く維持できないので様々な工夫を凝らして、地元以外にもご利益を広げようと試みる。
  寒川神社のお正月の初詣は50万人という賑わいになっている。神奈川県では鶴岡八幡宮に次いで2位である。これは古来から「八方除け」の守護神であることが人気の原因のようだ。しかし八方除けが盛んになったのは明治末年だという。さらに視聴率向上にもご利益があるとのうわさもあり、芸能人にも人気になったことが、参拝客の増加につながっているようだ。
  長いこと神社は国家に守られてきたが、近年は経営努力をしなければならない状況になっている。寒川神社は大いに成功した例だろう。なかなかいいですね。
 

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