071   備前国一宮1    岡山県岡山市
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吉備津彦(きびつひこ)神社 
主祭神 大吉備津彦命(きびつひこのみこと)
相殿
稚武吉備津彦命 
孝霊天皇      第7代天皇
孝元天皇      第8代天皇
開化天皇      第9代天皇
崇神天皇      第10代天皇
彦刺肩別命
天足彦國押人命
大倭迹々日百襲比賣命
大倭迹々日稚屋比賣命
金山彦大神
大山咋大神
(大吉備津彦命の御子)
(大吉備津彦命の父)
(大吉備津彦命の兄弟)
(孝元天皇の御子)
(開化天皇の御子)
(大吉備津彦命の実兄)
(第5代孝昭天皇の御子)
(大吉備津彦命の姉)
(大吉備津彦命の妹)
(鉱山や金属業の祖神)
(山の神)

古墳時代、吉備には造山古墳、作山古墳など巨大な古墳が造られた。
全国4位と9位の大きさで、畿内の古墳と引けを取らない。
これだけの古墳がつくれるのは鉄器を背景にした巨大勢力があったからだ。

しかし持統天皇の飛鳥浄御原令によって
吉備国は備前、備中、備後に分けられた。
備前からはさらに美作が分離された。

 それぞれの国に一宮がおかれたが、祭神はどの神社も吉備津彦命であった。
備前一宮も吉備津彦命を祀るが相殿には7代から10代までの天皇が祀られている。

天皇系譜では第2代から9代までは実在しない欠史8代といわれる。
しかし7代から9代の天皇は、吉備の大王のことだったと私は理解している。


桃太郎線の駅(非電化:無人) 線路を渡って参道にでる。
石段の上に拝殿  本殿、横に回って拝観

備前焼の狛犬:2008年左上の写真を撮った。
逆光だったので向かって右の狛犬の写真は撮れていなかった。

それが悔しくて、なんとかもう一度行こうと思っていた。
2021年9月やっと再訪できた。

新しい備前焼の狛犬が一対あった。
今回は裏側から立派な尻尾も撮影できた。

ちょっと自慢したくて、多くの狛犬写真を入れた。

今回は備中一宮の吉備津神社まで友人の車で送ってもらった。
参拝後桃太郎線で岡山に戻ろうと考えていた。
しかし車だったので、本日は歩き足りない。

そこで山越えで吉備津彦神社に行くことにした。
同行のわが家の奥さんは、
「こんな時間から山越えなんて! 勝手に行けば」
と言って列車で岡山に戻った。

前回は一緒に吉備中山を越えたので、その時の写真も入れておきます。
吉備津彦神社の本宮の磐座  吉備津彦命の陵墓 宮内庁管理 

吉備津彦は第4代孝霊天皇の皇子という。
大和政権から「四道将軍」として吉備に派遣された。

私はもともと吉備の大王だったと思っているが
古事記の記述の方が正しい!

吉備津彦は鬼ノ城に住む「温羅(うら)」を
退治する戦いを始めた(桃太郎の鬼退治))

矢に打たれた温羅は鯉に姿を変えて逃げる
鵜に姿を変えた吉備津彦は鯉をとらえる。

鯉喰神社もあった。

鬼ノ城は山の上にあり、復元?工事中!
2008年まだ工事中  こんな立派な舘や門があったのか? 
吉備津彦は桃太郎のモデル 温羅は本当に悪人だった?

吉備という国は気になる大国だった。畿内の勢力が強大になると
大国は分割されて、勢力をそがれた。
筑紫の国、越の国、吉備の国がそれらだった。

鬼ノ城に温羅が住んでいたという。この人物を倒すのに
大和政権は「四道将軍」の吉備津彦を派遣した。

鬼と言われるが、温羅は地元の英雄、
吉備津彦は大和からの派遣された征服者だった。

退治された鬼に対して地元の人はけっこう親しみを持っている。
鬼だけでなく自分たちも中央に征服されたという思いを
いまだに持っているのかもしれない

いずれにしても、古代日本の吉備国は気になる場所である。

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