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■ 本日で5日目。もうこの歳で、この暑さ。少々無理があったかもしれない。ここ2日間はOさん宅でゆっくりさせてもらったので、少しは元気が出たが、本日も真夏日の予想。とても歩けそうもない。朝のうち涼しい時間に50番の繁多寺、51番の石手寺を回って、昼間は道後温泉に逃げ込もうという予定にした。

■ 昨日のうちに49番浄土寺も回っておいた。すでに夕方だったので納経所はしまっていたが、私たちは御朱印集めはしていないので、問題なし。49番へ行くのが遅れた理由は、上の写真の神社で時間がかかったからだ。日尾八幡はもと久米八幡だったらしい。八幡様だから当然応神天皇を祀る古い神社のようだ。隣の浄土寺はこの神社の神宮寺だったのかどうか知りたかったが、よくわからない。しかし神官は大神朝臣久米麻呂(三輪田家の祖)、奈良の三輪神社とも関連があるそうだ。三輪田家の墓所はとなりの浄土寺だから、やはり神宮寺だったのかもしれない。三輪田家は東京の三輪田女学校の創始者。

■ 西林寺から浄土寺までは2.5キロほど。すぐに波賀部(はかべ)神社があった。右大臣藤原親賢の子孫である忽那(くつな)さんが寄付して石碑を立てていた。まだ平安時代の藤原氏の威光が残っているのだろうか。遍路橋を渡って伊予鉄道の久米駅近くで赤い鳥居の日尾八幡神社にでる。なかなかすばらしい神社だ。私は狛犬ファンだが取り外してある一対の狛犬がお互いを見つめあっていてかわいい。

■ この神社は伊予鉄道の久米駅のすぐそば。神社の裏には温泉施設東道後「そらともり」があった。実は道後温泉ではゆっくりする施設はなかったので(最大90分)、本日は道後温泉から鉄道でここに戻ってきた。大変すばらしい温泉だった。


波賀部神社、忽那さんの名前が! へんろ橋
日尾八幡神社 並んだ狛犬

■ 仁王門がすばらしい。重要文化財の本堂もシンプルでなかなかいい。山号は西林山、先ほどの西林寺とは何か関係があるのだろうか? 規模は小さいが感じのいい寺である。浄土教(?)の開祖である空也上人(平安時代)がこの寺で布教をした。空也上人は念仏聖の先駆者で宗派を超えた僧(聖)であり、鎌倉時代の一遍上人にも大変な影響を与えた。空也上人立像は重要文化財。京都六波羅蜜寺にも同じ形の空也上人の像がある。
空也上人 仁王:阿吽の阿(あ) 仁王:吽(ん)
四国霊場49番 浄土寺 浄土寺 本堂
大師堂と大師様 仏足石

■ 50番の繁多寺はO邸から15分くらいの淡路山の中腹にある。門前からは松山城をはじめとして松山市街がよく見える。Oさんのお母さんは最近まで毎朝ラジオ体操に上がってきていたが、いまは時々しか来れないとのこと。地元に愛されている寺はいいもんだ。
私たちも朝早く涼しいうちにと上がってきたがすでに観光バスが2台停まっている。まっさらの白装束のいでたちの遍路さんが引率の先達さんにあわせて般若心経を上げている。我が奥さんはちゃんと唱えられるが私は「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい」しかわからない。

■ この寺は一遍上人(鎌倉時代、時宗の開祖)が修行をした寺でもある。一遍上人は瀬戸内海に勢力をはった河野水軍の一族であったことからこの寺と関係を持ったという。繁多寺はその後徳川将軍家の後ろ盾を得て隆盛を極めたそうだ。ところで徳川家の念持仏の歓喜天も祀られている。歓喜天の前には鳥居がある。境内に鳥居があるのは珍しいことだが、そんな理由がある。
桑原八幡神社:浄土寺の下にある 浄土寺門前から松山城
第50番 浄土寺山門  浄土寺本堂:右手大師堂 
観光バスのお遍路さんたち:身軽!  歓喜天の社:鳥居あり 

■ 鐘楼の天井にはお伽草子の絵が24枚描かれている。見上げていたら足元に何かが触れた。カメラだった。誰かが忘れたらしい。急いで納経所に届けたが、観光バスの遍路さんの朱印が忙しいらしく取り合ってくれないので、メモをして台の上に置いてきた。我々は朱印をもらっていないが観光バスが何台も来たら納経所の仕事は大変なのだろう。話によるとバス一台来ると30分は待たされるとのこと。朱印を待つことも修行のうちだ。

鐘楼:お伽草子の絵 大師堂:ぎゃていぎゃてい



■ 私たちは暑くならないうちにとバスよりも先に寺を出て、お屋敷町を歩いて51番の石手寺に向かう。途中の豪邸は東京の自由が丘並みの規模。松平さんなど徳川家由来のお屋敷もあった。50番から51番までは3キロ。石手川にかかる遍路橋をわたるころ小山の上に大きな弘法大師像(後で聞くと石手大師)が見えてきた。

■ 石手寺の前は交通量の多い国道317号線である。門前の水路にはたいてい太鼓橋があるが、ここにかかる小さな橋は「渡らずの橋」だそうで、弘法大師が架けたもので、渡ると足が腐ると言われ、だれも渡らないそうだ。道路が迫っているので渡りたくとも渡れないよ。 

松山のお屋敷街  遠くから大師像が見えた 
 渡らずの橋の前で! 仁王門大わらじ 

■ 「渡らずの橋」の脇から境内に入ると回廊参道が奥に延びている。回廊の周りには「やきもち」の店などが並んでいる。抜けたところに国宝仁王門がある。国宝の前には「集団的自衛権不用:不殺生の祈りの会」の立看板が立っている。門の中には44番の大宝寺の仁王門と同じように大わらじがおかれている。昔は歩き遍路ばかりで「わらじ」が必需品だったのだ。仁王門の前には狛犬ならぬ写真のような像が一対おかれている。七福神の恵比寿様だ。

■ 仁王門、をくぐると正面に本堂、左手に阿弥陀堂、右手に三重塔がある。いずれも国の重文だ。まあとんでもなく立派な寺だが、あちこちにタテカンや幟がはためき、絵馬はあふれているし、経文を書いた石が無造作に置かれていて静寂さはない。なんとなくインドの寺院の雰囲気があり私は好きなのだが、嫌がる人もいるようだ。 

仁王門前の回廊参道  回廊脇にはお店が並ぶ 
 回廊の終点:立て看板有り 狛犬の変わりかな? 
本堂:金色の独鈷(どっこ)  三重塔:重要文化財 
 怪しげな洞窟: 大師堂かなり乱雑な感じ

■ 石手寺の由来
この寺は道後温泉の一角にある。なにか猥雑な感じがあり私にとっては親しみのわく寺である。寺の名前の「石手」はかなり説明が必要だ。

  むかし伊予の国の恵原郷に河野一族の衛門三郎という豪農がいた。その家に托鉢の僧がやってきたが衛門三郎は追い返した。しかし毎日やって来るので怒ってホウキで鉢を叩き落したら八つに割れた。
  三郎には八人の子がいたが毎年一人ずつ亡くなり、8年後には子どもがいなくなった。托鉢の僧が弘法大師だったことを知り、三郎は後悔する。懺悔の気持ちを表すために大師を追い求め四国巡礼の旅に出た。

  二〇回巡礼を重ねたが弘法大師には会えなかった。逆に回ることを思い立って阿波の焼山寺(12番)の近くの杖杉庵まで来たとき病に倒れた。そのときに弘法大師があらわれ、三郎はこれまでの非をわびた。大師は「なにか望みはあるか」と尋ねた。三郎は「河野家に生まれ変わって人々の役に立ちたい」と言って亡くなった。

  大師は石に衛門三郎と記して左手に握らせた。
・・・時は移り伊予の領主河野家に長男が生まれた。その子は左手を固く握って開かない。安養寺の僧が祈ったらやっと手を開いたが、石を握っていた。その石には衛門三郎と書いてあった。その石は安養寺に収められて、寺の名前も石手寺に改めた。長男は河野家の名領主になった。

■ 衛門三郎のふるさとの文殊院が昨日訪れた番外特別札所だ。彼が四国巡礼の開祖とされ、逆打ちをすれば弘法大師に会えるという信仰もうまれた。さらに彼は52番の太山寺から巡礼を始めたということから、その手前の51番石手寺が結願寺だとする信仰もあり、この寺には巡礼を終えたお遍路の金剛杖が沢山収められている。

札所巡拝といってもムリに順番に回らなくてもいいようだ。私は一昨日44番から45番を逆に回れば楽だったのに、こだわって順番に行ったためにかなり難儀した。皆さんの言うようにここだけは45番から44番に行った方がはるかに楽だったのに。
 
大師堂の裏手はらくがき堂  衛門三郎の石・伝説のお寺  

■ 大師堂は大師様が望んでいるかわからないがかなり雑然としている。写真を拡大すると「八福神まいり」と書いてあった。七福神は知っているが八福神とはいったい何? 大きなしゃもじが一対ある。厄除け大師とある。納経所はお茶堂という立派なお堂にある。ぐるっと一回りしてきたが、国宝、重文がきれいに配置されておりすばらしい寺院である。道後温泉にも近く外国人観光客も多いという。帰りがけインドの女性が白装束でお参りに来ていた。ミシュランのガイドにも乗っている観光地だそうだ。

■ 時間があったのでこれまでになく長時間境内をまわった。この寺だけで一冊の本が書けるぐらい濃厚な内容のある寺だ。不殺生と集団的自衛権をつなげることで現代ともつながる教えを諭している。国宝や重文がある寺、怪しげなマントラが混在する寺は大変興味深い。これまで訪れた51か所の寺の中でも一度訪れたい寺の一つになった。

■ インド人修行僧と一緒に道後温泉まで歩く。寺の中は涼しげだったが道路は暑い。河野家ゆかりの義安寺をとおり道後温泉に行く。前回気になっていたイタリアンのお店に入ってランチ。そのあと52番まで歩こうかと思ったが、暑さに負けてヒコーキの時間まで温泉休憩。
 道後温泉にしようかと思ったが一昨日通った49番浄土寺の近くの「そらともり」の温泉施設に行く。すばらしい温泉だ。1080円で4時間ほど休憩、お昼寝して伊予鉄道210円で伊予市駅まで戻り5時半に松山空港へ。
 7時5分発のジェットスター機は遅れて成田に到着。第3ターミナルから遠いのでスカイライナーに乗り遅れ、次の便を40分も待ったので家に着いたのは11時近くになった。

■ 今回の四国遍路第7弾は暑さとの戦いだった。5月ならまだ大丈夫と思っていたのが間違いだった。第8弾は涼しくなった10月か11月にしよう。

大塚邸ー第50番繁多寺 1q 30分   街の道
第50番ー第51番石手寺 3q 1時間30分 街の道
第51番ー道後温泉 1q 30分 街の道
道後温泉ー東道後温泉 11時ー12時 電車
東道後温泉ー松山空港 4時ー5時 電車:バス
松山空港ー成田空港 7時ー9時 JetStar
直線上に配置
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