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四国お遍路 第8回 松山から 1日目


■2014年 70歳を記念して 四国お遍路に出ました。88ヵ所の札所を全部歩くと1200キロもあります。とても一回では歩ききれないので2年間かけて、10回ぐらいに分けて歩く計画を作りました。

■第1回目にこのように書きました。今は2017年11月も後半です。3年半たちましたがまだやっと51番までしか回っていません。まあ半分はちょっと過ぎたのですが、このペースで行くとまだ2年ぐらいはかかりそうです。遅れている原因は体調不良。2016年は奥さんは回復したのですが、私の体調不良が重なって、なかなか歩みが進みませんでした。

■このまましぼんでしまうのかと自分自身思っていましたが、何とか回復し再再開することにしまいた。歩き遍路なのだから、「全部歩く!」ということにこだわって来ましたが、一日25キロペースは無理になりました。なのでそのペースは守り、時にはバスに乗ったり列車があるところでは利用したりするのもよし!と自分自身のルールを変えました。人が決めたルールで歩いていたわけではないので、自分でルールを変えるのは簡単です。

■お寺が開いている7時から5時までの間に行かないと、ご朱印がもらえません。結構時間にもこだわっていまいたが、スタンプラリーではあるまいし、納経もしていないのに、ご朱印だけをいただくというのもおかしいので、朝早くあるいは暗くなってからの「参拝もあり」ということにしました。

■ヒコーキで行き来しているので長い金剛杖は持てません。菅笠も邪魔なので持ちません。雨が降ったら傘をさしています。朱印帳はけっこう大きくて重いので、それがないだけ歩くのは楽です。足元は運動靴、リュックを担いだハイキングスタイルですが、その格好で街中を歩くと、ホームレスと間違われる(実際に何回か嫌がられている)ので、一人は白装束をしています。お遍路さんは親切にしてもらえますが、街中での歩き遍路は怪しまれます。一応まじめなお遍路ですというための装束です。


松山駅:スイカは使えない     民宿の玄関(食事なし・風呂なし7000円!)
■  お恥ずかしい話だが、スカイライナーで成田空港に着いたのが7時45分、乗る予定のJETSTARの搭乗口は第3ターミナル。走っても20分はかかる。8時25分発のこの便には乗れなかった。前回乗ったときには間に合ったのだが、冬ダイヤで15分早まっていたのに気が付かなかったのだ。予約表を見ると「時間変更!注意」と書いてあった。まったく私のミス。

■   いつもなら「何やっているのよ!」と滅茶苦茶に怒る奥さまだが本日は「年だからしょうがないね!」とやけに寛容だ。あとで聞いたら、「致命的ダメージをさらに念押ししたらもうもう立ち直れないだろう!」と配慮したのだそうだ。まあ年をとるということは、こういうことなのだということを学んだと思えばいいや。3000円プラスして夕方の便に振り替えることができた。それまで7時間ほど待たなければならない。

■   暇ができたので上野に戻って芸術大学の美術館に見学に行く。皇室への献上品が展示されている。奥さんだけが見学。私は本日の宿泊所のキャンセルと新しい宿泊場所探しを学生食堂で行った。そこではインターネットはつながるのだが、制限があるようでうまく探せない。しかたなく電話で民宿を予約。民宿は協定料金なのでいちいち確かめなかった。しかし現地に行ってみてそれが失敗だったことがわかった。いつもなら必ず料金は確かめるのだが、慌てていたのだろう。

■    夕方6時半に松山空港到着。バスで松山駅に行き、お弁当を買う。「遅い時間なので食事はできません」とのことだった。周辺に食べ物屋やコンビニはないようなので、駅で買うしかなかった。松山駅から予讃線で2つ目の伊予和気駅を降りた。あたりは真っ暗。一緒に降りた女性に尋ねると民宿まで連れて行ってくれた。看板もなく、私たちだけでは到達できなかっただろう。前金7000円とのこと。食事なしなのに?? 確かめなかったのが悪いのだが、ヒコーキの乗り遅れ! 民宿の高額料金。前途多難な遍路歩きになりそうだった。

◆以下は翌日の記録であるが、当初の予定通りページに載せておきます。

     第52番 太山寺      
ご詠歌::::太山寺へ登れば汗の出でけれど、あとの世思えば何の苦もなし。
…きっと大変な登りなのだろうと思っていた。一の門をこえ、二王門へ登り、さらに行くと右手奥に納経所が見える。両側には寄付者の石碑が連なっている。そこをまた登ると、右手にすばらしい石段が。やっとこさっとこ上がったところに国宝の本堂が見える。さすがに立派だった。

  いつの時代かわからないが、前回終えた石手寺が88番で、この太山寺が第1番ということもあったそうだ。(石手寺に書いてあったが、こちらには見えなかった)そんなこともあったかもしれないぐらい立派な伽藍である。大師堂が本堂の上にあるのはおもしろい。夢殿のような聖徳太子堂は近年に建てられたもの。ちょっと違和感があるが受験生には人気だという。

神仏混交の名残は石段下の鳥居である。大日如来の文字も見える。ご本尊は十一面観世音菩薩であるが、60年に一回しか開帳されないそうだ。

本日は伊予和気駅近くの民宿から歩きだした。ほぼ一時間で到着。同じ道を戻り、駅近くの第53番圓明寺へ向かった。

一の門:バスが来る。 二王門:金剛力士像
納経所 芭蕉の句碑もある。お茶会の女性で賑わっていた。
一畑薬師さん:眼病に効く  両側は寄付者の名簿石碑
見上げるような石段:上に伽藍  国宝の本堂:すばらしく立派。
大師堂  聖徳太子堂:1991年建立、八角形
伽藍配置:左が本堂:奥は鐘楼  神仏混交時代の名残:大日如来は阿弥陀仏
大山寺の奥の院からは海が見えるそうだが、今回は時間と体力がなく、奥の院には行けなかった。


この辺りは海に近いことは、そこここにセキレイが歩き回っていることでもわかる。

    第53番 圓明寺
聖武天皇の勅願所として「和気」の海岸に建てられたお堂だった。
キリシタン灯篭やマリア観音など珍しい。

本堂の中にある大きな龍の彫り物も見どころだそうだ。
本堂内の写真をとる図々しさは、今回はなかった。残念。

門前に萬國堂という和菓子屋がある。薄皮饅頭はおいしかった。

気分の良い、庶民的なお寺である。「えんみょうじ」とよむ。「えんめいじ」は次の54番
本堂:阿弥陀如来は絶対秘仏 本堂から見た境内
恒例の第53番圓明寺の石碑前で キリシタン灯篭
朝早いが地元の方々がお参り 仏足石:とてつもなく大きい足だ! 
薄皮饅頭はすばらしい。  なかなかいい言葉だ! 
伊予和気駅:今回の出発地点。 和気は「にぎたつ」の港か?

本日は実は2日目。
昨日成田でヒコーキに乗り遅れたために1日目の予定はすべてキャンセルして伊予和気駅近くの民宿に泊まった。本日17日、予定していた2日分の行程を1日で歩いた。

2日分を1日で歩くために、朝早く52番太山寺、53番圓明寺を歩き、伊予和気駅に戻りJR予讃線で6駅進んだ。伊予北条駅で下車し、番外札所の鎌大師の峠道を歩いて越えて浅海(あさなみ)駅にでた。

ここから再び予讃線にのって大西駅まで3駅進んだ。列車でほぼ12キロ進んだ。私たちの一日分の距離を列車で通過したので、2日分の予定を1日でこなすことが可能になった。

16日の分にこの記事を書いているが、本当は翌日分ということを承知してください。


     番外札所 鎌大師   
伊予北条の市外からちょっと外れたところに立岩川が流れる。
川を渡って鎌大師堂を越え、浅海まで歩いた。こんな山がポコポコと立っている。
草刈り中のおじさんが道を教えてくれた。。
花へんろ!の札所? 芭蕉の句碑があった 松山は俳句の街
若者たちがワケギの畑を作っていた。
これが産業になるといいのだが。
このミカンは紅マドンナ
3月に収穫するそうだ。
 鎌大師堂:お不動さん 修行大師 
お遍路さんの休憩所!  峠を越えたところに展望台 

   
1日目
11月16日
予定
伊予和気 第52番太山寺 3q
太山寺 第53番圓明寺 3q
圓明寺 伊予北条 列車
伊予北条駅 鎌大師 4q
鎌大師 浅海(あさなみ) 4q 
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