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出雲大神宮 |
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ご祭神 |
大国主命 |
=三穂津彦大神 |
=御蔭大神 |
三穂津姫尊 |
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大国主の后 |
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■ 江戸時代末までは「出雲の神」と言えば亀岡の出雲大神宮を指していた。出雲国の出雲大社は明治時代まで杵築大社と称していた。『丹波国風土記』には「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述がある。ということは出雲大社の大国主命は亀岡の出雲大神宮からお移りになったということだ。そのために出雲大神宮は元出雲と称する。
■ 残念ながらその証拠になる丹波国風土記は現存していない。古事記が最も古い書ということになっているが、実際にはその前に全国の風土記などはあった。政権の力で古事記、日本書紀以外の書は全部廃棄されたので、それ以前の文書はない。しかし口伝には本当の歴史が残っているかもしれない。
■ 平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国桑田郡 出雲神社」と記載され、有力な神社であったことははっきりしている。それ以降出雲神社であった。「出雲大神宮」を名のるのは戦後のことである。 |
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訪れたのは2010年秋:出雲神社の石柱 |
拝殿とご神体山:御蔭山 |
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2017年にできた |
昔は出雲神社 |
徒然草にでてくる狛犬ではない! |
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舞殿:拝殿かな? |
やはり舞殿だな! |
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本殿:三間流れ造り・平入り |
重要文化財 |
摂社:末社(本殿をまわった奥には磐座へ続く道がある。その間に摂社:末社がいくつもあり) |
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磐座(いわくら)への道 |
上の社(スサノオ命を祀る) |
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稲荷神社 |
おかげの滝 |
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磐座:この奥は禁足地 |
磐座(春日社) |
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国常立命を祀る神体山:禁足地 |
笑殿社:事代主命:少彦名神を祀る。 |
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■亀岡盆地が京都盆地にこんなに近いとは思っていなかった。愛宕山の山地は険しいが、その間を保津川が流れている。写真で見ても分かるが、なぜこんな場所をえぐって流れているのか不思議な川筋だ。地形学的には嵌入蛇行と呼ばれる。この川は愛宕山が隆起する以前から流れていた。山が隆起するよりも川の浸食量の方が大きかったので、自分の流路を保ってきたのだ。川の意思は強かった。
■昔の人も、この川筋の流れは不思議がった。神さまが近道を作ってくれたと思ったかもしれない。この川に出雲神社の神さま、三穂津姫の名前をとって「保津川」と名付けた。出雲神社と京都は近かった。
■どうしても出雲大社との関係を考える。この神社では、大国主神はここから島根県の出雲に移ったと主張する。しかし大方の常識では、出雲大社の京都方面の出先神社であったと考えた方がいいかもしれない。
■日本神話では出雲大社の大国主命は伊勢神宮の天照大神に対抗していたが、敗北して伊勢の軍門に下った。その後出雲大社は千家家が80数代にわたって国造を務めている。国造制度ははるか昔に無くなったはずだが、出雲だけはまだ世襲を続けており、伊勢神宮系統とも婚姻関係を結んでいる。
■一方出雲大神宮は伊勢神宮が采配する神社庁には属していない。巣立神社として地元と密着している。内部事情は分からないが、神社というものはもともとは地方分権だった。一元管理するのは明治政府の国家神道になってからだ。出雲大神宮は本来の姿になっているのではなかろうかと、私は親しみを持っている。 |
■ 出雲大神宮の狛犬:徒然草にイジワルな記述がある。 |
徒然草第36段 出雲大神宮(亀岡)の立札
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかや 知る所なれば、
秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまたさそひて、
「いざたまへ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」
とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
御前なる獅子・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、
「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故あらん」
と涙ぐみて、
「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。むげなり」
と言へば、おのおの怪しみて、
「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」
など言ふに、上人なほ床しがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、
「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることにはらん。ちと承らばや。」
と言はれければ、
「その事に候。さがなき童どものつかまつける、奇怪に候ふことなり。」
とて、さし寄りて、据ゑなほして去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 吉田兼好:徒然草・第236段 (出雲大神宮にて 2012.11) |