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吉備津神社 |
ご祭神 |
御名前 |
関係 |
主祭神 |
大吉備津彦命 (おおきびつひこのみこと) |
孝霊天皇息子 |
相殿神 |
大日本根子彦太瓊命 (おおやまとねこひこふとにのみこと)
細比売命 (くわしひめのみこと)
稚武吉備津彦命 (わかたけきびつひこの みこと) |
第7代孝霊天皇
孝霊天皇の皇后
吉備津彦の弟 |
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吉備津神社は、もとの吉備の国に神社だった。しかし強大になった吉備は、備前、備中、備後、美作などに分割された。
ここ備後の一宮は、806年に備中吉備津神社より勧請された。
備中、備後は吉備津神社、備前は吉備津彦神社、美作は中山神社が一宮となっている。
備後一宮は吉備津神社のほかにスサノオ神社が、すぐ近くにある。
スサノオ神社の方が古く、式内社として格式が高かったが
現在はこの吉備津神社の方が立派で、一宮(いっきゅう)さんとして人々に親しまれている。
十月の神無月、全国の神々が出雲へ集まるなか、備後の吉備津彦命は欠席した。
大国主命は、二人の使者を派遣したが、大祭の最中で二人の使者は歓待を受け戻らなかった。
古事記にある高天原の使者の話と類似した言い伝えだ。元は同じ話だったのだろう。
二人の使者は吉備津彦命の親衛門守として、二つの随神門を守っている。
随神門が二るある神社は珍しい。備後国では十月を神有月と言う。と書いてあった。
地元の友人に聞いたが、「わしゃあ そんなの知らん!」ということだった。
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最初の随神門:石段上に第2の随神門:
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2番目の随神門から撮った神楽殿 |
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神楽殿:その上に拝殿がある |
檜皮葺の本殿:狛犬脇から撮った。 |
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吽の狛犬 |
左の狛犬:耳が欠けている |
右側の靴下(?)狛犬。 |
同じもの:阿 |
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境内の図:随神門が二つ! |
拝殿だが拝む場所が狭い |
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境内には末社・摂社がたくさん |
鳥居前には大きな池がある:厳島神社 |
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十二社神社:新しい! |
十二神社への石段:下は吉備津神社拝殿前 |
福山の駅から尾道の友人に電話を掛けた。突然のことだったので驚いたろうが、そこは20代の頃に勤めた学校の同僚で、気心は知れている。
備後の一宮に行く予定だというと、「宮司さんとは知り合いじゃけえ、連れて行ってやる」とのこと。
福塩線の上戸手という駅で待ち合わせたら、尾道から出た彼の方が先についていた。福塩線は遅いことで有名。
彼の車で吉備津神社を案内してもらった。感謝!
備後一宮は歴史的にも民俗学的にも、現代宗教を考える上でも大変面白い神社だった。
吉備の国は大国主命の出雲にはちょっと反抗的だったのか?? 神有月について、ただのほら話なのか、確かめてみなけりゃ。
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