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丹生都比売(にゅうずひめ)神社 |
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本殿 |
祭神 |
通称 |
由来 |
第1殿 |
丹生都比売大神 |
丹生明神 |
古来からの神 |
第2殿 |
高野御子大神 |
狩場明神 |
高野山開創に由来 |
第3殿 |
大食津比売大神 |
気比明神 |
敦賀氣比神社から勧請 |
第4殿 |
市杵島比売大神 |
厳島明神 |
安芸厳島神社から勧請 |
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丹生都比売(にうつひめ)神社は、かづらぎ町の奥の天野盆地に鎮座する紀州一ノ宮である。紀州一ノ宮は日前宮、国懸宮、伊太祁曽神社、とこの丹生都比売神社の4社だ。その中では一番山奥にあり、公共交通もないので、車のない参拝人は大変である。私は全国の一宮をほとんどすべて回ったが、ここだけはなかなか行くことができなかった。
弘法大師が高野山に金剛峰寺を立てて、密教の聖地にするときに、山中の広大な敷地を提供したのが、丹生都比売神社だったという。丹生は水銀のことで、古代には塗料、化粧品など需要が多く、この鉱山を抑えた勢力が多くの富を手に入れた。丹生都比売神社は水銀がもたらした富によって広大な土地を持っていたらしい。写真で見るような丹塗りの鳥居、社殿は富の象徴だった。
今回私は高野山参詣の帰りに、高野山壇上伽藍にある1番町石から歩き始め120番目の町石のわきに立つ二つ鳥居からこの神社に下ってきた。1町は108mだから約13q、プラス2q。下り道とはいえ私にはかなりこたえる山道だった。しかし高野山で修業中の弘法大師はふもとの慈尊院にいる母に会いにこの道を通ったという。慈尊院には丹生官省符神社があり、神社の石段上に180番目の町石が立っている。高野山からほぼ20q。この町石道を月に9度往復したという。九度山という名前は弘法大師に由来する。
2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産になり、この山奥の地にも観光客が訪れるようになった。交通機関がないと思っていたらJR和歌山線の笠田(かせだ)駅からコミュニティバスが出ていた。しかし最終バスは早く終了する。普段よりもたくさんお賽銭を入れた利益で、慈尊院まで車に乗せてもらうことができた。直ちにご利益があったのは丹生都比売様か弘法大師様が見て下さったのだろう。ありがたや! |
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境内図:本殿が4殿あることに注目 |
4柱の神さま 3、4殿は関係少ない |
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町石道の120町石にある二つ鳥居 |
正面の両部鳥居:(金剛界・胎蔵界) |
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立派な太鼓橋:淀君の寄進 |
二の鳥居:こちらも両部鳥居 |
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拝殿は檜皮葺 |
拝殿奥の4つの本殿:春日造り |
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弘法大師は聖地を求各地を巡った。この地に入った時1人の気高い猟師に出会い、
高野という山上の霊地がある事を教えられました。
猟師は従えていた白・黒2頭の犬を先導させて大師を高野山へ導びいた。
こんな霊地を教えてくれた猟師は実は地主神で狩場明神であった。
弘法大師は神と犬に感謝したという。この狛犬はもちろん後世に作られたものだが、
弘法大師の逸話と関係あるのだろう。
下の丹生官省符神社は白黒の犬の神社としても知られる。 |
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拝殿前の狛犬:高野山にもあった |
後ろ姿が美しい |
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丹生官省符神社 |
ここも両部鳥居 |
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4殿が並立している。 |
拝殿:奥に4殿の本殿 |
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弘法大師の母がいた慈尊院 |
慈尊院境内:左手上が神社 |
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犬が導いてくれて高野山へ |
高野山の入り口:大門へ |
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念願だった丹生都比売神社にお参りすることができて大変うれしい。
山の中にあるのでもう行けないかもしれないと思っていたが
高野山の大門から下る町石道をたどって到着することができた。
朝東京を出て、ケーブルで高野山に上がり、
壇上伽藍にお参りしてから午後に歩き始めたので
暗くなるのではと不安であった。でもまあ何とかなるだろう。
そんな気持ちだった。しかし下りとはいえ13qの山道は
後期高齢者にはなかなかきつかった。
途中一軒だけ茶屋があり、自販機があったがあとは何もなし。
二つ鳥居に着いた時には、薄暗くなる寸前。
やっとたどり着いた丹生都比売神社は輝いていた。
私の好みの狛犬がしっかり出迎えてくれた。
最終のコミュニティバスも出た後で、闇の中を九度山まで下るしかないと
覚悟を決めたときに、お参りを済ませた犬連れのご夫婦が
下の慈尊院まで乗せてくれるという。
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狩場明神と弘法大師 |
最終の180町石 |
町石道:二つ鳥居 |
汗まみれの老人を見かねたのかもしれない。
犬を連れた狩場明神が仮の姿で表れたのかもしれない。
必死にお参りをするとご利益があるものだ。 |
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