093   豊後国一宮1    大分市 寒田(そうだ)
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西寒多(ささむた)神社
本殿  祭神(総称) 祭神 相殿 祭神
  西寒多大神 天照皇大御神 応神天皇 八幡神
月読尊 天照弟 神功皇后 応神母
天忍穂耳命 天照息子 武内宿禰 忠臣

豊後国は柞原八幡宮とここ西寒多神社が「豊後一宮」を名乗っている。
嘉応3年(1171年)の史料では「由原八幡宮」を一宮とするものがある。宇佐八幡宮別宮の
柞原八幡宮が当社を差し置いて一宮に転化したと見方が強い、という説もある。

三韓征伐の後、神功皇后が西寒多山(本宮山)の上に白旗を立て
後に武内宿祢が祠を建てたという。その後
現在の地に社殿を建てたという言い伝えがある。

この地に多い神功皇后伝説のひとつであろう。
神功皇后の夫、応神天皇の父である仲哀天皇が祭神にないのはなぜだ?
神功皇后の本当の夫は武内宿祢であるという説の証拠にされてしまうではないか!

寒田川にかかる万年橋 背後に深い森
たくさんの神さまが祀られている 相殿には八幡神が祀られている
鰹木は6本、女性神神功皇后を祀る 神楽殿
校倉造り宝物殿 国府・総社・国分寺が近い

万年橋(まんねんばし)は、西寒多神社の入口を流れる大分川水系寒田(そうた)川
(通称 みそぎ川)に架かる石造単アーチ橋である。
昭和55年(1980年)4月8日に大分県の有形文化財に指定されている。

主構造がアーチであるだけでなく、路面も緩やかな弧を描く太鼓橋徴である。
江戸時代末の文久2年(1862年)に寒田村の庄屋らが発起し、
大野郡柴北村の石工2代目後藤郷兵衛ら20名によって竣工した。

石積の立派なアーチ橋 橋の上は案外緩やか
藤の大木 藤満開 HPから借用
境内の弁天社 ここで行われる神楽「国司」
天に向かってほえる?狛犬 奥宮への道は遠いそうだ

    寒田とかいて「そうだ」と読む。九州には寒田という
土地が大分県と福岡県にある。
福岡県の寒田は「さわだ」とよむ。

寒田の西にあるから西寒田であるが、
これも「ささむた」とはなかなかよめない。
さらに田は多に変化している。
短時間の滞在では由来はわからなかった。

2009年に柞原八幡宮に来た時、豊後一宮仲間の
この神社を探した。地図では大分大学の裏手であったが
なかなか見つからなかった。

今回大分駅からバスで来たが、バス停からの道も
わかりにくかった。たどり着いただけでホッとして
奥宮まで行く気力はなくなった。

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